第3話 おおそうじ

「にーくん、早くするっすー」


妹がわざわざ一年の教室のある階下から上がってきて、すこしも急いでない風情でせかす。その横では、和風すっきり美少女の市瀬美沙ちゃんもついてきている。よし、眼福。


「見て分かるだろ、掃除当番なんだよ。待ってろ」


「ザ・シテマツはスタイルじゃないっすー」


どこの地方プロレスラーだと思われるだろうが、妹語検定一級の俺にはわかる。「座して待つ」だ。人間の脳って慣れれば慣れるものだね。


「ということでー、そーじが早く終わるように手伝うっすー。やるっすよー。美沙っちもやるっすー」


「あ、そうですね。やりましょう」


妹の周りの空気の読まなさは、いつもの通りだけど、意外と美沙ちゃんも物怖じしない性格なんだな。上級生の教室の掃除に混じるって、なかなかできるものじゃないぞ。とはいえ、ありがたいのはありがたい。素直に感謝しておこう。


「ありがとうな。じゃあ、ゴミ捨ててくるから」


「いいえ。お安い御用です」


「らくしょーっすー。ら・くしょー」


美沙ちゃん。きれいな日本語を愚妹に教えてやってくれないか。それにしても、あいつの日本語はどこで覚えたんだろう?育ちは、俺と同じはずなんだけどな。


 教室二箇所のゴミ箱を左右にぶら下げて教室を出る。焼却炉は裏庭。俺の教室からはわりと距離がある。どっちの階段も遠いのだ。


 てくてくてくてく。


 焼却炉にゴミ箱の中身を投入して、教室に戻る道すがら顔見知りと知り合う。


「よ」


「お、おお。二宮」


「に、二宮…お、おまえ意外と鬼だな?」


「?」


いぶかしみながら階段を上がる。二階の廊下でまた別の顔見知りと出くわす。


「に、二宮くん。だ、だめだよ。一年生の美少女二人に掃除押し付けてサボったりしちゃ」


「一人は、妹らしいわよ。」


「えっ!?妹に…」


ちょっと待て。教室でなにが起きているんだ?




 教室に戻ってみると、俺が妹と、その友達の美少女に掃除を押し付けてフケたことになっていた。




 妹と、美沙ちゃんとの帰り道。


「それは、冤罪っすー。にーくんー。なにをしているのかを聞かれたから『にーくんはいないっすー。代わりに掃除してるっすー』って答えただけっすー」


ゴミ捨てに行ったって言えよ。


「『あいつ。後輩の女の子に掃除押し付けたのか』と聞かれたので、『はい。真菜のお兄さんはチョースゲーマジパネーですから』と答えました」


と、美沙ちゃん。


 ハキハキとほとんど情報の入ってない返答って出来るもんだな。それにしても、美少女二人というのは、どこから出た誤解なんだ。美沙ちゃんは明らかに美少女だけど、妹はどう見てもバカだろ。いや、そりゃそんなに悪くはないと思うけど、ガリガリだし胸とかすとーんとしてるしさ。


「まぁ、おまえに刑を執行するのは家に帰ってからにするとして…。真奈美さんのことだよなぁ…。正直、進展が見られないんだが…」


そう、あれから二日、市瀬家に通いつめている。なんとか登校拒否で引きこもりで汚部屋の住人の市瀬家長女、真奈美さんを登校させられないものかといろいろ話を聞いてみたりしているのだ。しかし、糠に釘とか暖簾に腕押しとか馬耳東風とかそんなことわざばかりが連想される状態。真奈美さんの担当教師からは、一年通してあと七日が限度と言われた。その残り日数をいたずらに消化しただけだった。あと五日だ。一学期にもかかわらず、年間で休めるのは五日しかないのだ。


「そんなことないです。さすがお兄さんです。やはりチョースゲーマジパネーです。だって、ここ二日間、ドアの前のおにぎりが昼前になくなるそうなんです!午前中には目を醒ましてる可能性があるんですよ。すごくないですか?あの姉が!」


