第6話 頼まれごと

最近、どうもダメだ。


 具体的には主体性を失っている。自分の人生も行動もコントロールできていない。ケチのつきはじめは、美沙ちゃんのお願いをきいたあたりだ。いや。あれはいい。美沙ちゃんに接近して、仲良くなりたいというのは自分の意志だったからだ。今でもそうだ。美沙ちゃんは運命的にかわいい。女神で妖精だ。


 じゃあ、真奈美さんか?


 いや。真奈美さんの件も、俺の意志だ。美沙ちゃんの頼みを聞き届けたいというのは、自分の意志だし、戦略的にも真奈美さんに社会復帰してもらわないと美沙ちゃんと仲良くなる上で障害極まりない。


 ということで、俺の自由意志が最近になって極度に制限されている原因は…


「おまえだ」


ぐりぐりぐりぐりぐり。


「ふぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅぎゅ」


例によって、俺の部屋の床に転がって漫画を読んでる妹に久しぶりに踏みつけの刑を執行する。


「ぎゅー。にーくん、そういうプレイが好きなんすかー?」


プレイじゃねーよ。刑だ。


「いんや。俺の自由意志に対する罪状で刑を執行した」


うあ。


 妹が踏みつけてる足をホールドした。


「反省してるっすよー。まさか、ミーも美沙っちがあそこまでマッドになってるとは思わなかったっすしー。真奈美姉ちゃんも、パーフェクトにクレイジーっすー」


日本語でおけ。


「まー。そこんとこはー、真奈美姉ちゃんの部屋で顔騎してあげたことで許して欲しいっすー」


「ひうっ!」


反射的に真奈美さんみたいな悲鳴あげちゃったよ。思い出させるな。ばかもの。ってか、実妹の顔面騎乗がご褒美って、それこそクレイジーだろ。


「な、なに言ってんだ。人の顔に尻乗せるとか!あっちの刑も食らわさねばならんようだな」


「……そうっすかー」


え?


 妹がホールドしてる足を自ら顔に持っていく。


「いいっすよ」


うわっ。足を振りほどく。なんだ、こいつ。キモっ。


「な、なに?お前、どうしたの?」


「だから、まじ反省してるっすー。にーくんがしたければ、いーっすよー」


やめろ。刑が執行できなくなるから。


「…く。そ、そう思ってんなら、アイス買ってこい。コンビニじゃなくて、駅の反対側のハーゲンダッツな」


「そんなんでいいっすかー」


「じゃあ、サーティワンのトリプルも買ってこさせるぞ。溶けないうちに届けろとかいわれたいか?」


「あれ?」


「なにが、あれ?だよ」


「男子高校生なのにエロいおしおきしないんすか?俺のアイスキャ…ぐほぉ」


踏みつけ。


「いいから行って来い」


しぶしぶ起き上がった妹が、部屋から出て行く。あいかわらず動作の緩慢なやっちゃな。


 妹にエロいおしおきとか、どこのエロゲだよ。あと、たとえアレが妹じゃなくてもエロい気分にはならないな。あいつ、第二性徴来てないんじゃないかと思うくらいペッタンコだからな。せめてBカップくらいあれば悪くないと思うんだけどさ。顔とか脚とか悪くないんだから。


 それと、あいつがいっつも部屋に居座るから、せっかく大枚五千円を払って購入したエロゲーができないんだ。無人島に巨乳同級生と不時着するゲームだぞ。早くやりたい。


 …。


 今、チャンスじゃね。三十分くらいで戻ってくるかもしれないけど、ちょ、ちょっとだけなら。




 十五分後、俺は『ちょっとだけなめてもらう』と『ちょっとだけ胸に挟んでもらう』の選択肢をさんざん悩んで、セーブしてから前者を選んでいた。




《ん…は…おひぃんひょ…ひょっはふっへ…》


「おぉ…。こ、これは…」


ばたんっ。


「にーくん、買って来たっすー」


[Windows]+[L]!


 危ない!戻ってくるの早いよ!


