第19話 彼女のもとへ
ヒウノは注意深く老婆と向かい合った。
濃紺のゆったりとしたワンピースに、まぶかにかぶった同色のフェルト帽子が目を引く出で立ち。鼻や頬、杖を持つ手にはしわが走り、高齢であるのが
「おばあさん、あなたは誰です? リトを知っているんですか?」
「リトだって……?」
目を見開き
「お前、リトとやらに何も聞いてなさそうじゃないか。まったく、欲に駆られて
少年の髪の毛がざわりと逆立つ。老婆が指した「火」から、両親を襲った
「あの夜、森が燃えるのを見ていたんですね」
根拠はなかったが少年はあえて断定した。誘いにのってくれば、知り得ない情報が聞けるはず、と。
「見ていた? 馬鹿を言うんじゃないよ。心変わりした愚か者のかわりに、あたしがやったのさ」
老婆の口の端がゆっくりと上がってゆく。
「──娘を殺すためにねぇ」
彼女はにやりと意地の悪い笑みを浮かべ、挑発するようにヒウノの目を覗き込んだ。少年は拳を強く握り、怒りの感情をおさえる。彼女の
「……なぜリトの命を狙うんですか?」
その様子がよほど可笑しいのか、老婆は
「思い知るといいさ」
短く言い放った彼女の足下に、小柄な身長に不釣り合いな大きな影が広がる。陽の光によって生み出されたものではない、異質な闇。せせら笑う老婆の体が暗い円に沈み、消えてゆく。
「あれがどれほど危険な存在か、よく見ておきな」
彼女が言い終えると影が赤黒く色を変えて
*
たったひとり、少年だけが鳥のあとを追う。
「リトのところへ向かっている」
屋根の上にいたのが幸いし、ヒウノの行く手を阻むものはひとつとしてなかった。大地を駆ける速度といささかも変わらず、少年は風を切って進む。広くあいた建物間のすきまを怯まずに跳躍。着地の衝撃でレンガ屋根が崩れたが、気にはしていられなかった。すばらしい速力で異形との距離を詰めてゆく。
眼下をちらりと見やる。街の中心が近づくにつれ人影はまばらになり、数名残っているのは警察官だった。ひときわとおる聞き慣れた声が耳に届く。人々の避難誘導にはシィも加わっていた。ヒウノは地上へ降り立ち、走りながら彼女に短く問う。
「シィ、リトは?」
「ヒュー兄ちゃん! 無事でよかった。リトさんはひとりで──じゃなくて、誘導に従って安全な場所へ避難してください!」
間近にそびえる時計塔を見ると、時刻はまもなく十五時を指そうとしていた。リトとの待ち合わせ場所である自然公園の上空を、怪鳥が旋回している。
「僕はリトのところへ行く!」
鐘が鳴り響き、川をわたるための跳ね橋が重い音を立てて上がってゆく。
少年は目の端で公園の中心にいるリトの姿を認めた。
「戻って、ヒュー兄ちゃん! 跳ね橋が──!」
ぐんと加速したヒウノは、躊躇なく橋の斜面を駆け上がる。開き切るすんでのところで反対側へ着地すると、急勾配を滑り落ちてゆく。勢いのまま転がる彼の体を、自然公園の土がやわらかく受け止めた。
少年は立ち上がり、叫ぶ。
「リト! ここでその力を使っては駄目だ!」
少女の長い髪が風に踊り、栗毛から白銀へと徐々に色を変える。ヒウノの脳裏によみがえる、彼女と初めて出会った夜の出来事。木々と異形を白い砂に変えた破壊の光。街中であの力がふるわれたら──そう思う少年の前で、リトの瞳がゆっくりと開いていった。
第19話 終
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