第12話 縞パンとロケット
「おかげさまで、読みたかった本が読めました」
補習授業一時間と、追試一時間を終えて図書室に行くと美沙ちゃんが本を読んでいた。美沙ちゃんしかいないのに空調がきいている。あと二時間、真奈美さんが社会の補習と追試をクリアするまで待たないといけない。せめて二時間、デート”みたいの”を満喫しよう。
「美沙ちゃん、読書家なんだな」
美沙ちゃんは気がつくと本を読んでいる。
「ええ。全部、姉のところから借りているんですけどね。姉は…まぁ、ひきこもりってのもあるけど…めちゃめちゃ本を読むの。うちの親も、本はいくらでも買っていいって言う人ですから」
「そうなんだ」
まぁ、あれだけ引きこもっていれば本は溜まりそうな気はする。真奈美さんの部屋、壁面はほぼ全部本棚だしな。俺は漫画しか読んだことがないけど。
「なに読んでるの?」
「これです」
ブックカバーを外して見せてくれる。「悪徳なんかこわくない」という小説だった。ミステリーかな。
「この本は年老いた大富豪のお話なんです」
なるほど、お金なんかより大事なものがあるよという啓蒙的な小説なんだろうか。
「それで、脳の移植手術をして若い女の子の身体を手に入れるんです」
「そ、そうなんだ」
いまどき、俺が想像するようなベタな小説はなかった。
「それで財産をめぐって孫娘と裁判するんです」
悪徳を恐れていないのは作者だった。ひどい。
「ところで、お兄さん」
「ん?」
「真菜から、私の写真ゲットしましたか?」
「え…えと、い、いや。も、もらってない」
なぜ、どもってしまったんだ。すごい怪しいじゃないか。
「あげましょうか?」
「え?い、いいの!」
つい身を乗り出してしまった。食いつきすぎだ、俺。鼻息、ぶはーって出てたし。
「あっ!」
なにかに気がついたように、美沙ちゃんの顔に血が昇る。
「違いますからね!み、水着の写真はダメです!」
なんだ。ちがうのか。がっくり。
「え、えと普通のです。今、撮っちゃっていいですよ。そ、そのかわり…」
わかってる。あたりまえだ。世の中等価交換なのだ。
「なんで、お財布出しているんですか?」
ちがうの?普通、払いたくなるだろ。美沙ちゃんの写真だよ。
「あ、ひょっとして、私のことほったらかして姉と仲良く補習してたから、またパフェでもご馳走してくれる気だったんですか?」
「え、えーと、ま、まぁ、そんなところ」
無料なのか。いいのか。美沙ちゃんの写真を無料でゲットとか言って、バチがあたるんじゃないかな。もしくは、ランダムに出てくる美沙ちゃん写真四枚コンプリートするとスペシャル美沙ちゃん写真の五枚目が手に入る仕組みで、一枚目だけ無料だとか。
いや、冷静に考えると、有料です♪と言う美沙ちゃんも想像できない。
「そのかわり」
来た。
「そのかわり、お兄さんも一緒にです」
え?どういうこと?不意をつかれている間に美沙ちゃんが立ち上がって、ささっとこちらに回ってきた。
あ。
こつんと細い肩が触れた。
「ほら、わらってー」
ぴろりんっ。あっという間に自分撮り。女子高生ほど自分撮りに習熟している生き物はいない。美沙ちゃんが、ちょっと紅潮した顔で携帯の画面を見てる。さっきの水着写真の話のときのままの顔色だ。水着の話で思った以上に照れていたんだな。意外と恥ずかしがり屋さんなのかもしれない。そこもかわいい。
「だめです。ぼつ」
消去した。
また肩が触れてくる。
ぴろりん。
すっと肩が離れる。触れた肩がどきどきしてる。もう一度触れてくれないかな。
「んー。ま、いいかな。じゃあ、送りますねー」
とどいた写真は、目の泳いでいる俺と、少し美沙ちゃんらしくない笑顔が写っていた。笑顔がぎこちない。まぁ、それでも十分すぎるくらい可愛い。ぬはー。美沙ちゃんとツーショットだ。やったぜー。
ある特定の用途には自分が一緒に写っているのって邪魔なんだけどね。
美沙ちゃんは、まだ画像チェックに余念がない。微妙な顔してる。
「お兄さん、やっぱりダメ。消してください」
「わっ。なんで!いいじゃん!」
「ダメです!」
美沙ちゃんが、俺の携帯を強奪にかかる。美沙ちゃんといえども、それはダメだ。消されてたまるか!携帯を高く掲げて防御。美沙ちゃんも負けじと手を伸ばしてくる。
うわっ。がつっ!