「そ、そうか。ごくろう」


「バニラとチョコ、どっちがいいっす?」


「チョコ」


「ほい」


妹がエコバッグからアイスを差し出す。スーパーカップに妹の字で「ハーゲンダッツ」と書いてある。ニセモノよくない。


「んー。れろれろれろ」


ところで、みんなアイスの蓋って舐める?妹は舐めるんだ。徹底的に。今日も、徹底的にぺろぺろぺろぺろやっているんだが、先刻から《エロいおしおき》とか話してたし、さっきのエロゲのシーンとかとの連鎖で、変な気分になりそうだ。


 いかんいかん。


「とひょろひぇ、にひぃふん」


スプーン咥えながら話すな。ますますさっきのエロゲみたいだから。


「エロゲやってたっすか?」


ふぐっ。


「なぜわかる?」


「いや、まぁ、部屋に入ったときに声が一オクターブは高かったっすからー」


死にたい。


「しかもエロシーンだったっすかー。おじゃましちゃったっすかねー。ぐひひひひひ。ま、アイス食べたら三十分くらい出てるっすからー、思う存分男子高校生していいっすよー」


だれか、時間を巻き戻してくれ!たのむ!


「ぐひへへへへ」


妹の邪悪極まりない笑いは続く。


「隣の部屋で聞き耳たててるっすからー。なるべく声を出してして欲しいっすー。ゲームの音が聞こえなかったら、ヘッドフォンプレイってことっすからねー。そしたら覗きに来るっすー。こっそり後ろに立って、いろいろ観察してるっす。ぎひひひ」


やめろ。人が死ぬぞ。


「おまえな!いいかげんにしろ。そんなことしたら俺もお前の部屋覗くぞ!」


「すげー。妹のオナニー覗くんすねー。にーくん、すげーレベルっすー。まじぱねーっす」


こいつをころしてぼくもしぬ。


「なんなんだ、お前。本当にここ数日ちょっとおかしいぞ。いや、前から相当におかしかったが、この数日は格別におかしいぞ」


たしかに、ゴールデンウィークあたりから市瀬家関連で、いろいろあったのはたしかだよ。美沙ちゃんも、定期的にうちに来るようになったし、こっちはこっちで週二回くらいは市瀬家に行っているし。あと、行くたびに真奈美さんが怖い。あの顔までかかった貞子みたいな前髪の隙間からじーっと見てるのが怖い。そういえば、けっこう会っているのに、あの髪のせいであんまりちゃんと顔を見たことがないな。


 それはそれとして、最近、妹に微妙な異変を感じている。


「そーっすかねー?どこがー?」


「エロネタ増えただろ」


「あー。そーっすね。それはっすねー。にーくんが男子高校生性欲オーラ出してるからっすよー」


「なんだと?」


「気づいてないっすかー。もー、美沙っちに勉強教えてるときとか、黒紫のオーラが見えそうっすよー。まー。美沙っちがあのDカップで薄着になってきてるっすからー。まー。しかたないかなーとも思うんすけどねー」


それはまずいな。いや、まぁ、思い当たる節があるよ。六月に入ってからどんどん美沙ちゃんが薄着になってきていて、そりゃもう、会うたびに感嘆の声を漏らしそうになってるし、視線がつい下がりそうになるのも全力で抑えて、美沙ちゃんの可愛い顔に集中してたんだけどな。


「み、美沙ちゃん、ひいてるかな?」


ごすっ!うげぇ!妹の正拳がみぞおちにヒット。


「ひいてないっす!つーか、それがさらにイラっとするっすー!アイス食べたっすから、部屋に戻るっすー。にーくんは、エロゲするといーっすよ!」


突然なぐりやがってー。なにあいつ。情緒不安定もたいがいにしとけよ。あれか。生理か?くっそー。


 ……。


 エロゲでもやるか…。


 ヘッドホンは危険だから、音をギリギリまで絞ってだな。まて。まだ安心できん。モニタの横に鏡を置いて、これでドアを監視しながらにしよう。


 結局、せっかくのエロゲもその日はイマイチ集中できなかった。






 翌日。学校。


「二宮ぁー。数学のここ分かる?今日、当たるんだけど」


ハッピー橋本だ。


「ん…あー。分かるかな。えっとー。こうじゃね?」


「おお。さんきゅ。二宮さ」


「ん?」


「最近、アタマ良くなってね?なにか食った?」


食べて、頭の良くなるものはないと思う。強いて言うなら、美沙ちゃんに勉強を教えているのが一年生のときの復習になっている。だとしたら、美沙ちゃんはやはり女神だな。おっぱいも大きいし。