だめだ。このペースでは間に合う気がしない。


「ちなみに、真奈美さんはいつから風呂に入っていないの?」


「私が学校に言っている間に入ったりしていなければ、前回入ったのは一週間くらい前ですね。というか、トイレも行っているのかな?」


今日から、あの汚部屋に入るときに靴の着用を許可していただけないだろうか。




 絶望的な気分のまま、三日目の市瀬家に到着した。


「ただいまー」


「ただいまっすー」


「『おじゃまします』だ。馬鹿者。おじゃまします」


妹のバカ脳に延髄付近から手刀で常識を叩き込む。


「あらあら。真菜ちゃん、いらっしゃい。いいんですよ。お兄さん。真菜ちゃんは、うちの家族みたいなものですから、かえって嬉しいわ。」


美沙さんに似た美人のお母さんが、さっそく妹を甘やかしてくる。増長したら帰宅後に踏みつけるとの決意を込めたオーラで妹をけん制しつつ、脱いだ靴をそろえて、妹が脱ぎ散らかした靴もそろえる。おのれ、このバカ。


「じゃあ、お兄さん。さっそく行きますか!」


「あ、俺も慣れたから、美沙ちゃんは、ちょっと真菜の相手をしてて」


美沙ちゃんはヤル気がありすぎて、ちょっと怖い。あちこち牽制しなくちゃいけなくて、意外と大変だな。俺。


 一度深呼吸して、新鮮な空気を肺に送り込んでから、意を決する。二度ほどノックして、真奈美さんの部屋のドアノブに手をかける。


 そして一気に開放。


 ぐあっ。


 くせぇ。


 相変わらずくせぇ!


「ひうっ」


悲鳴をあげたいのは、こっちだよ。


「…………」


相変わらず、悲鳴以外はなにを言っているのか聞き取れないほど声が小さい。しかし、かすかに過去二日とは違いがあるな。頭からすっぽり被っていた毛布がない。単に暑いのか?最近、ほんのり暑い日もあったりしたしな。


 そして、俺は気がついた。


 梅雨が来る。湿気と熱気の季節だ。


 この汚部屋はまずい。あと五日でタイムアウトで、その後は二度と立ち入らないとはいえ、あの和風美少女美沙ちゃんの麗しい部屋の向かい側がこれというのは、さすがに忍びない。


 そうだ!


 掃除をしよう!


 決めた。真奈美さんの登校は無理だ。まず風呂に入るようになるかどうかも怪しい。外出できるようになる確率も三十パーセント以下だろう。ならば、決めた。これから五日間、せめてこの汚部屋を掃除してやろう。少なくとも、美沙ちゃんがゴミをかきわけて突進するみたいなことにならないようにしてあげよう。


 啓示である。実行をためらう理由はない。幸いベッドの上の巨大なゴミ、部屋の主には邪魔をする力も勇気もなさそうである。


「掃除をするぞ!」


 やることが決まった。掃除は手を動かしただけ、確実に進展する行動である。真奈美さんを復活させる糠に釘打ち大会と比べると、一気にやる気が増した。


「真菜ー。手伝えー」


「ほいほいさーっ」


「はい!お兄さん!待ってました!やはりチョースゲーマチパネーですね!」


いや。それはもういいから。




 ペットボトル。お菓子の包み紙。パンの包み紙。食パンの一部。使用済みティッシュペーパー。ゲーム雑誌。漫画雑誌。たいへんな量のゴミを次々とゴミ袋に投入する。真奈美さんは、カーテンと窓を開け放ったときに「ぎゃーっ」とネコを雑巾絞りしたみたいな声を出して毛布にもぐりこんだっきり出てこなくなった。邪魔にならなくて、たいへんによろしい。


 大量の雑誌や漫画は一応捨てずに、折れたページを直して積みなおして、箱に入れる。段ボール箱も大量にあるので苦労がない。どんだけ通販しているんだよ。ってか、ご両親。クレジットカード使わせちゃだめだ。引きこもりに通販サイトは危険だよ。


