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 朝食はパンケーキと果物の盛り合わせだった。甘酸っぱいベリーソースは昇天するほどの破壊力だ。


「熊さんは?」


 昨晩は広間で眠ったと思っていたが、降りてきても姿が見当たらない。


「お寝坊さんたちと違って、もうとっくに出かけたわよ」


「あたしはおきてたもん!」と隣に腰掛けたべにばらはすかさず反論したが、「でも、夜にはまた帰ってくるもんね」と私の方を向いて優しい口調で答えた。


「ふうん」


 寝ぼけ眼で周囲を見渡すと、部屋の中は昨晩と全く変わりが見られない。夢の中でさらに眠るなどということがあるのだろうか。


「お母さん今日も街に行くから、二人でお留守番よろしくね」


「はーい」と生返事をしつつ、べにばらはパンケーキを貪っている。


「街? 街があるの?」と私が尋ねると、「何、今度もその手口なの?」と母は呆れた様子で答えた。


「え?」


「記憶喪失ごっこ。これで二回目でしょ? そんな風におねだりしても、一緒には連れて行けませんよ」


「そうよ、しらゆき。おしごとの日は何言ったって相手にしてくれないんだから」とべにばらは諦めたような声で母に続き、「――だからね、今度はお買い物の日におねだりしてみよ」と私の耳元にそっと囁いた。


「聞こえてますよ」と、母はぴしゃりと言い放つ。


「冬の間は道も凍ってるし危険だから、一緒には連れていけないの。何度も言ってるでしょ? おねだりは春になってからにしなさい」


「はーい」と答えながら頬を膨らませ、べにばらはすっかり不貞腐れてしまった。


 母が外出すると、私たちは手分けして家事をこなした。食器洗いに始まり、洗濯、部屋の片付け、床掃除、風呂掃除、トイレ掃除、窓や鏡も拭いて回った。べにばらが言うには、隈なくきちんと掃除しておかないと後で母が怒るそうだ。気ままなお子様生活を期待したのに、案外ノルマが厳しい。


 彼女は時々お風呂の泡で遊んだり、はたきを持って踊り回ったりしたものの、それでも掃除は着実に進めている。よく躾けたものだ。


「あとはまき割りだけね」


 まだあるのか。


「先にお昼ごはん食べちゃおっか」


 私たちは母が昼食として用意した野菜のスープを温め、サラダ、バゲットと共に食べた。姉妹はいつも、日中はこんな風に二人で留守番しているのだろうか。


「これ、何の葉っぱ? 見たことないけど」


「ウタの葉のこと? 森に入ったらそこらじゅうに生えてるじゃない。みずみずしくておいしいよね!」


「あぁ、そうだっけ」


 確かに。まるで水を飲んでるように水分の多い植物だった。


「しらゆきはたまに忘れっぽいよね」


「そうだね」


 私は適当に相槌を打つと、「ねぇ、街には何があるの?」と向かいでスープを啜る彼女に尋ねた。ひょっとしてそこには、この世界の出口があるかもしれない。


「またそれぇ?」


 母と同じような表情で呆れた様子を見せるべにばらだったが、「いいわ。付き合ってあげる!」とスプーンを置くと、こちらを見つめながら両手で頬杖をついた。


「こんにちは、”キオクソウシツ”さん。あたしがなんでも教えてあげる」


 どうやら彼女なりの一風変わったお遊びのようだが、都合が良いので私はこのまま質問を投げかけることにした。


 一度咳払いをした私は、「じゃあ、街はここからどれくらいの距離なの?」と尋ねた。


「そうねぇ。着いたらお腹がぺこぺこになるぐらいかしら」


「歩いていくの?」


「そうよ」


「街に行ったことはある?」


「うん!」


「街には何があるの?」


「何でもあるよ!」


 うむ。なかなかに手強い。質問の方向を変えてみるか。


「街にバスや電車はある?」


「デンシャ……?」


 彼女は首を傾げながら、「なぁにそれ?」と尋ねた。


 この世界には、電車がないのだろうか。


「すごく早い乗り物のことよ。人を乗せて走るの」


「あっ! お馬さんのことね。それならたくさんお馬さんが並んでるところがあってね、おじさんたちが後ろに乗せてくれるの。……子供はダメだけど」


 と、彼女は残念そうな表情で答えた。


「じゃあ、川は? 河川敷とか。そこに大きな橋が掛かってたりしない?」


「あるよ! って。この前行ったときも川で一緒に遊んだじゃない」


 そう答えると、彼女はどこか訝しむような目つきでこちらを見つめてきた。


「それは……。だってほら、今は記憶喪失ごっこだもん」と私が開き直った表情で返すと、「あ、そっか」と彼女もあっさり納得した。


 もし同じ条件を満たす通路があれば、試してみる価値はあるかもしれない。


「ねぇ。これから街まで一緒に行ってママを驚かせない? 私たちが行ったら喜ぶんじゃないかな?」と私はべにばらをそそのかしてみたが、彼女はひどい剣幕で「ダメよ!」と怒鳴った。


「街に向かう道はキケンだから、冬は近づいちゃダメってさっきも言われたじゃない。それも私たちだけで行くなんて、とってもわるいことだわ!」


「そう、……だよね」


 珍しく見る彼女の真剣な表情。それに対して私は、安易に「記憶喪失ごっこだから」とは答えられそうになかった。

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