第99話 カルペェンブラウ
「二宮くん!」
市瀬家への最寄り駅を出たところで声をかけられる。ふりむくと茶色のコートを着た三島(姉)先生が小走りに追いかけてきた。
「こんにちは、奇遇ですね」
今日は市瀬家でのクリスマスパーティ。真奈美さん社会復帰の大恩人である三島先生も当然呼ばれている。
クリスマスパーティに向かう三島先生はいつもよりも少しおしゃれをしていて、化粧も髪も整えている。コミケに行くとき程度に整えている。
同じ行き先だ。ならんで一緒に行くことにする。
「いやー。まなみんのパーティ料理とか超楽しみだわー。まなみん料理超人だからなー」
それには完全に同意である。真奈美さんの料理能力は超人レベル。その超人が輸入食材を主に扱う高級スーパーでこだわりの材料を調達していた。これが楽しみでないわけがない。
とはいえ、この先生は真奈美さんをアシスタント兼コックにしていて真奈美さん料理にはそこそこ慣れているはずだ。もしかしたら市瀬家よりも真奈美さん料理率が高いかもしれない食生活かもしれない。
三島先生の少しオーバーなはしゃぎっぷりを
「ぐふふ。二宮くんへの愛情調味料の味を横取りしてやるぜ。いつものまなみん料理は標準仕様だが、今回は二宮スペシャルだ」
たしかに愛情が料理をおいしくするという話は聞いたことがある。実証はされていないと思う。あと、横取りした時点で愛情効果が霧散するとかないだろうか。実在するとしても、魔術的な効果だと思われる。霧散もあり得るだろうな。観察すること自体が対象に影響を与えるのだ。授業で聞いた。あと、真奈美さんのあれは愛情なのか?依存と違うかしら?依存イコール愛情か?いや、愛情と依存の両方があってもいいのか……。
真奈美さんの俺への愛情とか考えて、なんだか気恥ずかしくなった。
このままの状態で真奈美さんにはちょっと会いづらいなと思っているうちに、市瀬家に到着。
◆◆◆◆
「いらっしゃい!お兄さん!」
呼び鈴にこたえて、ドアを開けるのは天使。
ワインレッドのセーターに緑色のスカートを合わせて、クリスマスツリーのパターンが編み込まれたニーソックスを履いている。うわぁ。可愛すぎ。ダメだ。美沙ちゃんが可愛すぎて死ぬ。
死ぬ死ぬと思いながら、天使(美沙ちゃん)に手を引かれるがままについていく。臨死体験である。
「三島先生は気さくな方だとうかがっていたので、楽しくつまんでもらえるものを用意しておきました。気軽に楽しんでいってください。食前酒は白でいいですか?」
臨死体験中の俺の横では、ダンディなバリトンボイスで市瀬家のご主人が三島先生を迎えている。すさまじいまでのナイスミドルっぷりである。あれは確実に三島先生の次回作(BL)のモデルになったな。口には出さずにそう思った。三島先生はプロだ。いかなる時でも作品に生かせるインスピレーションを見逃さない人だ。俺は知ってる。なぜなら俺もモデルになったからだ。いまだにコミケなどで三島先生のファンがやってくると、なんとかいう受け男子のモデルですかと聞かれてしまう。お尻がむずむずする。
市瀬さん攻め、二宮受けの漫画とかできたらどうしよう……。
恐ろしい想像に視線を泳がせる。
リビングのローテーブルの上には早くも軽食が並んでいる。その前では、うちの妹がゲームのコントローラーを持ったまま片手で四角く切ったピザを食ってる。貴様は気軽に楽しみすぎだ。よそのうちとは思えぬくつろぎっぷりだ。だが今さらである。というか料理を真奈美さんに任せて市瀬夫妻と談笑しているうちの母は妹をしつけるべきだ。親としてはずかしくないのか。
「お兄さんも、フラムクーヘンどうですか?」
あ、これピザじゃないんだ。
ピザとか思ってた自分の知識のなさも恥ずかしい。でもこんなおしゃれな料理は市瀬家でしか食べないんだから、無知でもしかたなくない?
美沙ちゃんに勧められるがままに薄いピザみたいなフラムクーヘンを手に取る。なるほどピザよりずっと軽くてメインの料理が出てくるまでに満腹になってしまわない。当然のように美味い。真奈美さんのいるところに不味い飯ナシだ。
「も、もうすこしで、できるからこれ食べて待ってて……」
台所から真奈美さんが歩いてきて言う。その手に持っているジャーマンポテトは料理じゃないのか?
