第28話 雪のように

「さっきの話だけれど」


 ヒウノが口を開いた。さっきとはいつだろう。はじめ、少女は何を指しているのか思案した。それほど、彼女を取り巻く状況は、めまぐるしく変化していた。街の景色を楽しんでいたはずが、気づけば森の中にいる。おまけに、なぜか警察に追われる身だ。自分が何かしでかしたのかもしれない。そうだ、それが知りたかったのだ。彼に詰め寄ったのを思い出す。


「君は不思議な力を持っているね」

「うん。ほんの少し自然に働きかけられるの。わたしたち部族の血のなせるわざなんだって。小さいころ、お母さまから聞いたわ」

「風を起こしたり、波の上を歩いたり」

「そう。そのくらいの、ささやかな力」

「他には?」

「あとは、お祈りかしら。村を守るため、大人たちが戦いに出るの。そのときに同行して、みんなの無事を祈っていたわ」

「そう」


 ヒウノには、彼女が嘘をついているようには思えなかった。澄んだ瞳はまっすぐで、いささかの曇りもない。しかし、少女の「力」の認識にずれがありすぎる。巨大樹を消し去り、時計塔を崩壊させた強大な破壊の力。なぜそれが語られないのか。釈然としない彼の様子を見たのか、「そういえば」と少女は思い出したように、ぽつりともらした。


「ときどき記憶が途切れることがあるの。気がつくと目の前には白い砂の景色が広がっていて……」


 そうか、とヒウノは納得した。白銀の髪をした彼女が破壊の力をふるうとき、おそらく彼女の意識は失われているのだ。障害を排除するときに見せる赤い瞳は、ふだんの優しい彼女からはほど遠く、冷たい。

 少年は短く安堵の息をついた。破壊の力は少女の本心から生まれたものではないと、そう感じられたからだ。


「わたしは自分が何をしたのか知りたい。でも、それがあなたを困らせるのなら、もう聞かない」


 少女は自身の手首をさすりながら、きっぱりと言った。縄のあとは色濃く残っている。あざになって消えないかもしれない。これはきっと罰なのだ。犯した罪を忘れて生きるなど、許されるはずがない。

 リトは彼方を見やった。ときおり雪片の舞う景色が、息を呑むほどに美しい。「これ以上の幸せなんて、求めてはいけないのよ」唇をほんの少し動かしただけの言葉は、少年の耳には届かなかった。


「リト。よく聞いて。君はとても強い力を持っている」


 嘘やごまかしはよくない。ヒウノは迷いなく思った。これからも彼女と歩んでゆくのなら、心が向き合っていないことは、やがて大きな隔たりになる。おたがいの心が遠くなれば、しだいに体も離れてゆくだろう。今、こうして身を寄せ合っている距離を大切にしたい、少年はそう思った。


「君の力は、君が知っているものとはだいぶ違う。強すぎるんだ。使いかたを間違えれば――」

「強い? それって、どういうふうに?」

「……うん」

「わたし、誰かを傷つけた? ひょっとして、もっとひどい――」


 少年はかぶりを振った。街に大きな被害はあったものの、幸い彼女の力の行使による死傷者はいなかった。事実である。

 リトはすがるように、正面からヒウノを見つめた。瞳には、悲しみが満ち満ちていた。「この子は感づいているのかもしれない。自身がこれまでにしてきたことを」少年は迷った。自分の口から真実を告げてよいのだろうか、と。


「ねぇ、ヒウノ。今はまだ、雪が降る季節ではないのよね?」


 唐突に話が変わったが、少年は淀みなく「うん」と答えた。


「わたしとおんなじだ。ここにいてはいけない、そんな存在。わたしも、こんなふうに消えてしまえたらよかったのに」


 少女の鼻先に舞い降りた雪が、彼女の体温で音もなく消えた。


「わたしが怖い?」

「ううん、怖いなんて、思っていないよ」

「――そう」


 少女は短く言うと、ヒウノの胸に体をあずけた。か細い指が少年の衣服をぎゅっとつかむ。身を縮め黙り込んだ少女は、かすかに震えていた。



 第28話 終

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