そのままバランスを崩した。
「ひゃっ」
ぷよんっ。
☆×△!!こ、この感覚はぁーっ!
床に転がった俺の上に、そのまま美沙ちゃんも倒れこんだのだ。
体の上にのしかかる心地よい重みとやわらかさと温かさに、瞬間で血が沸騰する。うわうわうわうわっ。やわらけー。あったけー。かわいー。み、美沙ちゃん好きだーっ!と叫んで、そのままむぎゅっと抱きしめてしまいたい衝動に駆られる。わずかに残った理性で踏みとどまる。
「……」
俺史上最接近の美沙ちゃんの顔。真っ赤になって硬直してる。そりゃそうだ。この体勢じゃね。桜色の唇がぱくぱく金魚みたいだ。唇が近づいて…。
「…お、お兄さ…きゃーっ!」
べきっ。
美沙ちゃんが俺の顔に手をかけて立ち上がった。反作用の法則で俺の後頭部はリノリウムに激突だ。
いててててて。目の前にとんだ星が消えるまで待って目を開ける。
縞パンだ。
「ちょっと!」
頭のほうから美沙ちゃんとは違う、もっと険のある声が降ってきた。
「図書室では、もう少し静かにしたらどうなの!」
同じクラスの三島由香里が目を吊り上げて仁王立ちしていた。縞パンだ。
なかなかいい光景だが、床にいつまでも寝そべっているわけにもいかない。何事もなかったかのように立ち上がる。脳の記憶領域にはきっちり縞パンをセーブしてバックアップも取る。三島は今どき、三つ編みという天然記念物級の髪型で図書委員で文芸部員だ。たぶんキャラ作りだ。騙されちゃいけない。
「二宮くん。それに…あなた一年生ね!図書室でなにしてんのっ!」
おっしゃるとおりだ。この件に関しては全面的に俺が悪い。でも、美沙ちゃんは叱らないでやってくれ。ほら、怖い先輩に怒られて萎縮している。
「えと、その…す、すみません。お兄さ…二宮先輩の携帯に私の写真が…はずかしいから…」
「なんですって!?」
三島さんの目が、恐怖と義憤に燃えている。
「だから…その…お兄さん…消そうと」
「賛成だわ。他に目撃者もいないし、女性の敵は消すしかないわ」
これはいけない。三島さんは、本気で消す気だ。写真じゃない。俺を。
百八十度回頭すると、俺は全力で駆け出した。Run for one's life(命からがら逃げ出す)佐々木先生!俺、ちゃんと英語のイディオム覚えてた!
「くっ。逃がすか!」
うわぁああっ。三島さん、足速い!そうだった。去年の体育祭のクラブ対抗リレーでは、三島さんが陸上部も野球部もぶっちぎって、文芸部がまっさきに第二走者にバトンを渡していたんだった。
廊下の直線でスタートのアドバンテージが見る見る消えていく。
「まちなさいっ!」
とっくに待ってるよ。インターハイが君を待っている。君は文芸部とかやっている場合じゃない。
「死ねぇ!」
「うおっ!」
とっさにスライディングした俺の頭上を、明確な殺意を持った拳がうなりをあげて通過する。髪の何本かが削り取られる。
「きゃっ!」
目標を失い拳を振りぬいた三島さんの上半身は、慣性の法則に従って前方に突撃していく。スライディングした俺は速度を摩擦熱に変え、三島さんの下半身に追突される。速度が回転モーメントになって、三島さんが俺の上に倒れこんでくる。
アドレナリンが吹き出ているのか、全てがスローモーションで見えた。
だからといって反応できるわけもない。世の中、物理法則は万物に平等だ。
廊下の壁。教室の扉が横をすっとんでいく。目の前にふわりとプリーツスカートが広がる。縞パン再び。
どずんっ。むぎゅっ。
気がつくと、三島さんと俺は二桁の数字で表される有名なポーズを取っていた。
縞パンだ。
「いたたたたた」
三島さんは、まだ気づいていない。今、自分が両手をかけているのが俺の右と左の太ももだということにも気づいていない。
顔の位置に気づかれたら俺は死ぬ。
すばらしい速力を出す、しなやかな白い腿と引き締まったお尻と縞パン。スカートを透かして入ってくる淡い光の中、素敵な景色堪能している場合ではない。
危機において優先度をあやまたず、三島さんのスカートの中から頭を引き抜いた。