ばふっ。ぎゅー。
真奈美さんに抱きつかれる。
すりすりすりすり。
てってけて。
真奈美さんが台所へ戻っていく。
なに?今の?と問いたそうな顔で三島先生が見る。
「いや、べつに気にするようなことではありません。オニイチャニウムの補給です」
そう答えて、ザワークラフトをつまむ。さっきのは真奈美さんの補給だ。オニイチャニウムはお兄ちゃんポジションの俺から抽出される謎エネルギーだ。
「四人そろったっすね。ゲームやるっすー」
妹、三島先生、美沙ちゃん、俺の四人で十分な人数になった。妹がやっていたプレステの電源を落とし、ボードゲームを持ち出してくる。トランプよりも二回りほど大きなカードのゲームだ。
「ちょっと待て、真菜」
「なんすか」
「ルールブックを見せろ」
ゲームを開始する前にルールブックを熟読する。
「ダメだ。別のにしよう」
「なんでっすか?」
「フェアじゃない」
そのサーディンという名前のゲームは記憶力を競うゲームだった。まったくもってフェアじゃない。市瀬家にあるわりと充実したラインナップのボードゲームをじっくりと調べる。
「二宮くん、ずいぶん真剣に選ぶね」
「「記憶力をこいつと競ってはならんのです。三島先生は知らんのです。こいつはハードディスクなのです」
「そうなんですよ。真菜はハードディスクなんですよ」
俺と美沙ちゃんはわかっている。美沙ちゃんも俺とならんでボードゲームを選ぶ。
熟考の結果。ジェンガ。
「思いのほか万能でしたね。記憶力」
美沙ちゃんがほっそりした指でそぉっと上の方のジェンガを抜く。
「これくらいしか、記憶力が有利にならないゲームがないとは……」
俺が反対側のジェンガを抜く。
「君ら臆病だな」
三島先生が下から二段目のジェンガを抜く。さすがにリアル人生ゲームで漫画家を選ぶほどの勇者は臆病者の俺とは違う。
「先生、なにするっすか?」
勇者ミシマの揺さぶりに、一巡目で早くも妹がピンチ。記憶力とがさつ力ではナンバーワンの妹である。
「なめるなっす」
三島先生が抜いた反対側のジェンガを抜きにかかる。バカめ、それを匹夫の勇という。
…………。
成功しやがった。早くもジェンガはグラグラと揺れている。なにせ根本付近が早くも二本ないのだ。しかも、妹ががさつに乗せたジェンガはおかしなバランスになっている。
「お兄さん、たすけてください」
上目づかいの美沙ちゃんに言われて、クマと戦えと言われても突撃できる気がしたが残念ながらジェンガである。助け方がわからん。
二周目に入ったところでゲームオーバー。美沙ちゃんの負けである。
二ゲーム目。
先手、三島先生。
また一番下から行った。なんだこの人。
二手目、俺。一周目から緊張感の高いジェンガである。
「二宮くん」
「邪魔しないでください」
三島先生が精神攻撃を仕掛けてくる。
「脱衣ジェンガにしようぜ」
し、しまった!
美沙ちゃんを見てしまった!
もう少し言うなら美沙ちゃんの胸部を見てしまった。今日はセーターなのだ。
ゆ、指が震える。
待て待て、冷静になろう。同じ空間に母親と美沙ちゃんのご両親もいるんだぞ。
「あなたは、本当にあの三島由香里の姉ですか?」
いまだに信じられぬ。三島は俺が美沙ちゃんとのツーショット写メを持っていただけで蹴り飛ばしてきたほどだぞ。
「ゆかりん、ツンデレだからな。二宮くんにだけだよ。あんなにお堅いの」
なんというひどい精神攻撃だ。勇者ミシマが闇落ちしている。
次の三島先生の手番のときに、三島由香里とキスしたことを暴露して攻撃してやろうか……。いや、それは自爆攻撃だよ。隣に美沙ちゃんがいるんだぞ。五メートルと離れていない台所には包丁、ナイフ、アイスピックなどの料理道具がずらりとならんでいるんだぞ。
精神攻撃に負けない。そうっと真ん中を抜く。
三手目、妹が一番下の反対側を狙いに行って負けた。
「脱ぐっすか?」
「いらん」
ゲームが二周しないぞ。
「次は、三島先生を最後にしましょう」
美沙ちゃんが抗議する。もっともである。さっきから見ていて気が付いたが、三島先生は手先の動作正確性が桁違いである。一日十二時間くらい毎日欠かさず手先を使っている人間のソレである。
三ゲーム目。
先手、美沙ちゃん。真ん中付近の中央を抜く。
二手目。妹。美沙ちゃんの抜いたところよりやや下の中央を抜く。
三手目。俺。やや上側の端を抜く。
四手目。三島先生。
「ちょっと待つっす」
「なに?」
「そこ抜くっすか?」
「うん」
三島先生がまた一番下を抜く。ためらいなく抜く。
二周目。
美沙ちゃん、妹、俺と、なんとか切り抜ける。
「待つっす」