「ぬあっ!真菜!この付近たのむ」


ゴミの中から、下着が出てきた。しかも洗ってなさそうだ。


「なんすかー。にーくん、汚れパンツに異性を感じたっすかー。今度、私のあげてもいいっすよー」


「真菜!やめてよ!」


美沙ちゃん、ナイス。そのままけり倒してくれても良いんだよ。ゴミのマットに沈めてやってくれ。


 床の上を妹と美沙ちゃんに任せて、机の上らしき部分に取り掛かる。うああ…。いつのか分からないマグカップが出てきたよ。しかも最後に飲んだのがココアっぽい。超カビてる。


 SAN値の低下を実感しながら、机の上のゴミも捨てていく。すごいことになったマウスとかも出てきた。まさか、この下にパソコンがあるのか?なんか、こいつがパソコンとか持っていると、男と男が絡み合うみたいなゲームとかも出てきそうで怖い。もともとの意味でも、この部屋は腐臭がしてるしな…。


 …!!


 その前に、もっとダメージのでかいものが出てきた。両手を地面について倒れこんでしまいそうになった。


「?どーしたっすか?にーくん」


「どうしました?お兄さん」


いかん。これは、見せたくない。


「あ、いや、なんでもない。それより、そろそろその大量のゴミ袋をちょっと移動させてきてくれない?ゴミの日までは…庭、でいいの?」


「そうですね。庭…ですかね」


妹と美沙ちゃんを部屋の外に追い出して、その精神ダメージの元を改めて見る。


 教科書。


 正確には教科書だったもの。カッターで切り刻まれていて、しおしおになっている。濡れて、また乾いた跡だろう。しかも全教科。


 …吐きそう。机の引き出しを抜いて、その引き出しの下のスペースに負のオーラを撒き散らす教科書を押し込む。これは、とりあえず妹と美沙からは隠そう。グロ注意、十六歳未満閲覧禁止。


「今日の掃除は、とりあえずこのくらいで終了ー」


窓から身体を乗り出して、庭にいる妹と美沙ちゃんに声をかける。そして、ドアを閉めてベッドの上の丸い物体を見る。毛布越しだから、なんだかあんまりヒトという感じがしない。助かる。その巨大饅頭みたいな毛布の塊に手を置いて、撫でてみる。


「………」


悲鳴もあげなければ、震えてもいない。


 手首を切った跡だという黒いしみがパリパリするシーツに座って、毛布饅頭をなでる。


 昨日までは、なんだかもう少しいいことを言ってた気がする。学校は怖くないとか、みんなが悪人なわけじゃないとか、こんな生活だと病気になるとか。


 それで、毛布を被らないくらいのところまでは行ってた。


 今日は毛布饅頭で、その毛布を撫でるくらいしかしてない。他に思いつかない。


「んー」


 なにか上手いことを言えないものかと考える。


 やっぱだめなので、黙る。


 そうしてても仕方ない。


「あと、シーツくらい換えるといいかもよ。んじゃーね」


 喉につかえを感じたまま、そう言って汚部屋じゃなくなった部屋を出た。毛布饅頭は動かないままだった。


 気分はどん底である。自己嫌悪で。




 翌日、孫請けの俺は、下請けにギブアップ宣言をした。すなわち妹に、あれはもー駄目だわ、部屋を掃除したことで勘弁してくだせぇと言った。


 妹は、あきらかに気落ちした様子だったが、やけにおとなしく「そーっすかー。だめっすかー」と言った。顔を洗いに洗面所に行ったら、目の下のクマと充血がひどくて、ひどい顔色だった。あのバカ妹に気をつかわれたかもしれない。


 