ほぼ同時に、三島さんが体勢に気がついた。
「ひゃっう!きゃあぁーっ!」
三島さんの両の脚が引き絞られ、しなやかな筋肉が爆発する。
すばらしい瞬発力だ。三島さんは、完璧なスタートを切り、再び類まれなるスプリンターの才能を見せ付けてくれた。ロケットスタートを決めて、十秒の壁に向かって疾走する。君はやはり、国立競技場のスターティング・ブロックを蹴るべき人だ。俺の顔じゃなくて。
◆◆◆◆
「なんで、二宮くんの方が保健室にいるのよ」
佐々木先生が呆れている。
美沙ちゃんは、まだほんのりと頬を染めながら、先生に出してもらった救急箱を開いている。今日は運悪く、保健教諭が来ていない。
「…美沙?」
「お、お姉ちゃん!ちがうよ!私がやったんじゃないよ!」
そうだ。美沙ちゃんは悪くない。すべては、三島由香里が悪い。あの早とちりフェミニン・ロケット文学少女め。キャラがブレすぎだ。でも、しゃべると切れた口の中が痛いから黙っている。
「…わたし…やる」
真奈美さんが、美沙ちゃんを押しのけて救急箱に向かう。ピンセットで脱脂綿をつまみ、消毒薬をつける。あ、すりむいた腕を出さなきゃね。…と、思っていたら、真奈美さんが床に移動した。床の上に座って、下に伸ばしたままの俺のひじにくっつきそうなほど顔を近づける。そして、すりむいたところに消毒薬をぽつぽつと当てるように塗ってくれる。その次は絆創膏。真奈美さんが俺の身体に沿うように、中腰まで身体を起こす。顔が近づいてくる。すごい近い。怖いような。どきどきするような変な気持ちになる。
顎まで覆った髪の毛の隙間から、あの顔が見える。整った透明な肌の、セルロイド人形の顔。思わずつばを飲み込んでしまうよ。
頬骨の辺りのひりひりするところにも、消毒薬を塗ってくれる。絆創膏も。
「…けが…しないで…」
泣きそうな声だった。なんで、真奈美さんが泣くの?なきたいのは俺だよ。くっそ。あのフェミニン・ロケット文学少女め。大事なことだから二回言う。
「じゃあ、今日はこれまで。二宮くん、ちゃんと帰るのよ」
佐々木先生と保健室の前で別れて、三人で帰途に着く。
◆◆◆◆
帰り道、縞パンに関する部分は慎重に話から除去した上で、なにがあったのか説明する。
「あの人、三島先輩って言うんですね。すこし怖いです」
「でも、あいつは女の子大好きの女の子の味方だから、美沙ちゃんは恐れる必要はないと思うよ」
どうでもいいけど「女の子好きの女の子」って、女子だらけだ。うっかりゲシュタルトが崩壊するな。
「…美沙…なおとくんの…上に乗ったの?」
「えっ。お姉ちゃん?食いつくところはそこなの?」
「…どう…だった?」
美沙ちゃんの顔がお風呂でのぼせたみたいになってる。耳まで真っ赤だよ。
あれは美沙ちゃんにとってはかなり恥ずかしい出来事だったんだな。そりゃ、そうだ。俺には、信じられないくらいのラッキーイベントだったけど、女の子からしてみたら恥辱イベントだもんな。
「お、お姉ちゃん!食いつくところ違うから!食いつくところは、えっと…そうだ、あれだよ!お兄さんが、背後からの攻撃を気配だけでかわしたところだよ!ニュータイプへの覚醒だよ!人の革新だよ!お姉ちゃんの好きなネタだよ。ほらっ」
美沙ちゃん、話題を変えるべく必死だな。そんな姿もほほえましい。
「…ゼータが一番好き…、なおとくん…は、見た?」
「い、いや。ゼータは見てないな。えっと子供のころにウィングを見たくらい?ガンダムだよね」
「…今度、い…いっしょに見よ」
「う、うん」
最近、少しずつ真奈美さんが自分のやりたいことを言ってくれるようになった。なんだろ。嬉しいな。子を持つ親の気持ちってこんな感じなんだろうか。
地味に、それでも着実に真奈美さんが復帰への道を歩いてるぞ。
なんだか、ちょっとした達成感だ。
そんなことを思ってて、美沙ちゃんが不機嫌な顔をしているのに気がついていなかった。
(つづく)
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