第22話 雲の檻
リトは、幼いころの夢を見ていた。狩りに出る夢だ。部族が明日を生きるために害意の化身を討ち、狩り手の帰還を祈るのが、少女に課せられた役目だった。
害意はきまって鳥の姿をしていた。空を覆うほどに大きな体をもつ、おそろしい怪物だ。戦う大人たちの背を見ながら、少女はただひたすらに祈った。お守りにと持たされた真っ白な小刀を強く握りしめると、いくぶんか恐怖がやわらいだ。
彼女が務めを終えて村へ帰るとき、誰かが欠けていることが多かった。「気に病まずともよい」と残った大人は、彼女の小さな頭を撫でながら言う。振り返っても、ひとつとして亡骸はない。人も怪物も、動かなくなったものの姿はどこにもなかった。
視線の先には、いつだって真っ白な砂が静かに横たわっているだけだった。何度も繰り返し見てきた光景だ。
それから年月が流れ、心は清らかなまま、少女は美しく育った。彼女は今、牢につながれていた。罪人として――。
*
夜闇がその色を深くしたころ、ヒウノは巨大な牢の足もとにたどり着いた。明かりはひとつもない。異様なまでに強い香りを放つ花々が彼を出迎える。自然の群生とは思えない、ほの白く背丈の高い花。その香りが何を
(ここで、どれほどの人が亡くなったのか……)
腐臭だ。牢の役目を思えば、なんら不自然ではなかった。眼前の牢は、罪人を生かし捕らえておくものではない。罪人に死を与えるのが目的なのだ。風にのって街まで届く香りは、花のそれだけであろう。牢の真の姿は、街の人々には秘匿されていた。
ヒウノは歯噛みをした。少女はここにつながれているのだ。美しい花でむごたらしい死を覆い隠すような、そんなところに。あれからひどい目に遭っていないだろうか。こうしている今、彼女が落ちてきたらと思うと
(そうならないために、ここへ来たんだ)
手のひらには琥珀色に光る石があった。発する光は鈍い。大樹の森で操るときは、移動だけでなく明かりとしても役立ってくれていた。しかし、今は期待できそうにない。
好都合だった。
(いけない。今に集中しよう)
樹上を目指すのに比べれば、人口の建物は平坦でのぼりやすい。瞬く間にヒウノは塔の頂上へとたどり着いた。
*
夜目をきかせ、ヒウノはいくつかの鳥籠の姿を認めた。中に生者がいるのか骸があるのか、そこまでは見えない。強い花の香りをかぎすぎた。嗅覚はあてになりそうにない。ひとつひとつあたっていこうか。しかし、もし彼女とは別の、生きた投獄者に出会ったときはどうする。助ける理由はもちろんない。だが、騒がれては厄介だ。
思案していると、耳のすぐそばで、ひゅうと風を切る音がした。何かが少年の横をとおりすぎた。飛翔する何かが。
それはきっと鳥なのだろう。ヒウノはそれを「鳥に違いない」と確信した。鳥の出現は少年の思考の幅を一気に狭めた。瞬時に次の行動を促す。ヒウノは鳥のあとを追って、牢の頂を駆けた。鳥は彼女につながっているはずだ。鳥の羽ばたきは、彼女の命に向かっている。昼間の街でもそうだったように。
夜闇にうっすら銀の輝きが見えた。鳥に誘い出されている。先に待つのは宙だ。
ゆらりとした動きに、いっさいのためらいはなかった。銀色を発する主が鳥へと向かって手をのばし、その体が音もなくするりと下方へ落ちた。
縄が少女の柔らかな首を絞めあげる。だらりと腕が下がる。表情になんら変化はない。虚ろな双眸は、自らにでなく鳥にだけ向けられていた。
刹那、刃が
空に身を投げ出したヒウノは、手を伸ばして少女の衣服を掴むと、ありったけの力で手繰り寄せた。薄布の裂ける音が耳に届いたが、気になどしていられない。そのまま強く引くと、ようやく彼女の二の腕に触れた。けっしてはなさないよう力を込めて掴む。空いた利き手から、牢の壁面に向けて琥珀色の石を放つ。地に引き寄せる力がいつにも増して強く感じた。ふたりぶんの加重がかかっているせいもある。落下する力がなかなか失われない。
少年の手が、少女の腕を否応なしに滑ってゆく。けっしてはなすものか。少女の細い腕にあとが残るほど、強く強く握りしめた。ヒウノの手がリトの手首まで滑り下りたところで、ようやくふたりの体が止まった。
見ると、少女のつまさきが白い花を頷かせていた。
第22話 終
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