「二宮。顔色が病気してるぞ」


翌日、俺は授業の間の休み時間に前の席に座る上野和久にも心配されるアリサマだった。


「ごらんのアリサマだよ」


「ネタが古いな」


なにかのネタに当たったのか。自分としてはネタというつもりはなかったんだけど。


「いや。まぁ、ちょっと暗黒オーラを吸い込んじゃったというか、なんかそんなの?」


なに言ってんだ俺。


「あー。ふーむ…ところでよー。今日、放課後ハッピーと俺とカラオケ行かね?」


気を使ってくれているのかな。いいやつだな。ハッピーというのは、橋本というクラスメイトのことだ。最初はハッシーと呼ばれていた気がするが、常に幸せそうなのでハッピーになった。いつも楽しそうでいいよな、ハッピー。


「ああ。いいね。ちょっと気分転換したいトコだったんだ」


「じゃあ、お前の妹と昨日教室に来てた友達も誘ってくれよ」


美沙ちゃん狙いかよ。わるいやつだな。


「声かけてみるけど、望みは薄いぜ」


「なんでだよ」


「なんでも」


美沙ちゃんはダメだろ。真奈美さんを頼まれて、あっさり三日目で投げ出したわけだからな。きっと美沙ちゃん市場での俺の株価は昨日から連日ストップ安を記録しているはずだ。




「いいですね。いいんですか、ついていっても」


「いくっすー。にーくんと遊びに行くの久しぶりっすー」


あれ?ストップ安じゃなかったの?


 意外な承諾。


 そして、ハッピーと上野の反応が分かりやすい。うむ。気持ちは分かるぞ。美沙ちゃんは見ているだけで眼福モノの美少女だからな。


 駅前のカラオケに五人で入る。そういえば、妹とカラオケとか初めてかもしれない。少なくとも最近はないな。


「いくっすよー!ひゃほー」


妹、テンション高いな。


「うおー。真菜ちゃーん」


ハッピーと上野もテンション高いな。お前ら、頭大丈夫か?うちの妹だぞ、それ。


 まぁ、いいや。俺も、嫌なことは忘れて楽しもう。


「お兄さん、なに歌います?」


美沙ちゃん、かわいいなぁ。


《その身は裂けて血だらけにぃーっ醜い姿ぁー》


「真菜ちゃーん」


「あ、俺、この人の曲好きなんだけど、キーあわないんだよね。美沙ちゃん歌ってくんね」


「いいですよー」


《しゃいにーんしゃいにーん、死人の国わぁーっ。泣き叫べ、いまぁーっ》


「ま、な、ちゃーん」


《死体に鞭打てぇー》


「真菜ちゃーん」


その曲歌ってる女子高生って可愛いですか?ハッピーに上野くんよ。


「連続で行っていいっすかー。うへへへへへ」


「おーっ!」


上野、橋本…お前ら、マジ大丈夫か。


《死ぬまでそーして、泣きさけべぇー》


「ねぇ、美沙ちゃん。うちの妹って女の子だけで歌うときも、ああいう曲ばっかり歌ってんの?」


「はい。すごくかっこいいです」


ねーよ。




 その後は、美沙ちゃんが愛とか恋とか会いたいとか歌って、妹が悪魔とか死とか闇とか歌っていた。橋本と上野はどちらもハッピーそうであった。うん…まぁ、いいんじゃないかな。蝋人形にしてもらったりしても。


 俺はと言うと、それなりに気分転換にはなった…。友達というのはありがたいものだ。


 うん。ありがたいものだ。


 でも、それだけに友達のいない真奈美さんのことが鳩尾あたりにチクチクきた。そうだよな。学校に行かなくてもいいじゃないか。友達どころか、嫌がらせされるのに…。


 とはいえ、妹の美沙ちゃんや家族からしてみれば、負担以外の何者でもないわけで、優しく学校行かなくていいよ、と言っていればいいというものでもないのだ。うん。俺が踏み込もうとしたあたりが、まず間違いだった。間違いだった。踏み込まないのが正解…と、知ってしまったら思えないよなぁ。




 妹は今までも、非常にメンドクサイやつだったのだが、今回のは最高クラスだぞ。お前、なんてものを持ってきやがった。




(つづく)

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