第77話 妹エロゲ

『らめぇっ…お兄ちゃんの形にされちゃったよぉおお…』


受験クラス追い込みの強化授業を受けて家に帰ると、隣の部屋から今日も不穏なフルボイスが聞こえてくる。うちの妹は昔からバカだったんだが、こういうタイプのバカになったのはごく最近な気がする。兄として叱るべきだという気もするんだが、どうにも兄が妹の部屋に訪れづらい空気も醸成されている。万が一、俺が妹の部屋にいるときに俺の部屋以外にこのサウンドが漏れていたら、兄が妹の部屋を訪れるというだけで、たいへんな誤解を招くはずだ。かといって妹の部屋に行かないとしたら、話すタイミングは母親と三人で夕食を食べているときか、美沙ちゃんもいる学校で話すことになる。不可能すぎる。


 くそぉ。手詰まりだ。


 ここまですべてが妹の計略通りだとしたら、とんだ知能犯だ。


 なんだか、妹の計略にはまっているような気がして、悔しくなってきた。


 なので妹の裏をかくことにした。


 つまり、俺はおもむろに廊下に出てノックもせずに妹の部屋のドアを開け放った。


「ひぎゃっ!?」


妹が椅子の上で。派手にびくっと全身を震わせて驚く。その勢いで、バランスを崩して椅子からカーペットの上に転落した。


「ひぃわわわあっ」


ミニスカートで転落し水玉パンツを晒した妹が、なかなか見れないあわてぶりでパンチラを隠し、カーペットの上に正座する。妹のパンチラって、どうしてこれほどまでにどうでもいいんだろう。やはり、遺伝子にエロいものじゃないと刻まれているんだろうか。


「お…おに…にーくん?なななっなんすか!で、出てくっす!」


おにーくんって、なんだ?呼称がますますミートっぽくなっているぞ。


『(じゅっぷ)あっひっ。(じゅっぷ)ひああぁああんっ。(じゅっぷ)お兄ちゃんっ!(じゅっぷ)お兄ちゃんっ!(じゅっぷ)お兄ちゃああんっ!』


言っておくがパソコンの声だ。うちの妹の声じゃないぞ。ちゅぱ音も入っているし。


「あわっ!」


ぶつんっ!妹がパソコンの電源ケーブルを引き抜いた。HDDクラッシュすら恐れぬ痛快なまでのあわてぶりである。エロゲ中に妹に突入された兄よりも、エロゲ中に兄に突入された妹のほうがあわてるものなのだな。面白い知見が得られた。応用できる人は、たぶん俺と京介氏だけでござるよ。


 そこで、ふと思い至る。


 俺…。ここに突撃して、妹がエロゲを実用してたらどうするつもりだったんだろう。


 それこそ、いろいろ終わる。自身の蛮勇に戦慄。俺氏リスク取り過ぎである。


「真菜」


「な、なんすか…に、にーくん…」


「お前、以前に俺が部屋でエロゲやってると音が聞こえるって言ってたよな」


「そ、そそそ、そうっすね…」


「それで、その逆とか思わなかった?」


「ひうっ?」


気づいてなかったな。このバカ。


 妹の上気していた顔がますます赤くなる。


「い、い、妹の部屋にききき、聞き耳たてるとか、にーくんっ。変態っす!そ、そ、そんなに私に、え、え、え、え、え」


妹がパニックを起こしている。目が泳いで焦点があっていない。予測できない事態が連続発生しすぎて、記憶力だけで世の中を渡り歩いている脳が処理し切れていない。記憶とは過去の知識であり、まったく新しい事態には対処できないのだ。


「ええ、え、え、え、え、え」


壊れた。ついに「え」しか言わなくなった。


 うーむ。


 ちょっと注意してやろうと思っただけだったのに、思わぬ大ダメージを与えてしまった。妹を壊してしまったぞ。


 いたたまれなくなって、俺も目をそらす。そらした視界の先に、本棚に並ぶエロゲのパッケージが映る。隠しもしないとは、うちの妹君はなかなか豪放にして磊落な傑物だな。パソコンが手元からなくなっても、エロゲのチェックは欠かしていない俺はタイトルを見ただけで設定くらいはすぐに連想できる。