「なに?」
「それ、マジっすか?」
「うん」
どうやれば一番下の端だけ残して、二本目を抜くのに成功できるのかわからないが三島先生がやってのける。よく見ると、端の一本が若干斜めに向けられた気もする。それにしても崩れていないのが不思議だ。
「これ。絶対無理です」
三島先生は手先が器用すぎる上に勇気がありすぎる。
美沙ちゃんの負けである。
「これはダメですね」
「ダメだな」
「いや、悪かった。手加減するよ」
「手加減されてもつまらないっす」
妹に同意である。手加減されるゲームほどつまらないものはない。ゲームは全力でやるから楽しいのだ。
……とはいえ、記憶力チートの妹と器用さチートの三島先生がいると、もうフェアに競えるゲームが残っていない。
とびぬけた能力って、意外と世界をつまらなくするものなのだな。
そこにちょうど、料理ができたと由利子お母さまが声をかけてくれる。
世界を素晴らしくするとびぬけた能力の出番。
今日の主役。料理超人、真奈美さんの超料理。
◆◆◆◆
「うわぁ!?」
「すごいね。なにそれ!初めて見た!あれでしょ、ドイツの!」
食卓にすごいのが出てきた。三島先生は存在くらいは知っていたらしいが、実見は初めてらしい珍料理だ。
それは水色の鯉である。
冗談ではない。本当に水色の鯉が大皿に乗って出てきたのだ。
「カルプェンブラウって言うの」
「うおー。初めて見た!資料資料!」
三島先生がスマホを出して写真を撮りまくっている。この人はプロだ。
伝統料理ということだが、相当にケミカルな色だ。水色の食い物自体が珍しい。熱帯魚みたいだが形は確かに先日買いに行った鯉だ。
「こ、鯉はワインビネガーで煮ると色が変わるから……」
真奈美さんが水色の鯉を解体してとりわけながら説明してくれる。鯉の腹の中に野菜が入っている。取り分けてられて気づくが、鯉の皮は異常に脆い。フォークでちょっとつつくとすぐに破けてしまう。それを傷つけずに内臓を取り出して料理をするのはさぞかし難しかろう。さすがの真奈美さん。
三島先生、市瀬夫妻はワイン。俺たち三人はシュウェップスで乾杯をする。
主菜はカルペェンブラウだが、他にも鯉のフライや、ジャーマンポテト、アイスバインなどが並ぶ。今日はドイツ料理らしい。そろそろ驚かないが、それにしてもご家庭の食卓とは思えぬ光景である。しかも全部うまい。
「あんまり食べると、ケーキが入らなくなっちゃいそう。すごいの用意してるんでしょ。まなみん」
俺と同じ心配を三島先生もしている。
「シュトーレンじゃなくて、アプフェルシュトルーデルだから大丈夫だと思う……」
シュトーレンはかろうじてゲームのおかげで知っているが、肝心のアプフェルシュトゥーデルがなんだかわからん。
「やはりすごいのが出てくるんだな。二宮くん、ご相伴にあずかります。ふひひ」
なぜ、そこで俺が出てくる……と言いたいところだが、三島先生の意図はニュータイプじゃなくてもわかる。なんとなく逃げたくて目をそらした先に真奈美さんのとび色の瞳がある。前髪の隙間からのぞくのは今は魔眼ではなくて、静かなドイツの湖のような波のない澄んだ瞳。
皿の上にならぶ鯉を買いに行ったときの真奈美さんと由利子さんの言葉が浮かび上がってくる。何気ないかのように交わされた会話。
『真奈美は、直人くんと恋してる?』
『してる……』
直接向けられたわけではないが、誤解のしようのない明確な言葉。
あの時、二人の間で冷やされていた鯉が水色になって、あたたかな湯気を立てている。真奈美さんの丁寧な指が壊れやすい鯉の皮の一つも傷つけないように丁寧に作ったカルペェンブラウ。一秒だけ戸惑ってから、ソースに絡めて水色の鯉をいただく。酸味を軸にした素朴な味。淡くすっぱい、素朴な水色の鯉。
水色の鯉か……。
昔読んだ少女漫画を思い出す。
真っ白な子供時代と青い青春時代の間の、水色時代。
水色の鯉。
傷つきやすく、ナイーブな子供みたいな真奈美さん。
子供のまま傷ついて、時間を止めて、立ち上がって、今、十九歳に追いついてきている真奈美さん。
俺に恋をしていると言った真奈美さん。
斜め前に座る三島先生を、三島由香里の姉をちらりと見る。
隣に座る美沙ちゃんを見る。とび色の瞳が見返してくる。
水色の鯉。カルペェンブラウは、ビネガーの酸味。
デザートに出てきたアプフェルシュトルーデルは、あたたかくて甘いリンゴのパイだった。
楽園でアダムが食べた禁断の果実もリンゴだったなと思う。
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