第30話 風の渦

 風が明らかな意思を持って吹き荒れた。大樹の枝葉を粉々にしながら、西へ向けて吹きつけている。少女のあとを追っているのだ。

 ヒウノはためらわずに自身の力をふるい、暴風の中へとその身を投じた。右の手首からのびる光の紐は、リトと初めて出会った夜と同じく、激しく光り輝いていた。

 風に呑まれながら、少年は力の発現に異変を感じた。琥珀色の石は、大樹の幹に向けて放ったはずだった。しかし、石はなにもないくうを掴み、彼の体を目指す方へと運んだのだ。


「石の力が――強くなっている」


 ヒウノは風の渦の中心に石を投げた。甲高い音が鳴り響き、石が光の尾を引く。やはり石は空を掴んだ。「これなら、まっすぐに追いかけられる」石に起こった異変を知りたい気持ちは頭の隅に押しやり、少年は少女のあとを追った。



 *



「わたしはリトです。あなたはどの部族のかたですか――!」


 暴風から逃れながら、少女は追跡者に問いかけた。名ではなく、どの集団に属する者かを問うた。


『なんだっていいじゃないか。知ったところで、なにも変わりゃしないよ』


 若さと老いの重なった声がせせら笑う。拒絶だ。

 少女のしなやかな腕が、舞い踊るように振るわれる。そうするたびに、風が彼女の体を運んでゆく。対して、少女を追う妙齢の女性――老いた声がまじってはいるが――は、風の渦の中心に座していた。なんの動作もない。ただ座しているだけである。であるにもかかわらず、彼女のまわりには暴風が吹き荒れた。

 鋭い刃と化した風が、四方から少女に迫る。風が成す刃先は少女の目にうつっていない。女性の狙いは明らかだった。追跡者は、少女の体が間もなく八つ裂きになるのを想像し、にやりと笑みを浮かべた。

 その眉根にしわが寄る。少女と追跡者のあいだに割って入る者がいたのだ。


『ふん。いつかの坊やかい。思ったよりはやかったねぇ』


 ヒウノだった。すばらしい速度で女性を追い抜くと、下方から大空へ向け、一陣の風となってすり抜けて行った。一瞬の出来事だった。

 風が収まると、女性の視界から少女の姿が消えていた。


『手間を増やしてくれるじゃないか。まぁ、いいさ』


 嵐がゆっくりとその向きを変えた。



 *



 強風に呑まれた少女は、驚きに目を見開いた。自分が再び少年の腕の中にいたからだ。そして、彼が行使する自分と同種の力に目を疑った。


「ヒウノ。あなた、その力は――どうして」

「あとで話そう。腕を自由にしたい。僕の体にしっかりつかまって」


 言うや否や、少年は右腕を勢いよく振り抜き、開いた手を強く握りしめた。少女は慌てて、少年の衣服をぎゅっとつかんだ。風を切り、前方へ引き寄せる力がかかる。やや遅れて、ふたりのいた周囲の枝葉がちぎれ飛んだ。攻撃されている。


「リト。追っ手に心当たりは?」

「ううん、ないわ。呼びかけてみたのだけれど」

「知らない人なんだね」

「ええ」


 ヒウノは、追撃してくる女性の姿に見覚えがあった。奇妙な声を発するので、別人かもしれない。しかし、外見は街で出会った女性にそっくりだった。彼女はユユエと名乗った。


『そいつを捨てていきな。お前にとって荷物にしかなりゃしないよ』


 わかりやすい挑発だ。ヒウノの心は、わずかばかりも揺らぎはしなかった。一方で、リトの表情には不安が広がった。口をかたくつぐんでいるが、両の瞳が強く言う。「あの人の言うとおりだわ」


「ねえ、リト。君は、僕と出会ったことを後悔している?」

「そんなわけない。あなたに出会えて、こうして一緒にいてくれて、とてもうれしい。でも――」

「よかった。迷惑だったらどうしようと、少し心配した」


 かぶりを振って否定する少女に、少年はいたずらっぽく微笑んだ。


「いま追って来ている人に、確かめないといけないことがある」


 ヒウノはちらりと後方を見やり、すぐさま顔を戻した。


「森を抜けるよ」


 前方から帯状の光が差し込む。森の終着点である。速度をゆるめず、ふたりは光の中へ飛び込んだ。

 眼下に視線をやったリトは、大きく目を見開いた。

 姿を現した、ふたつめの自然の障壁。そこには、空が広がっていた。



 第30話 終

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