 なるほど。


 一応、全部義妹モノだ。


 こいつなりに、実の兄妹という洒落にならないエロゲは避けていたようだ。


 そりゃ、そうだ。実の兄がいて、実の兄とヤるエロゲをする妹というのは、ラノベの世界でも設定の勢いだけで一シリーズ書けてしまうインパクトがある。それが現実で、実物の妹だったりしたら、俺の処理能力も超えてしまうところだ。


 とりあえず、妹に、壁越しに音が漏れてるぞバカモノという重要なメッセージは伝え終わった。なんだか、顔を真っ赤にして息を荒くしながら、言語野が壊れた妹とこれ以上一つの部屋で二人だけで居るのは居心地が悪くもなってきた。


「んじゃ…そういうことだから、ヘッドホンとか使うといいとおもうぜ」


そう言い残して、妹の部屋を出る。


 エロゲをやるなとは言わない。他人に迷惑がかからぬ限り好きにすればいいのだ。


 だから、美沙ちゃんも俺のエロゲを返してくれるとうれしい。まだ、コンプしていないゲームもあったのに…。


◆◆◆◆


 その夜。


 妹の部屋は静かだ。よしよし、ヘッドフォンを使うようになったな。それでいい。他人に迷惑をかけなければ、兄のいる女子高校生が義兄妹もののエロゲをやっていようが、俺はちっともかまわない。


 そこで、ふと思う。


 あいつ、今、ヘッドフォンでのエロゲプレイをしているのか…。あのバカは以前、俺のことをエロゲで虐待したことがあったよな。ヘッドフォンでプレイしていたら、忍び寄って後ろで観察するとか言っていたな。高校生男子にとっては、命にかかわる重大な虐待事案だ。


「逆襲してやろうか…くくく」


俺の中の暗黒のスネークがささやく。


 ドアに近づく。スネークさんは最強の兵士なので決断と同時に行動している。


 ドアノブをゆっくりとまわし、ドアを押し開ける。ドアノブを抑えたまま、ラッチの音がしないようにドアを閉める。うちの廊下の中央より向こう側は、体重をかけると軋む。壁にそって、足を持ち上げずに移動する。


 妹の部屋のドア。


 片手でドアを押さえ、ゆっくりゆっくりとドアノブをひねる。


 ひねりきったところで、壁に耳を押し当てて、中の様子をうかがう。ほとんど無音だが、ときおり椅子が軋む音が聞こえる。よし。気づいていない。


 静かに静かに、十秒かけてドアを一センチだけ開ける。中をうかがう。もし、妹が中で実用していたら、瞬間で閉じて脱出しなくてはならない。いくらなんでも、妹がエロゲ実用中に兄が突入したら洒落にならない。あの妹でも、カウンセラーが必要になるし、そうなったらカウンセラーさんはどこまで治してやったらいいか分からなくなる。なにせ元からおかしい。


 うん。


 だめだ。


 無音で、ドアを閉じた。


 部屋の中で、妹はいわゆる物理的刺激までの実用状態ではなかったが頬を紅潮させて、うっすら目を潤ませてのめりこんでいた。脅してやるには、最高のシチュエーションな気もするが、意外とトラウマを与えそうなレベルでもある。


 こうなると逆襲レベルの調節が難しくなる。兄が妹に逆襲するのは、思いのほか難しい。


「くそ。なんだか納得行かないぜ」


つぶやく。


 だってこれが逆だったら、うちの妹は確実に俺が実用状態でも突撃してきて俺を殺すもんな。


 ずるい。妹、ずるい。


 くっそー。考えろ、考えるんだ。二宮直人。あきらめたら、そこで試合終了だ。なんとか妹に逆襲してやるのだ。


 ぽくぽくぽくぽくぽく。ちーん。


 天才的な閃きによって、俺は美沙ちゃんにメールした。


 そして、壁に耳を押し当てる。


 ヴィー。ヴィー。ヴィー。


 妹の部屋で、携帯電話のヴァイブレーション音が聞こえる。つづいて、椅子が揺れるがたがたという音。くくく。びびったな。


 まだまだぁ。ここからが、お楽しみゾーン。


「な、なんすか?みみみ、美沙っち?」


一オクターブ高い、妹の声だ。びびってる、びびってる。痛快である。


「え?え?な、なんでもないっすよ?えっと、あれっす。げ、ゲームしてたっす」


よし、ここだ。


 俺は、今度はわざと音をたてて妹の部屋に向かう。


「真菜ー。はいるぞぉー」


「ぎゃうっ!?」


妹の返事を待たずに、形だけのノックをして部屋に入る。


「い、いや。美沙っち、な、なんでもないっす。にーくんが!待つっす!」


電話の向こうで、なぜかプレイしていたゲームの内容まで言い当てているはずの美沙ちゃんへの対応と、俺の襲撃という二つの予期せぬ事象にシングルタスクな妹の頭脳は対応し切れていない。


 勝った。


 エロゲで、俺の精神を破壊してくれたことへの復讐のステージが幕を開ける。


 倍返しだ!


