第4話 ロスタイム



 放置できないよなぁ…。と、思いつつ一日が終わり、二日が過ぎて、三日が経った。真奈美さんの残り出席日数は順調にカウントダウンされた。出席日数が限界を割ったその日も何事も無いように過ぎていった。放置できないと思っていた俺も、その日、普通に授業を受けて、弁当を食って、掛け持ちして全部幽霊部員になっている部活のどれかを冷やかして、帰った。


 一人、留年が決定した日も、学校はいつもどおりで、町もいつも通りだった。


 美沙ちゃんのうちでは、なにか違ったのだろうか。


 そんな風に思い出したのも、夜、布団に入ってからだった。




 そんなものだ。




 その後の日常も学校と家と往復したり、バカな妹を踏みつけたり、ハッピーや上野と遊びに行ったりした。学校のカレンダーに中間試験がやってきて、そして、終わった。


「直人…、あんた、勉強してるの?ちょっとは真菜を見習いなさい」


「ぐふふっ」


母に成績に関してちくちくと小言を言われ、妹がムカつく笑い方をした。妹はバカのくせに成績がいい。今回の中間テストは学年四位だったそうだ。妹と同じ学年の連中はさぞかし屈辱だろう。


「にーくん、勉強の仕方下手なんじゃないっすかー。暗記のコツとか教えてあげよっかー。ぶひゅひひひ」


くっそ。むかつく。


「どうすんだよ」


「おりょー?教えてもらう態度じゃないっすよー」


「教えてもらわなくていーよ」


「そっすかー。ところで、にーくん。明日、美沙っちの家に行くっすけどー。にーくんも行くっすか?」


「……行って、どうする。先々週にタイムアウトになってるだろ」


「美沙っちが、中間テスト赤点だらけだったっすー。このままだと、期末は補習と追試になって夏休みが減るっすー。私も美沙っちと夏休みに遊べないのは困るんでー、明日の日曜日、勉強教えに行くっすよー」


「えっ!お前が美沙ちゃんに勉強教えるの!?ってか、美沙ちゃんて成績悪いの?」


ありえねー。ビジュアル的にありえねー。バカ妹と知的美少女の美沙ちゃんだぞ。逆ならともかく…。いや、妹は試験の成績だけはいいからおかしくはないんだけど。


「美沙っちは、クラスでトップクラスにバカっすよー」


「世の中、いろいろ間違ってるな…」


「ってか、にーくん。察し悪いっすー」


「なにが?」


「補習と追試があるっすよ」


「あ…」


そっか。


 真奈美さんの通常の出席日数はアウトだけど、まだ夏休み中の補習とかで出席日数にカウントしてもらえる可能性があるのか。


 いや。でも…俺はもうギブアップしたんだし…。


「それが、どうかしたのかよ。ギブアップしたんだよ」


「してないっすー」


「したっつったろ」


「にーくんはギブアップしてないっす。物覚え悪いくせに、真奈美っちの出席日数をカウントダウンしてったっすー。」


「……」


「補習と追試があるって言ったとき、補習で出席日数をカウントしてもらえるかもって思ったんじゃないっすか?」


くっそ。なんだこいつ。


「…思ったよ」


妹が、してやったりと笑って言った。


「一緒に行くっすー」


「……わかった」






 約三週間ぶりの市瀬家。なんか、気が重いぜ。ってか、俺はどの面を下げて美沙ちゃんに会えばいいんだ…。


 俺の気を知ってか、知らずか、呼び鈴に返事がある前に妹がドアを開けやがった。


「ただいまー!」


「やめろ!ばか!失礼にもほどがあるだろ!」


「あらあら、真菜ちゃん。来てくれたのねー。うちの美沙がバカでごめんなさい」


「まかせろっすーっ」


いえ。お母さん。バカはこいつです。ほら、また靴を脱ぎ散らかしてる。


「直人くんも、いらっしゃい。真奈美が待ってるわよ。うふふ」


いや、待ってるはずないっすよ。ってか、なんで俺、妹について来ちゃったんだろう。あれか、真奈美さんに出席日数のアウトを伝えていじめるのか。それとも、追試と補習でなんとかなるかもしれないから、絶対に学校に行けと追い詰めるのか?どっちも鬼畜だろ。というか、今の真奈美さんに鬼畜しないのって難しくないかな。


