第36話 終着の地へ
海の道行きは穏やかだった。弱く吹きつける風と、静かな波の音が心地良い。ふたりは少しだけ眠った。
目覚めると、去り際の夜と朝の訪れとが目に映った。彼方に見える、空と海の境界をなす線。少女は美しい風景に思わず感嘆の声をあげた。
「本当にきれい。みんなにも見せてあげられたら」
この光景は忘れられそうにない。リトはとめどなく湧きあがってくる喜びに打ち震えるのだった。
それから数刻ののち、遠くにうっすらと陸地が見えてきた。この旅の終着地である西大陸だ。
ヒウノは接岸できそうな浜辺を見つけると、船の速度を落として寄せていった。船底から鈍い音がして、船が陸に乗り上げたとわかる。ヒウノが先に船から降り、次いで彼に手を借りてリトが地に降り立った。
「行こう」
「ええ」
短く声をかけあって、ふたりは終着への一歩を踏み出した。
*
西大陸。そこは常に黒く重い雲が立ち込める、陽の光がほとんど差し込まない地だった。顔を上げると、今にも泣き出しそうな空と、遠くにひとすじ、稲妻が走るのが見えた。
ぐるりと周囲を見渡しても、道標は立っていなかった。草のない踏みならされたあとが道に見えなくもない。しかし、頼りなく細いそれが、はたしてどこへつながっているかは皆目見当がつかなかった。
「リトは、集落への行きかたを知っているの?」
ユユエと名乗った女性は、セラフェイオンという集落で待っている。「ええと」うまく言えないのか、少女は口ごもった。
「なぜかしら。ここには初めて来たはずなのに、わかるような気がするの、わたし」
ヒウノは
「行きましょう。きっと、こっちだわ」
そう言って彼女は、人が通った痕跡のない茂みへと足を踏み入れた。
しばらく進んだのち、少年は表向きには何かに勘づいたふうには見せず、少女に合図を送った。誰の姿も見えない。しかし、確かに見られている。少女も気づいたようだった。「ここはわたしに任せてちょうだい」少女はあえて目立つよう、ひとり進み出た。
うかつにすぎる。ヒウノが止める間もなく少女は風を巻き起こし宙に浮かび上がると、張りのある透き通った声で高らかに叫んだ。
「わたしはリト。あなたたちセラフェイオンの――メナの者に呼ばれこの地へ来ました。集落までの案内をお願いしたいのです」
少年は一層警戒を強めた。息を凝らし、わずかな動きも見逃すまいと集中する。遮るもののない空にあって、彼女は格好の的だ。こうしている今にも、引き絞られた弓から、リトへ向けて矢が放たれるかもしれない。
耳を澄ませても、物音は何ひとつ聞こえなかった。自分の鼓動だけがどんどん強くなってゆく。
しばらくの緊張が続いたのち、声がした。
「お前はあの子の――レレンの姉だね」
しわがれた老婆の声だった。反射的に身構える。だが、よくよく聞くとこれまでに襲ってきた老婆とは異なる声で、ヒウノは肩の力を抜いた。
「わたしの弟です。あなたはあの子を知っているのですね?」
がさりと草木を揺らす音がしたのち、数人の老婆が姿を現した。そのうちのひとりがふんと鼻を鳴らし、つっけんどんな返事をする。
「もう面倒ごとはよしておくれ。ここには年寄りしか残っていないんだ。お前たちの帰りを待つ者なんて、誰もいやしないよ」
「――弟に、会わせてください」
「あぁ。済んだらとっとと帰りな」
なぜこうまで邪険に扱われるのだろう。初めて会ったばかりであるのに。少年は釈然としない面持ちだ。一方、リトはそれを当然のように受け入れている様子に見えた。
老婆たちに先導され、間もなくふたりはこの旅の終着である集落セラフェイオンにたどり着いた。
第36話 終
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