白雪の影とべにばらの森

扇谷 純

『大好きな童話があった。』

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 童話の世界に救いを求めるべきではない。


 例えるならそれはタイムマシンで時間旅行をしたり、散歩中に偶然出会った宇宙人と友達になったり、動物たちと愛を語り合いたいなどという甘い夢にも似た絵空事で、そんな夢見るお年頃からすっかり卒業したリアルに生きる私たち大人とは、およそかけ離れた幻想に過ぎないからである。


 現実の問題は、現実世界においてのみ解決できるものだ。


 私には、大好きな童話があった。


 魔法にかけられたように魅了され、その世界に触れたいと願いながら古びたページを何度も撫で付けた経験がある。


「――ほら。もう少しだよ」


「待って、お姉ちゃん!」


 雨上がりで泥濘ぬかるむ山道を、私たちは進んでいた。足を一歩運ぶたびに真っ白なワンピースの裾には泥が跳ね、足首の辺りに湿った雑草が触れる。


 ひやりとした感触に寒気を覚えつつ緩やかな傾斜を登る私は、何度も足を滑らせながら姉に向かって必死に手を伸ばした。


「掴んだ! 引っ張るよ」


 手のひらに伝わる感覚は力強く、温かい。まるで身体の芯にまで届くようだった。フード付きの赤いワンピースを身に纏った彼女は私を引き上げると、にっこり微笑んで再び前方へと歩き始める。


 ただひたすらに、私はその背中を追い求めた。延々とそれを繰り返した末にようやく頂上に辿り着いた私たちは、表面の湿った大きな岩に並んで腰掛けながら、眼下に広がる街並みを見下ろしていた。


「見て、おうちの屋根」


「どこどこ?」


 身体を前のめりにした私は、姉が指差した方角に目を凝らした。遠くに見える緑色の屋根。それがあの頃の我が家だった。


「ほんとだぁ!」


「こう見ると小さいね」


「ねっ!」


 さらりと地面に着地した姉は、突然その場でくるくると回転し、踊り始めた。


「二年生になったらね、学習発表会でこんな感じの踊りをやるの。本当は新学期に入ってから上級生に教えてもらうんだけど、私は去年のやつ見て覚えちゃった」


「えっ! もう覚えたの?」私は目を丸くしながら、「やっぱりお姉ちゃんはすごいや!」


「そんなことないよ。あんたも早いうちに練習すれば、絶対間に合うから」


 姉は重心を変えず、逆回りを始めた。


「……うん」


 私は不安げな声で唸ったが、ふと思いついたように顔を上げ、「じゃあじゃあ! その時はお姉ちゃんが教えてくれる?」と尋ねた。


 ゆらゆら揺れる姉の柔らかな赤い裾は、まるで上品な回転木馬。それは家族揃ってお出掛けをした遊園地を連想させ、私の胸をこの上なく高鳴らせる。


「そんなの――」と答えながらぴたりと回転を止めた彼女は、優雅にポーズを決めて振り向き、「教えてあげるに決まってるじゃない」


「やった!」


「私たちは、いつでも一緒だもんね」


「ねぇ!」


 幼き姉妹の仲睦まじい姿。それはそれは、幸福なひと時だった。

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