第19話 彼女のもとへ


 ヒウノは注意深く老婆と向かい合った。

 濃紺のゆったりとしたワンピースに、まぶかにかぶった同色のフェルト帽子が目を引く出で立ち。鼻や頬、杖を持つ手にはしわが走り、高齢であるのがうかがえる。


「おばあさん、あなたは誰です? リトを知っているんですか?」

「リトだって……?」


 目を見開き大仰おおぎょうに驚いた彼女は、声をあげて笑った。三つ編みにした白髪が体の動きに合わせてゆれる。少年は平静を保ったまま老婆を見据えた。ヒウノの様子をつまらなく感じたのか、彼女は真顔に戻りため息をつくと、周囲に届かないほどの小声で言う。


「お前、リトとやらに何も聞いてなさそうじゃないか。まったく、欲に駆られておりから出てくるなんて、ろくなもんじゃない。悪いことは言わないよ、さっさと町へお帰り。愛しい者に死なれるのは嫌だろう──火に呑まれでもしたらねぇ」


 少年の髪の毛がざわりと逆立つ。老婆が指した「火」から、両親を襲った災禍さいかを思い出す。ついで浮かび上がる疑念。なぜ初めて出会った彼女の口から、死を想起させる言葉が出てくるのか。あなどられているのは明白であったが、害意があるかどうかが見定められない。


「あの夜、森が燃えるのを見ていたんですね」


 根拠はなかったが少年はあえて断定した。誘いにのってくれば、知り得ない情報が聞けるはず、と。


「見ていた? 馬鹿を言うんじゃないよ。心変わりした愚か者のかわりに、あたしがやったのさ」


 老婆の口の端がゆっくりと上がってゆく。


「──娘を殺すためにねぇ」


 彼女はにやりと意地の悪い笑みを浮かべ、挑発するようにヒウノの目を覗き込んだ。少年は拳を強く握り、怒りの感情をおさえる。彼女のげんを鵜呑みすれば、事実を見誤るおそれがあるからだ。


「……なぜリトの命を狙うんですか?」


 その様子がよほど可笑しいのか、老婆はあわれみをあらわに告げる。コツンと音を立て、杖がレンガ屋根を突いた。


「思い知るといいさ」


 短く言い放った彼女の足下に、小柄な身長に不釣り合いな大きな影が広がる。陽の光によって生み出されたものではない、異質な闇。せせら笑う老婆の体が暗い円に沈み、消えてゆく。


「あれがどれほど危険な存在か、よく見ておきな」


 彼女が言い終えると影が赤黒く色を変えてうごめき、空へと噴き出しかたちをなした。命あるものの証明が一切抜け落ちた、異形の鳥。ヒウノの前に再び出現した異様は大きく羽ばたき、街の一点を目指して飛翔した。



 *



 翼開長よくかいちょうが十メートルにもなる怪鳥が現れ、街はたちどころに大混乱に陥った。逃げ惑う人々が激流となり、異形の進行方向とは逆に向かって押し寄せる。

 たったひとり、少年だけが鳥のあとを追う。


「リトのところへ向かっている」


 屋根の上にいたのが幸いし、ヒウノの行く手を阻むものはひとつとしてなかった。大地を駆ける速度といささかも変わらず、少年は風を切って進む。広くあいた建物間のすきまを怯まずに跳躍。着地の衝撃でレンガ屋根が崩れたが、気にはしていられなかった。すばらしい速力で異形との距離を詰めてゆく。

 眼下をちらりと見やる。街の中心が近づくにつれ人影はまばらになり、数名残っているのは警察官だった。ひときわとおる聞き慣れた声が耳に届く。人々の避難誘導にはシィも加わっていた。ヒウノは地上へ降り立ち、走りながら彼女に短く問う。


「シィ、リトは?」

「ヒュー兄ちゃん! 無事でよかった。リトさんはひとりで──じゃなくて、誘導に従って安全な場所へ避難してください!」


 間近にそびえる時計塔を見ると、時刻はまもなく十五時を指そうとしていた。リトとの待ち合わせ場所である自然公園の上空を、怪鳥が旋回している。


「僕はリトのところへ行く!」


 鐘が鳴り響き、川をわたるための跳ね橋が重い音を立てて上がってゆく。

 少年は目の端で公園の中心にいるリトの姿を認めた。


「戻って、ヒュー兄ちゃん! 跳ね橋が──!」


 ぐんと加速したヒウノは、躊躇なく橋の斜面を駆け上がる。開き切るすんでのところで反対側へ着地すると、急勾配を滑り落ちてゆく。勢いのまま転がる彼の体を、自然公園の土がやわらかく受け止めた。

 少年は立ち上がり、叫ぶ。


「リト! ここでその力を使っては駄目だ!」


 少女の長い髪が風に踊り、栗毛から白銀へと徐々に色を変える。ヒウノの脳裏によみがえる、彼女と初めて出会った夜の出来事。木々と異形を白い砂に変えた破壊の光。街中であの力がふるわれたら──そう思う少年の前で、リトの瞳がゆっくりと開いていった。



 第19話 終

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