 うーむ。美沙ちゃんのおっぱいを想像してしまったぞ。頭悪くなってるな。


「おーい、二宮ぁー。佐々木先生呼んでるぞー」


「佐々木先生?」


「二宮?なにをやらかした?」


佐々木先生は、隣のクラスの担任で国語教師だ。三十代独身だが、まったく焦る様子がない。美人の余裕だと思われている。実際のところは分からないけど……。職場が学校って、意外と出会いなさそうだけどな。フルネームは佐々木つばめ。ツバメ返し。


 教室の入り口まで佐々木先生が来てる。


「なんですか?」


「話があるのよ。二宮君、ちょっといい?」


「はぁ」


促されるがままに、佐々木先生についていく。たどり着いた先は生徒指導室。なんか、取調室みたいで嫌だけど、わりと個別の話のときは使われる部屋だ。


「二宮君。市瀬さん知ってるわよね」


「う…どっちっすか?姉と妹」


「真奈美さんのほう」


「まぁ…ええ…知ってます。美沙ちゃんの方が、うちの妹の友達で」


「じゃあ事情も知ってる?」


「つーか、それで美沙ちゃんに説得というか、なんというかを頼まれたというか」


「はっきりしない男はダメよ。イエスかノーで答えなさい。ほんとに最近の男は、のらりくらりとかわして、なんでプロポーズも別れ話もしないのかしら」


「なんの話です?」


「ああ、ごめんなさい。じゃあ、登校拒否なのは知ってるのね」


登校拒否どころか、ひきこもりで汚部屋でドラクエⅢを全職業レベル99コンプだったのも知ってる。だまって頷く。


「まぁ、高校は義務教育じゃないから、あんまり強く言うことでもないんだけど、とりあえず先日、市瀬さんのうちに家庭訪問したのね」


「うわ。勇気ありますね」


「え?」


「いえ。こちらの話です」


真奈美さん、あの魔眼先生には放射しなかったのかな。


「五月に訪問したときは、絶望かなって思ってたんだけど、ずいぶんちゃんとしてたわ。臭くなくなってたし、部屋からも出てきたし」


どーだ。すごいだろう。ご褒美くれ。…とは言えないな。俺の手柄とも言いがたい。ってか何で、あれが改善したのかいまだに分からないし、改善と言っていいのかもわからない。なんだか眼からデスオーラ出すようになったし。


「そーすか」


「それでね。とりあえず、保健室登校はしてくれそうなところまで行ったんだけど」


「まじですか!?」


「その言葉遣いやめなさい。社会に出てから困るわよ」


「すみません。まじでございますか」


「わざとやってる?そういうときは、せめて『本当ですか?』にしなさい」


「はい」


「でもね。学校までの道が怖いんですって、それでも二宮君と一緒なら登校できるかもって言うのよ」


「まぁーじぇー?あ、ほんーとーでーすーかー」


嫌だー。


「よくできました。本当です。でも、そうすると二宮君もずいぶん遠回りになっちゃうだろうし、無理にとはけっして言えないんだけど、頼めるものなら、先生からもお願いします。市瀬さんが慣れるまでだけでも学校に連れてきてくれないかしら。このとおり!」


あー。


 年上の人に、まして先生に頭を下げられるのって落ち着かない。


 そして、これで佐々木先生と妹と美沙ちゃんの三人から同じことを頼まれてしまった。というか、頼まれごと最終フェーズだ。




(つづく)

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