『決定的に不足していた。』

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 日差しが照りつけ、茹だるような暑さ。地面で目玉焼きが作れそうだ。


 太陽の熱とこの国特有の湿気により、黒いリクルートスーツの内側はすでにサウナ状態と化していた。


 午前中からここまでとは、予想外だった。剥き出しの首筋には容赦なく直接攻撃が仕掛けられ、ジリジリと皮膚を焼く音が今にも聞こえてきそうだ。


 僅かながらの日陰を渡り歩いてようやく辿り着いた目的の建物は、クールビズという名のケチな節電対策でぬめっとした空気が漂っている。突然足を止めたせいか、額にはじんわりと汗が染み出てきた。上下フル装備を崩せない私にとっては拷問に近い仕打ちだ。


 ハンカチで汗を拭い、身なりを整えた私は、安物のヒールをコツコツ鳴らしながら受付に向かった。


「あの、面接に伺ったのですが会場は――」


 と私が言い切る前に、カウンター越しで姿勢よく腰掛けた女性はふわりと右手を掲げ始めた。


 その動きは大人の女性が見せる滑らかな手つきではあるものの、デパートに飾られたマネキンのように無機質なものだった。


 無言のまま口元に薄らと笑みを浮かべる彼女の姿は、私の脳裏にふとエレベーターガールを連想させた。


 指先に視線を移すと、【面接会場は8階になります】と印刷された張り紙があった。


「ありがとうございます」


 ぎこちなく頭を下げる私に向け、エレベーターガールが返したのは先ほどと寸分違わぬ微笑だけだった。


 頑なに言葉を発しないものだ。決まりきった質問や、判を押したような日々の労働に嫌気が差したのだろうか。


 ひょっとすると、節電の影響で彼女の動力も削減対象になっているのかもしれない。無駄なエネルギー消費を省くために言葉を封印し、何十通りの笑顔と何百通りのジェスチャーを身につける。そんな風に退屈な時間を紛わせつつ、エコロジカルな過ごし方をするための努力を惜しまない人なのだろう。


 ……なんて。くだらない妄想を頭から払い落とした私は、エレベーターホールに向かった。そこにはもちろん、本物のエレベーターガールの姿はなかった。



立華りっか学院大学の遠藤葉流はると申します。よろしくお願いします」


「はいはい。もう座っていいよ」


 ぺこりと頭を下げる私に向け、手招きのような仕草をする面接官は灰色のスーツを着た髪の短い男性だった。どちらかと言えば若い印象で、垂れた目つきと大きな鼻の穴は、他人のおこぼれに預かろうと周囲を伺うハイエナのようだ。


「それで、うちを志望した動機は?」


「はい。御社のホームページで連載されているコラムに興味があり、毎月購読させていただいております。それから――」


「あ、そういうのは良いから。もっとオープンに話してくれる?」


「……オープン」


「そうそう」男は小刻みに頷きながら、「型通りの面談とかしてもさ、今どき欲しい人材なんて分からんでしょ。もっとフレキシブルな対応をしていきたいわけよ、我が社としては」


 と、ぎらぎらした目つきで早口に話した。


「はぁ」


「それで、君はうちに入ったら何がしたい? 何ができる? 自分のスキルとか、強みとか思想とか野望とかさ! そういうのは存分にアピールしてね。まず、即戦力は歓迎。能力次第で即昇進だから。正直言って、うちみたいな会社はベンチャー企業の中でもかなり稀なんじゃないかなぁ」


 得意げな表情で顎の辺りに手を触れた男は、鋭い眼差しをこちらに向け、「それで、何ができる?」


 瞳から放たれる圧が、半端ではなかった。どうにかして粗を探し出そうと待ち構えているように思えてしまい、こちらとしては非常にやりにくい。


「文章を書くのは、好きです。在学中に大学新聞のコラムに連載させて頂いたことがあります。私は御社の出版部を希望しておりまして、後々はライティングの面で貢献を――」


「あーそれも良いんだけどさぁ、もっとビジネスライクなスキルはないの?」


「ビジネスライクな、……スキル」


 鸚鵡おうむ返しに答えた私に、「出版部志望って言ってもね、うちの本業は一応、IT企業だし」と鼻で笑うように男は言った。


 瞬きがとっても早い。


「入社後は確かにユーザーをぐっと惹きつける奇抜なアイディアが求められるよ? でもその前にさ、まずはマルチタスクをこなすためのスピードとテクニックが必要になるわけ。シームレスに他部署と連携の取れるようなスキルなんかあると、さらに良いかな」


 話す際に身体をくねくねと左右に動かす姿は、さながら音に反応する玩具のようだ。


「得意なソフトウェアは?」


「パソコンは授業でオフィス系のソフトを触った程度です」


「じゃあ資格は?」


「特にありません」


「そうですかぁ……」


 と、その場の空気を循環できるほどにあからさまなため息が、室内に響き渡った。


「まぁ、そういうソフトは入社してから覚える人もいるからね。はいっ。分かりましたぁ。本日の面談は以上となります。合否に関してはまた改めて、広報から書面にてご通知させていただきまーす。お疲れさました!」


 後日、自宅には当然の合格通知(嘘である)が素っ気ない封筒で送られてきた。かれこれ何通目になるのか、今では数えるのもやめてしまった。

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