 世の中、なにをしても鬼畜になっちゃう相手っているのな。


「お兄さん。来てくれたんですね」


おおっ。美沙ちゃん。ちょっぴり薄着になった胸元が素敵。


 ふぐっ。


 妹のハイキックがヒット。


「なにすんだよ!」


「目つきがやらしいっすー」


お前こそ、ミニスカートでハイキックするな。いつものことすぎてパンチラがレアじゃないんだよ。おまえは。


「お兄さん」


「ん?」


「女の子は意外と男性の視線が分かってますよ」


「え?」


「私の胸、見てたでしょう」


美沙ちゃんが片手でワンピースの胸元を押さえる。んもぅ、かわいいなぁ。そんなことされたら、よけいに視線がそこに行っちゃうだろ。


「ほら、また見てる」


「う…。ごめんなさい」


「姉のなら、私よりちょっと小振りですけど見放題ですよ」


そういいながら、美沙ちゃんが汚部屋…いや、元汚部屋のドアをあける。


 あ、匂ってこない。掃除が効果あったのかな。


「そりゃー。にーくん、行けーっ」


どんっ


「うわっ」


後ろから、どつかれて部屋の中に転がりこんでしまう。


 がちゃん。


 そしてドアが閉まる。おのれ。妹め。


「…な、おとくん…」


久しぶりの声だ。ああ、顔をあげるの嫌だ。でも、しかたないな。開き直ろう。


「ああ、どう?元気?」


「……うん…少し元気に…なった…よ」


あれ、会話が成り立ってる?


 そういえば、髪の毛がぐしゃぐしゃで長くて、顔がろくに見えなかったりするけど、以前みたいにくさくないな。風呂に入っているのかな。着ているものは、相変わらず最初にあった日に着てた美沙ちゃんのスウェットだけど。


「部屋、掃除しているんだな」


実際、部屋も綺麗だ。今度は綺麗すぎるくらい綺麗だ。床は埃一つ落ちていないし、机の上もワックスでもかけているんじゃないかというくらいピカピカで、窓のガラスはガラスが入ってないように見えるくらいの透明度だ。この部屋、本当にあの汚部屋か?


「うん。毎日十時間掃除してる」


「十時間掃除!?」


たしかに、よく見ると前回束ねただけの雑誌や本もぴっちり本棚に並んでいる。近づいてみると、雑誌は発行日ごとに順番になっていて、本は著者ごとに五十音順にならんでいる。窓のサッシの隙間も、ぴかぴかのアルミの色が下まで全部見えてる。なにこれ。CG?


「きれいに…してる」


「そ、そうなんだ」


逆に怖いんだが。


「シーツも換えた」


ベッドすごいな。しわが一つもないぞ。ホテルの部屋でも、こうは行かないぞ。


「次は、なにを…したらいい?」


「え?」


「な、おとくん、掃除したほうがいいって言ったから…。掃除してたの」


バサバサの前髪の隙間から覗きこむように、こっちを見上げながら真奈美さんが這いよってくる。


 やばい。こわい。だがこれは、あれだ。あの名言だ。




 逃げちゃダメだ。




「う、うん。いいんじゃないかな。清潔な部屋に住むのは、健全な生活の第一歩だよ」


「……」


ひうっ…。こわい。漫画だったら、ゴゴゴゴゴって描いてあるところだ。


「きれいにしてたら…」


ごくり。


「また、来てくれる?」


「…う、うん。まぁ、たまに…。で、でも十時間も掃除しなくていいよ」


「きれいにしてる…」


「あ、あと、お風呂入ったり、髪をとかしたりするものいいんじゃないかな」


「おふろ…」


「うん。お、女の子なんだしさ」


こわい。


「お風呂、はいるね」


「あ、一日一回くらいでいいよ!」


「一日、一回、お風呂、はいるね」


あと、前髪の隙間からにらむのもやめたほうがいいと思う。こわい。


「おふろ、はいって、くるね」


「あ、ああ。うん。」


「ここに」


「うん?」


「いて、くれる?」


「いるよ。いるから、行っておいで」


こわい。なんか分からないけど、こわい。


 ぎっ。


 ドアをあけて、真奈美さんがようやく出て行った。


 助かった。


 なにか良くわからないけど、助かったと思った。


 今のうちに逃げ出したいけど、なんだか逃げ出したら、もっと恐ろしいことが起こりそうな気がする…。




(つづく)

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