 三歩で、妹のデスクの上のパソコンに近づくと、ヘッドフォンを引き抜く。


『お、おにいちゃぁああん。しょんなとこ、なめちゃらめえぇええぇえ!』


「ひぎょううっ!?」


妹が、すっとんきょうな声を上げてフルボイスな音を発するスピーカーに手を伸ばす。人間、心からのパニックになるとボリュームを絞るとか、ミュートアイコンをクリックするとかの方向に頭が回らなくなって、音を出している場所に手が伸びるのな。


『真菜!?な、なにしてるのっ!?』


妹が、スピーカーに向かって手を伸ばした。そして、その手には電話機が握られていた。その通話先は美沙ちゃんなわけで、『おにいちゃあん。しょんなところ舐めちゃらめぇ』ボイスお届けである。携帯電話のスピーカーから、俺にも聞こえる音量で美沙ちゃんが糾弾を開始する。


 美沙ちゃんには、先に『妹がエロゲ中だから、電話しておどかしてやってくれ』とメールで知らせてあるんだが、フルボイスの威力に電話の向こうでも見当識をなくしたかもしれない。


「ち、ちがうっす!美沙っち、にーくんがっ!」


『らめぇええ。おにいちゃあん。おかしくなっひゃふうぅううー』


「お兄さんっ!?真菜になにしてるんですか!」


しまった。電話の向こうで恐ろしい誤解が発生しかけている。やばい!


「真菜!ちょっと電話よこせ!」


命にかかわる。


「美沙ちゃんっ!違う。さっきのは妹がやってるエロゲのボイスだ!俺じゃない!」


取り上げた電話に懸命に言い訳する。


『お兄さん!?本当ですか?なんで、真菜がお兄ちゃんなんて声が出るゲームをしてるんですか!?』


それは俺も聞きたいところだ。


「それは、たぶんノーリーズンだと思う!聞くなら、妹に聞いてくれ!ほれっ」


妹に携帯電話を返す。


 都合が悪くなったところで丸投げした感じがして、あまり良い気分はしないが、俺では解決できないのだからしかたない。


「み、美沙っち違うっす!こ、このゲームのおにいちゃんは、お義兄ちゃんっす。けっして、お兄ちゃんではないっす!わかるっすか?!」


わかんねーよ。もっとマシな言い訳をしろ。


「真菜ー、直人ー、なに二階でガタガタやってるのー」


母さんが階段を登ってくる。非常にまずい。ちょっと脅かしてやろうとロケット花火を打ち込んだら、打ち込んだ先がガソリンタンクだったみたいな状況になっていないか?人を呪わば穴二つ。復讐など考えてはいけない。人生の教訓だ。


 エロゲを冷静にシャットダウンする。


《本当にゲームを終了しますか?》


 超、イエス。かちっ。


 デンジャラスボイスが静かになる。


 最悪は免れたか?


 ドアが開く。


「もう遅いんだから、いい加減にしなさいね。本当にあんたたち仲がいいわねぇ…」


『真菜!?やっぱり、私のお兄さんと仲良くしてるの!?』


兄妹の仲が良くてなにか悪いのか?


「し、してないっす!仲良くなんてしてないっす!にーくんなんて、今すぐぶっ殺すっす!仲、超悪い!」


殺すな。


 目をぐるぐるにしながら、大振りの回し蹴りを見舞ってきた妹をキャプチャードして、ベッド目掛けてボディスラム気味に放り投げる。そして入り口に立っている母さんを押し出して、部屋から脱出。自分でも惚れ惚れするような美しい連続技だ。もう少し体格に恵まれていたら新日か全日からスカウトが来る。


