第27話 重荷

 足が重い。リトは自身の体をめぐる血の流れが、どんよりと濁っているように感じていた。森を奥へ奥へと進むにつれ、何者かの手で地の底に引きずり込まれそうな、強い不快感に襲われる。ゆっくりと歩いているはずなのに息が苦しい。少年に気取けどられてはならない。少女はつとめて平静を装った。

 ヒウノはそんな彼女の様子にすぐに気がついた。水につかったせいで体温が奪われたにしては、どこかおかしい。このままでは、おそらく追っ手から逃れられないだろう。少女には休息が必要だった。しかし、渡し板は一本道だ。身を隠せる場所はどこにもない。あるとするなら水中か、あるいは――。ぐずぐずしてはいられなかった。


「リト、ちょっと休もう」

「大丈夫よ。わたしは平気だから。もう、これ以上あなたに――」


 迷惑はかけられない。そう続くはずだった言葉は、少年によって遮られた。

 ヒウノは少女をぐいと抱き寄せた。彼女からの抵抗はまったくなかった。弱っているのが明らかにわかる。リトの額が少年の胸をどんと叩く。「少しだけ目を閉じていて」少年が言い終えるや否や、少女の体が浮遊感に襲われた。突然のことに戸惑う少女。言いつけを守らなければと、ぎゅっと目を閉じ、少年の体にしがみついた。

 ヒウノは光紐をのばし、樹冠じゅかんを目指した。紐の長さは、ひと息に頂まで届くほどではない。足場のない幹をのぼるときは、次の上昇へうつるために再び石を投げ上げる必要があった。石が幹をつかむまで、ふたりの体には地へ引き寄せる力がかかる。

 瞳を閉じていても、体が持ち上がってゆくのが少女にはわかった。ときおり、わずかのあいだ落下するものだから、怖くてたまらない。少年が自分を手放すとは、つゆほども思っていなかった。けれど、リトは必死にしがみついた。

 自分は彼にとって重荷だ。いつか手放されてしまうかもしれない。


(この人は、本当ならもっと身軽になれるのに……)


 少女の胸にじわりと不安が染み出した。



 *



「もう目を開けていいよ」


 少年の声がした。優しい声音だ。少女はおそるおそる目を開ける。高いところにいた。自分の足で立っている。けれど、足の先から土とは違った感触がした。

 ふたりは巨大樹の枝の上に立っていた。


「リト、こっちへ」


 少年に手を引かれ少女は歩を進めた。眼下はおよそ見通せず真っ暗だ。吸い込まれそう。リトの体がぶるりと震えた。恐怖からすり足になる。鈍重な自分が情けない。しかし、そんな彼女を導くヒウノの目は、とても優しく、温かかった。

 枝の根元は、ふたりが休むのに十分な幅があった。その気になれば横になって休むことだってできる。もっとも、寝相が悪くなければの話だが。

 腰を下ろすと、どちらからともなく自然に身を寄せ合った。弟のように思っていた少年の体は、想像よりずっとたくましく、少女は驚いた。寄りかかった腕から硬さが伝わってくる。不思議な安堵感に包まれた。


「ねえ、ヒウノ」

「うん」

「――ごめんなさい、なんでもないの」


 リトはおもむろに彼の胸に顔をうずめた。地面をはなれてから、少しだけ息苦しさが和らいでいた。きっと疲れていたのだ。無性に甘えたかった。誰かに寄りかかりたかった。わがままだろうか。瞳を閉じて、少年の体をぎゅっと抱きしめた。抵抗はなかった。


「ごめんなさい……」

「いいよ」


 少年の優しい否定に、少女の胸がずきんと痛んだ。



 第27話 終

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