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 食事を済ました私は、居心地の悪さから率先して食器洗いを買って出た。隣に立った母は包丁で何かを刻みつつ、時おり大鍋を木べらでぐるぐるかき混ぜている。


 べにばらと熊は広間で遊んでいた。どうやらババ抜きをしているようで、二人の騒ぎ声がこちらまで届いていた。


 早々に洗い物を終えてしまった私は、他にも何か手伝うことはないかと母に尋ねたが、彼女は微笑みながら私の頭を撫で、「あっちで遊んでらっしゃい」と答えた。


 私は仕方なく、言われたとおりに広間で遊ぶ奇妙な二人組のところへ歩いて行った。どうにも近寄りがたい雰囲気があったが、遠目に眺めていると私に気づいたべにばらが手招きをした。


「ねぇねぇ、熊さんはどっちにババをかくしてると思う?」


「え?」


「あたしはね、左があやしいと思うの。だって、わざわざあんな風に一枚だけとりやすそうに上に出しているんだもの。ぜったいにあれがババだわ!」


「あっ! しらゆきに聞くなんてずるいな。これじゃあ二対一で僕の方が不利だよ!」と声を上げた熊はこちらを眺めると、「しらゆきは勘が良いからね、僕も作戦を練り直さないといけない。配置を変えさせてもらうよ」と言った。


「あぁ、ダメよ!」


 手を振りながら慌てて叫んだべにばらは、「くまさんは大きいんだから、一人でも二人分なの」と答えた。「カードはそのままにして!」


 彼女は私の肩に腕を回しながら身体を引き寄せ、「それにあたしたちは二人で一つなんだから、文句は言わせないわ」


 何という理屈か。それでは熊に対し、我々が二組存在してようやく対等だろうに。


「ほら、しらゆき。どっちがババだと思う?」


 先ほどの熊の反応から察するに、どうやらババは右のカードのようだ。残りは二枚しかないため、答えは明確である。私がそのことをべにばらに耳打ちすると、彼女は自信満々に左側のカードを引き、まんまと熊よりも先にあがってみせた。


「あちゃ。勝てるところだったのになぁ」


 熊は頭を押さえて(恐らく和やかな表情で)悔しがっている。「しらゆきにしてやられたね」


 すると、それを聞いたべにばらは「なによ! あたしだってじつは右がババかもって思ってたもん。しらゆきが言うからカクシンしただけで」と、私の方には笑顔を向け、「あたし一人でも、くまさんになんか負けないんだからね!」と彼にはムッとした表情で答えた。


「お、言ったね。それじゃ今度はしらゆき抜きでもうひと勝負するのはどうだい? それでも僕に勝てたら、君の言うことを何でも聞こうじゃないか」


 熊がそう提案すると、彼女はすかさず、「それはダメ。しらゆきはあたしの味方で、二人はいつも一緒なの。それはぜったいに変わらないから」と真顔で言ってのけた。


「じゃあやっぱり、べにばら一人で勝とうなんて無理な話じゃないか」と熊は笑い、からかうように返した。


「できるもん!」


 べにばらはトランプを床の上にばら撒くと立ち上がり、「こうなったらトランプはおしまいよ! くまさんにはお馬さんごっこしてもらうんだから」と言って彼に飛び掛かった。


「おいおい。それは勘弁しておくれよ」


「……ふっ、ふふ」


 傍で二人の遣り取りを見ていた私は、我慢できず吹き出してしまった。なんとも滑稽で、微笑ましい光景なのだろうか。私の笑う姿を見た二人もまたつられて大笑いを始めると、部屋中に笑い声がこだました。


「――今日も本をロウドクしてあげるね」


 ロフトに設置された本棚から、べにばらは無作為に本を抜き取った。


 広間から梯子を登ったこの空間が、私たち姉妹の寝床のようだ。本棚の他には小ぶりのクローゼットや二人並んで寝られる大きさのベッドがあり、寝転んだ場所から斜め右上に見えるのは丸い形をした窓。窓枠には森で拾ってきたであろうドングリや松ぼっくりなど、彼女のコレクションらしきものが並べられていた。


 窓は閉じられていたが、耳を澄ますと鳥の鳴き声が僅かに聞こえてくる。


「むかぁし、むかし」


 彼女の朗読はテンポも悪く、お粗末な読み間違えが多い。時折ため息を漏らしたくもなるけれど、それでもどこか、穏やかな木漏れ日が降り注ぐような気分だった。


 その効果かどうかはさておき、私は突然睡魔に襲われた。いつの間にか迷子になったあげく巨大羊に襲われ、幼い身体で森林を駆け回ったのだからそれも仕方ない。


 久々に感じる、心地よい疲労感。思えば子供の頃も体力のない私に比べ、姉は倍以上の距離を元気に走り回っていた。童話に登場するべにばらもまた、目の前の少女のように活発で走り回るのが好きな子という描写があった。単に赤い色が好きで姉はべにばら役を選んだのだと思っていたが、類似点はそれだけではなかったようだ。


「その時でした、少女の前にすがたをあらわしたのは――」


 彼女の声が、少しずつ遠のいていく。


 このまま眠りに落ちれば夢から目覚め、元の世界に戻っているだろうか。これほど現実味を帯びた夢は初めてだった。恐怖、興奮、安堵。あらゆる感情が短い間にも目まぐるしく流れ、心乱される一日だった。


 入院中の姉や、彼女が抱える問題。それに、私に対するあの人の気持ち。


 一時中断している就職活動も含め、私の前には課題が山積みだった。呑気に異世界旅行の夢など見ている場合ではないというのに、あらゆる事象についていざ思いを巡らすと、胸が締め付けられる。


「少女はあっと驚きました! 夜のあいだに――」


 隣に視線を遣ると、枕にもたれ掛かりながら朗読を続ける彼女は眠たげに目を擦り、無垢な表情で必死に文字を追っている。


「…………」


 お姉ちゃん、どうして自殺なんか……。昔はこんな風に二人並んで笑い合っていたのに。


 彼女に声を掛けたかった。けれども次第に視界が歪み、まるでベッドの底に吸い込まれるように私は平衡感覚を失っていく。


 意識が急速に薄らぐなか、私は力を振り絞って彼女の姿を見つめた。その横顔は紛れもなく、あの頃の姉の姿だった。

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