第6話 夢と、願いと

 年頃の女の子を、あれこれと詮索してはいけません。それから、女子が肌を見せるのには勇気がいるのよ、とかなんとか出がけに母に叱られ、ヒウノはすっきりしない面持ちである。前者はよくわかった。しかし、後者がいまいちわからないのだ。


「男の子の服を着たの、わたし初めて。サイズもぴったり」


 対するリトは楽しげである。


「擦れて傷が痛むかもしれませんが、少しだけ我慢してください」

「ありがとう。でも、平気よ」


 少年は自分の服に身を包む彼女を見て、着る者が変われば、ずいぶん趣が違うのだな、と感心していた。

 灰色の七分袖のシャツに、サスペンダーの付いた黒い下衣は、すそを膝上までロールアップしてショートパンツのように見せている。温かみのある革製のブーツで足元を飾り、長い髪は三つ編みにして黒色のハンチング帽におさめた。

 男子に見える装いは、「まあ、かわいい」と少年の母親がはしゃいだ結果である。


「おばさまのお洋服のままでも、よかったのだけれど──」


 そう言ってリトは、少年の母から借りた小さなバッグを肩にかけながら、ちらりと少年に視線を送る。


「あまり肌を見せて歩くのは、いけないわよね。男の子が変に意識しちゃうかもしれないもの」

「そうですね。傷が多いと見ていて心配になりますから」


 いたって真面目にヒウノは答えた。会話が少しばかりずれている。からかったつもりの少女は、おばさまから聞いたとおりね、と、くすっと笑った。


 少年の住む家は二階は住居に、ふたりが顔をあわせた屋根裏は少年の部屋に、今いる一階は倉庫になっていた。広いスペースの脇には、何かの整備に使うのであろうさまざまなサイズ・形状の品々が置いてある。どれもきれいに並べられていて、使う者の性格が窺えた。


「ところで、これは?」


 リトは目の前にある乗り物らしきものの胴体にふれる。丸みを帯びた表面はひやりとして、その材質は金属でなく木であった。おそらく人や物をのせるのだろう、前後にふたつの空間がある。そのうちのひとつ、前部を背伸びしてひょいとのぞき込む。計器や操縦桿、ペダルなどを見ても、それらがどんなものであるのか想像がつかず、彼女は小首を傾げた。


「これは船です。町まで歩いて行くのは、大変なので」


 胴体から左右に一枚ずつ広がる翼を折りたたみながら、ヒウノはそれを船と呼んだ。


「乗り物なのね。ロバが引いてくれるの?」

「──いえ」


 出発の準備を進める少年の手が、わずかな時間ぴたりと止まる。直後、彼は自分のうかつな行動に気がついた。取り繕ってはいけない。そう意識して少女に向き直り、笑顔で答えた。


「この乗り物は、動物に引いてもらわなくても動くんですよ」


 しかし、少年の返答に間があったことを気にしてか、リトの表情が曇る。


「ごめんなさい。わたし、おかしなことを言ったのよね」

「いいえ。僕だって、これがどういった仕組みで動くのかよく知りません」

「……そうなの?」


 疑うようなまなざしの少女に、少年ははっきりと否定して見せた。そして、励ますのでなく、己の無知を事実として伝えた。


「ええ。だからこそ、知りたいと思うんです。この船だけではありません。他にもまだたくさんある、僕の知らないことを──」

「そう。夢を持っているのね」


 俯いていた少女が顔を上げる。その表情は穏やかであったが、瞳は今にも泣き出しそうだった。少年は理由を問わない。


「はい。リトさんにはあるんですか? 夢とか、願いとか」

「夢、願い……」


 リトは少年の言葉を反芻はんすうする。


(わたしの夢、願いは──)


「弟がひとりいるの。レレンって言って、ふふっ、レン君と名前が似ているわね。早く会って抱きしめてあげたくて。それがわたしの願いなの」


 そう口にしたとたん、少女の顔は生き生きとし輝きを取り戻した。


(落ち込んだわたしなんて見せられない。あの子を迎えるときは笑顔でって、決めたんだもの)


 少年の目には、それがとても眩しくうつった。


「ねえ、レン君。お願いなんだけれど、わたしがまたおかしなことを言い出したら、注意してくれる?」


 調子を取り戻した少女を見て、ヒウノは笑みを浮かべ頷いた。


「レレン君は今どこにいるんですか?」

「たぶん、大きな船が見られる場所に立ち寄ったと思うの。本で見た船をすごく気に入っていたから」

「では、町で聞いてみましょう。知り合いが宿をやっていて、きっと力になってくれます」

「ありがとう」

「あと少しで支度がすみますので、待っていてください」


 彼の邪魔をしてはいけないと少女はそれきり話しかけず、ひとり格納庫を出てぶらぶらした。



 *



 少女は家のすぐそばに、水が湧いているのを見つけた。のどが渇いていたわけではないが、すくって口に含んでみる。


「おいしい……」


 ほうっと息をはき、余韻に浸る。

 周囲に目をやると、自然の深い緑に不思議と心が穏やかになっていくのを感じた。見上げれば、枝葉の隙間にわずかばかりの青い空がのぞいている。遠くから鳥のさえずりが聞こえた。


「ずっと、ここにいたいな──」


 膝を抱えて座り込みぽつりとつぶやくと、ひとり静かに瞳を閉じた。



 *



 頬から伝わるひんやりとした感触に、リトは自分がいつの間にか寝入ってしまったのだと気がついた。うつぶせのまま、顔を少し起こす。見ると、少年がかたわらに座っていた。


(レン君だ──)


 少年が何も言わずそばにいてくれたことが、少女はたまらなくうれしかった。「ごめんね。もう少しだけ」とささやいて、彼女は幸せな気持ちでまどろみに落ちていった。


 それからほどなくして、ふたりは格納庫へ戻った。

 出発の前に「これを」と手渡されたレトロなハーフヘルメットとゴーグルを見て、「これは?」と少女は目をしばたたかせる。そんな自分を笑わない少年に、リトは家族にも似た好意を寄せるのだった。



 第6話 終

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