「なんでもない!なんでもないから!」


母さんに、言い訳にならない言い訳をする。


「直人…」


母さんがあきれた顔をする。うん。気持ちは分かる。バカな息子ですまん。だが、娘のほうはもっとバカだぞ。俺が超ド級のバカだとしたら、あっちは超大和級だ。


「なんでしょう?」


「あんたは、大丈夫みたいだけど…」


「うん?」


「真菜が、変なことして来ても変な気を起こしちゃだめよ」


「意味がわかんない」


「ならいいわ。とにかく、仲が良いのもたいがいにしなさいね」


そう言って、母さんは階下に降りていく。美沙ちゃんと母親から同時に、兄と妹の仲がいいことを悪と認定されてしまった。納得いかない。


 なので。


 その夜、寝ているところに妹が襲撃してきたときに、対応に迷いが出てしまったのだ。


◆◆◆◆


「なにしてる」


ベッドの中に潜り込もうとしている妹をけん制する。普段なら気づいた時点で蹴り落とす。だが、なぜか言葉だけでけん制しようとした。


 結果、妹に布団の中への侵入を許してしまう。


「お、お兄ちゃんと一緒にねるっすー」


「お兄ちゃんじゃねーよ。甘えんな」


この期におよんで、なお蹴り出し選択肢を選択していない。いつもと違って妹がベッドの隅の落ちそうな位置にとどまって、それ以上近づいてこないのも俺の対応を鈍らせる。


 妹の高めの体温を感じたりもしない。


 暗闇の中の息遣いと、ほんのりと立ち上る妹の匂い。


「だ、だめっすか?」


「高校生になったら、だめだろ」


何度も言った気がするが。


「なんでっすか?」


いい質問だ。俺は答えを持っていない。


「なんでだろうな。でも、ダメなんだと思うぞ」


「いつからダメっすか?」


ますますいい質問だ。一学年分、大人に近い俺は大人のテクニックを使うことにする。エッチなほうじゃないぞ。


「そういうのは、むしろ妹のほうが嫌がり始めるもんだろ」


大人テクニックその一。責任転嫁である。質問してきた方に反射してやる。


「じゃあ私が嫌がらなかったら、いつまでもいいっすか?」


反射させたレーザー砲がもう一度反射されて返って来た。直撃。反撃するしかない。


「エロゲみたいなことになるぞ」


脅してみる。


「……」


黙るな。居心地、超悪い。


 きしっ。


 パイプベッドのつなぎ目が軋む。ベッドの中で妹が体重を移動させる。


 あ。やばい。


 心拍数が上がってくるのを感じる。そして、俺の腕に触れる妹の体温も。


「にーくん」


「お前、自分の部屋にもどれ」


声音が少し上擦る。


「…私、いろんなことを覚えているっすよ」


話の文脈が見えない。


「お前の異常記憶力は知っているから」


「三歳の頃ににーくんが、お風呂で転んで頭から血を出したことも覚えているっす。ぶつけたとき、蛇口がにーくんの足に蹴られて、反対を向いてたっす。左足だったっす」


検証のしようがないほど正確な記憶力だ。


「その日のバスマットの色はオレンジ色だったっす。ママは青のストライプのシャツを着ていたっす」


「そうか?すごいな」


「にーくんは、覚えているっすか?」


「覚えてるわけないだろ。みんながお前みたいな記憶力を持っていると思うな」


「そーすね。誰と話しても、たいてい四歳くらいより昔は覚えていないみたいっすね」


それを聞いて、布団の中で鳥肌が立つ。


「お前…」


「ん…」


「…どこまで覚えているんだ?」


妹が黙る。そして、胸に妹の頭が押し付けられる。俺の問いに答えることなく、妹が俺の二の腕に触れる。ふるふると震える妹の小さな手に、変な気持ちになりそうになる。粗暴なバカ妹とは思えぬ弱々しさだ。


 弱々しい妹は困る。蹴りや突き飛ばしで対処できない。


「もう部屋に戻れって」


「…え…すよ」


「なんだって?」


声まで弱々しくて、本当に困る。


「なんでも、ないっす」


窓の外を、バイクが一台走っていく。またすぐに、静かな夜が戻ってくる。俺の腕に置かれた高校生にしては小さな手。


「しばらくしたら、戻れよ」


胸に押し当てられた頭を軽く撫でて、肩を引き寄せる。


 腕の中の妹の体温。


 部屋の暗闇。


 目を閉じて、耳を澄ませる。届くのは、妹の息遣い。




 寝る前に、あれだけ虐待してやったのになんで甘えてくるんだこいつは。Mなのか。だったら、美沙ちゃんから姫騎士アンジェ○カを取り戻してくれないかな。




(つづく)

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