第4話 異様
赤黒い巨体が、不規則に並ぶ樹々の間を飛んでいる。
くちばしや羽毛、うろこを持つ後肢はないが、それは確かに鳥の姿をしていた。翼を広げると、先端からもう一方の先端まで十メートル。体内が鈍く透けており、生物の証明とも言える骨格や器官の一切が抜け落ちているのが見えた。翼が木の幹にふれると、ぐにゃりととけてすり抜け、元に戻る。
どこへ向かっているのか、猛然と飛ぶ怪鳥の腹の中に少年の姿はあった。
(森の──いや、生き物じゃない)
鳥の体内で少年は目を開き、それが生物でないとすぐに知った。体の内側にいながら、地面や樹々が見えたのだ。そのすべては、赤黒い色をしていた。
(この臭い。血が通っている──?)
鉄の臭気が鼻をつく。臭いから逃れようと顔を動かしたそのとき、少年は視線の先にあるものを見てはっとした。くちばしのあたりに、少女の姿を見つけたのだ。
(飲み込まれたのは、僕だけなんだ)
少年の見る先で、彼女の姿が徐々に遠ざかってゆく。自身のおかれた状況を察して、少年は身構えた。視線を下げると、すぐ真下に地面が迫っている。
鳥はまるで生き物の生理行動のように異物を排出した。少年の体が地面を激しく転がる。そのまま朽ちて倒れた老木に打ちつけられると、宙に投げ出された。あまりの痛みに、たまらず呻く。ほんの数秒、呼吸が止まった。
(どこか怪我をしただろうか? 父さんのようになったら、いけないのに──)
自身の無事よりも先に、いつか見た、泣き崩れる母の顔が浮かんだ。体を強く打ち、時が静止したかのような錯覚に陥る少年だったが、歯を噛みしめ我に返る。
少年が鋭く右腕を振り上げると、琥珀色の輝きが紐状になって地面へ向かい伸びてゆく。光る先端が大地を捉えると、紐がピンと張った。握った拳を引くと紐が急激に縮み、少年の体が勢いよく引き寄せられる。
地面にぶつかるすんでのところで手を薙ぐように振ると、琥珀色の輝きは消え、少年は手足をついて着地した。そのまま獣のような姿勢で地を蹴ると、電光のごとく飛び出した。
(あの子を、このままにはしておけない)
少女を追い、樹々の間を軽やかにすり抜けてゆく少年。その息遣いは、短く荒い。夜目のきく少年がその姿を見つけるのに、さほどの時間はかからなかった。鳥は大樹の存在など意に介さず、ただまっすぐに飛んでいる。
少年は自らが立てる音をできるだけ抑えて、鳥との距離を詰めてゆく。
鳥の頭部がはっきりと見えた。そこに少女の姿はない。少年は全身の毛が逆立つの感じた。捕らわれた獲物は、飲み込まれていたのだ。
(僕はすぐに吐き出された。あの子は、どう──)
そのとき、突如右手が熱を持ち少年の思考を遮った。刺すような痛みが走る。見ると、手のひらにはいつの間にか琥珀色に輝く石が現れていた。光はいつにも増して強く、少年の手を焼かんばかりである。
(願っていないのに、どうして。鳥に反応している? それとも別の──)
少年の手の内で暴れる光が一点に集まると、閃き、鳥の喉元を射抜いた。光の先端が宙空に静止する。驚きを隠せずにいる少年をよそに、石は凄まじい速さで持ち主の体を引き寄せた。
眼前に迫る鳥の赤黒さの中に、うっすら別の色が見える。それが何であるのかすぐに気づくと、少年は左腕を大きく広げたまま鳥の体内へ入り込んだ。
(どうか、無事でいて──)
肌のところどころが赤くただれ意識のない少女を、少年は確かに抱きとめた。そのまま鳥の体をずるりと抜け、ふたりは宙に投げ出される。彼女をこれ以上傷つけまいと、少年は自らの体を下にして地を滑った。右腕に皮膚の裂ける痛みが走り、顔がゆがむ。
(体勢を、なおさないと)
少年は指を地面に突き立てて滑る勢いを殺すと、のそりと体を起こした。息が荒い。自分の血で汚れるのが申し訳ないと思いながら、少女を利き腕で支えると、左手で小刀を抜きゆっくりと構えた。
獲物を奪われた異形が、ふたりに迫る。目こそないが、少年は鳥が自分を見ていると、はっきり感じ取った。
(どうして、この子を狙っているのだろう)
少年が深く息を吐くと、震える刃の切っ先がぴたりと止まる。
少女の身をそっと横たえ、鳥との間合いを詰めた。よほど痛むのか、右腕はだらりと垂れ下がったままである。その指先は血と土にまみれていた。少年の腕から赤い雫が滴る。
それを合図にするかのように、少年のすぐ脇で目を開けていられないほどの光があふれた。光は鳥の体を呑み、向こう数キロメートルを一瞬で駆け抜けてゆく。光の通ったあとには異形も木々もなく、すべてが白い砂と化していた。
少年が傍らを見ると、右腕を水平にあげる少女の姿があった。その髪は雪のように白く、冷ややかにかなたを見やる目は、血よりも鮮やかな赤色をしている。
指先に残っていた光が淡くゆれ、消えてゆく。彼女が使った力は、怪鳥の存在を超える異様であった。
第4話 終
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