第21話 少女の痕跡
警察での聞き取りを終えたヒウノは、ひとり、あてどない帰路につく。リトが泊まるはずだった宿に立ち寄り、予約を取り消した。表へ出ると、時計塔崩壊の被害がほぼなかった大通りはそれなりに賑わっている。街を彩る明かりや旅の夜を楽しむ人々の声が、今の少年にはどこか遠い世界の出来事に思えてならない。
ふと気づくと通りをはずれ、昼間、少女を待たせた洋裁店に足が向いていた。
「──なくなっている」
ショーウィンドウを見ると、そこに飾られていたものが姿を消し、トルソーだけになっていた。色こそ違えど、リトが身につけていたスカートが確かにあったはずなのだ。
ヒウノは悔しさに奥歯を噛む。となりで微笑んでいた彼女が、まるではじめからいなかったかのように感じられた。
「……ヒュー兄ちゃん」
いつの間にやってきたのか、少年からやや離れたところにシィが立っていた。出会ったときとは違い、彼に近づくそぶりを見せない。ヒウノが向き直ると、今にも泣き出しそうな顔をして俯いた。
「シィ?」
少年の声音はどこまでも優しい。
「あたし、まだお兄ちゃんって呼んでもいいの……? リトさんにあんなことをして、嫌われてもしかたないよね。けれど、お仕事だから謝ってはいけないの。でも、大好きな人に嫌われたくなくて……」
「シィ──おいで」
「嫌いに……ならないで……」
恐れに
「警察の仕事が板についてきたね。驚いた。あれでよかったんだ」
「でも、リトさんが……」
「シィはリトを助けてくれたじゃないか。ありがとう」
「……うん」
短く頷いたのち、彼女は少年の胸に顔を埋め肩を震わせると、やがて声をあげて泣いた。つらさと悲しみ、そして何よりも安堵から大粒の涙がとめどなく溢れる。泣きやむそのときまで、少女は「ごめんなさい」とは口にしなかった。
*
「ヒュー兄ちゃん、どうしよう。リトさんが──」
胸のつかえがおり、シィはもうひとつ抱え込んでいた不安を話し始めた。ヒウノは彼女が何を言わんとしているのかを察し、言葉を遮る。
「シィ。それは、僕に話してもいいことなのかい?」
「うん。街中に知らせるみたいだから、大丈夫」
少年は頷いて次の言葉を促した。
「リトさんが入れられた
「雲の檻に──」
リトの収監先は、人工の建造物としては世界有数の高さを誇る、百メートルほどの塔にあった。
雲の
太古の時代、生に執着するあまり禁を犯し、強大な力をもって大地を空に浮かばせ、雲の彼方へ逃げ隠れた人々がいたという。地図から姿を消した地、フィルアノアに住まう民である。飛行機械の
「警察はリトを解放するつもりはないんだね」
「うん。きっと、もう……」
雲の檻は、牢とは名ばかりの──実際は処刑法のひとつと言えた。
ふたりのもとへ、息を切らせてシズがやってきた。おおよその事情を知っているのか、彼女の表情は険しい。
「ヒュー君。シィもいたのね。会えてよかったわ」
「お姉ちゃん、どうしよう」
「そうね。なんとかしてあげたいけれど──リトちゃんが悪いことをしたのは確かよ。あたしたちが父さんに話したところで、どうにもならないでしょうね」
不安そうに擦り寄ってくる妹の髪を撫でながら、シズは眉をひそめる。出会って間もないといえ、少なからずリトへの情が湧いていた。弟のように可愛がっているヒウノが、彼女に接するとき明らかに心を許している様子が見てとれ、うれしくも思っている。しかし、正義感より情を優先させられる彼女ではなかった。
ヒウノは目を閉じて考えていた。今、自分が本当にやりたいことが何であるのかを。
(僕が本当にやりたいことは、僕でない誰かには決められないんだ)
すっと開かれたヒウノの瞳に、わずかばかりも曇りは見られない。少年の決意が痛いほど伝わってきて、シズは困ったような、それでいてちょっとだけうれしいような、そんな複雑な表情を浮かべた。
「ヒュー君、いい。自分の考えだけで、勝手に帰る場所をなくしちゃだめよ。あたしたちがいつだってあなたを想っていること、忘れないでね」
「シズ姉さん──」
自分がこれから向かう先を、姉と慕う女性はすべて察してくれている。ヒウノは驚きに目を見開き、次いで軽く息をもらすと、込み上げてくるうれしさを噛みしめた。
「ヒュー兄ちゃん、あたし、たぶんよくわかっていないんだと思う。でもね、お兄ちゃんが元気でいてくれれば、それだけでいいから。帰って、きてね……?」
「シィ。うん、約束する」
「ふふっ。これでもう安心だね。ヒュー兄ちゃんが約束を破ったことなんて、一度も、ないもの」
口もとに笑みを浮かべるシィ。しかし、少女の目端にはじわりと涙が
「シズ姉さん、シィ。ありがとう。──行ってきます」
姉妹のあたたかな思いやりは、ときとして足を重くする枷になる。短く別れを告げて駆け出した少年。その後ろ姿は、夜と混ざり合い、瞬く間に消えていった。
第21話 終
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