page.12

 姉の働く職場は、都会のど真ん中にあった。付近には高層ビルが立ち並び、人通りの多さに思わず眩暈を覚えたが、私は明確な意思を持ってこの場にやって来た。今さら逃げ帰るわけにもいかない。


 この近辺でもひと際目立つガラス張りの高層ビルが、姉の職場だった。自動ドアを潜るとフロアには高級ホテルのような調度品が並び、温かみのある照明が出迎えてくれた。


 受付には清楚な佇まいの女性が二人、姿勢を正して行き交う人々に笑顔で挨拶を交わしている。その先には自動改札機のような機械が設置され、関係者以外は通り抜けができないようになっていた。


 姉の人柄からもう少しラフな職場かと勝手に思い描いていたので、これほどシステマティックな仕組みに、私は正直動揺していた。


 ひとまず受付に向かうと、女性のうちの一人が笑みを浮かべながらこちらに会釈を寄こした。


「おはようございます。ご用件をお伺いいたします」


 今まで面接に行ったどの会社よりも、受付嬢の愛想が良かった。私は目の前でいかにも人柄の良さそうな笑みを浮かべる彼女にたじろぎながら、「あ、あの!」と久々に言葉を発した。声量の調節が上手くいかず、思いのほか大きく発せられた私の声は高い天井に反響し、受付嬢の愛らしい眉間に数本の皺を作らせてしまった。


「いかがなさいましたでしょうか」


「あ、あの……」今度は程よい声量が出せた。「G.N.エージェントに伺いたいのですが」


「はい。アポイントメントはございますか?」


「アポ……」


 ここへ来たのは、単なる思い付きだった。そんなものがあるはずはない。


「あの、アポはないですが、川上さんという方にお話を伺いたいんです」


 きっと同じ会社の人だ。居れば取り次いでくれるはず。


「お客様。申し訳ございませんが、アポイントメントのない方をお通しすることは許可されておりませんので……」


「遠藤雪希の妹だと伝えて頂ければ、通じるはずです」


「ですが、お客様……」


「え? 本当に君って、遠藤先輩の妹さん?」


 私たちの間に突然割って入ったのは、眼鏡を掛けた小柄な男性だった。つぶらな瞳は大きく見開かれ、興味深そうに私の全身を眺めている。


「そうですが、何か?」


 奇異なものを見るような相手の目つきに対し、私は不愛想に答えた。「あなたが川上さんですか?」


 その質問に対し、彼はどこか動揺したように周囲をきょろきょろと見回した後、慌てて私の手首を掴み、「ここじゃなんだから、ちょっと外に出よっか」と言った。


 私は彼に手を引かれるまま後に続き、自動ドアを潜って外に連れていかれた。


「ごめんね。あんな風に無理やり連れ出しちゃって」


 男は自販機で買った二本の缶コーヒーのうち、一本をベンチに座った私に差し出し、もう一本のプルタブを開けながら隣に腰かけた。


 周囲には花壇や植え込みが設置され、色とりどりの花が咲いている。周囲は人々が忙しなく行き交っているが、花壇がまるでバリケードのような存在となっており、ベンチに座っていると喧騒からすっかり隔離された感覚だった。


「でも驚いたな。まさか遠藤先輩の妹さんが乗り込んでくるなんて」


「乗り込む?」


 私は彼の言葉選びに違和感を覚え、「普通は訪問と呼ぶものではないですか?」と言った。「私はあなたに話を聞きたいと思って――」


「あぁ、ごめん。先に言っとくけど、俺は川上先輩じゃないよ。あの人はもっと年配の人で、すらっと背が高くて髪もバシッと決めて、俺なんかよりずっと偉い人」と、彼は多少自分を卑下するような言い方で説明をした。


「俺は鳴海晴太。語呂が良いでしょ? ナルミハルタって。遠藤先輩の直属の部下で、席も隣同士だったよ」


「はぁ。そうですか」


 いかにも好青年と言ったこの男は、早口に話す様子がどこかリスのような佇まいだった。両手で包み込むように缶コーヒーを持つ姿は、木の実を物色する様子にも似ている。


 ナルミハルタはコーヒーをグイッと一口飲むと、「遠藤先輩が話してた通り、大人しい子なんだねぇ」と私に向かって言った。「先輩は元気にしてる? あぁ、だったら妹さんが直々に乗り込んできたりしないよね……」


 また振り出しに戻った気がした。どうして私が姉の職場を訪れることが、乗り込んできたという解釈になるのだろうか。


「あなたは何か、姉に嫌われることでもしたんですか?」


「え、俺?」


 ナルミハルタは驚いたように目を丸くすると、「俺のことも、何か言ってた?」と小声で尋ねた。「結局、何の力にもなれなかったしなぁ」


 話が一向に見えてこない。


「どういうことでしょうか」


 私が首を傾げて尋ねると、彼は険しい表情を浮かべ、「だって、川上先輩に殴り込みに来たんじゃないの?」と言った。


 人聞きが悪い。どうして私が、見ず知らずの人間をわざわざ殴りに来なければならないのか。


「私は、川上さんという人と面識はありませんが」


「でも話を聞いて来たんでしょ? ほら、遠藤先輩との事とか」


「やはり姉は、川上さんとお付き合いをされていたんですか?」


 そんな私の問いかけに対し、彼は思わず言葉を詰まらせた。それから訝しげな顔でこちらをじっと見つめ、「もしかして、先輩から聞いてないの?」と言った。


「何をでしょうか」


「おぉ……。これは」


 彼は何やら姿勢を正すと、こちらに身体を向け、「遠藤先輩は、二か月前にうちの会社を辞めたんだよ」と言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る