第13話 きゃっきゃうふふ

 午前中のミッション、「真奈美さんを学校に送迎する」を完了させて自宅に戻る途中、メール着信があった。見ると、上野からだった。そういえば、あいつ今日の午後うちに来るって言っていたっけ。まぁ、もうすぐ帰り着くよ…と返信しようと思ってメールを開封する。


『少し早く着いたからあがってる』


と書いてあった。


 しまった。してやられた。


 上野のやつめ、確信犯だ。妹が一人でうちにいることを知ってて、狙って早くうちに来たな。まずい、早く帰らないと。俺は駅の改札を駆け抜けると、全速力で家に向かって疾走した。これはやばいぞ。早く帰らないと危険だ。


「真菜っ!今、帰ったぞ!」


遅かったか?!居間に飛び込むと妹と上野が身体を重ねていた。くそ、予想通りの結果だ。


 つまり妹が上野に馬乗りになって、千枚通しを振りかざしていた。


「あ、にーくんおかえりっすー。ちょっと手伝って欲しいっすー。頭、抑えててー」


「二宮!助けてくれ!」


上野が涙目だ。


「お前ら、なにがあった?」


俺は、そっと妹の手を取って千枚通しを取り上げる。妹と上野を立ち上がらせてから、冷たい麦茶をコップにそそいで一息入れる。


「おしゃれの話をしてたっすー」


そういうことか。俺にはわかった。上野には、まだ「女の子」と「うちの妹」の明確な区別がついていないらしい。


 女の子は、集英社発行の雑誌「non-no」を読む。うちの妹は、シンコー・ミュージック・エンタテイメント社発行の雑誌「BURRN!」を読む。実際、テーブルの上に載っているのもそれだ。妹が自室から持ってきたのだろう。お洒落の話をするために。表紙は、突き刺さるようなロゴに、死体みたいな顔色の男が鼻と耳に大量につけたピアスを鎖でつないでいる。おしゃれだ。


「なるほど。ピアスの穴を開けてあげようとしてたんだな。優しい妹だなぁ…。」


「二宮!?今ので、そこまで分かったの?」


上野は俺がニュータイプとしての人の革新をしていることもしらなかったらしい。


「そうっす!」


わが意を得たりとばかりに妹は喜色満面だ。うん。そうだな。妹の好みの男の子は、そういう男の子なんだ。その雑誌の表紙みたいな死体だ。


 俺は隣に座る上野の頭をホールドした。


「ぎゃあああーっ」


いい声だ。実にグッドなシャウトだぞ上野。妹は、そういう音楽をよく聞いている。ほら、妹も千枚通しを再び手にとって楽しそうだぞ。


「さ、真菜。いいぞ。くくく…鼻か?耳か?唇か?舌か?」


「やめてぇーっ!二宮!放してぇーっ。うあっ。真菜ちゃん、やめてぇーっ!」


「んんー。聞こえんなぁ~」


デッドな表情で、デスな台詞を吐きながらじりっじりっと妹が迫ってくる。ほら、上野。好きな女の子に迫られているぞ。


「悪かった!俺が悪かった二宮!二度と、姑息な策を弄したりしません!おゆるしぃいてぇー」


しかたない。ゆるしてやるか。上野を解放し、妹を諭す。


「真菜。やめておこう。今、思い出したが、うちの学校はピアス禁止だった。鼻と舌もだめらしい」


「ヘソは、どうっすかね?」


「水泳の授業があるからな」


「そうっすね。じゃあ、大学生になったらっすね」


上野よ。これが、うちの妹だ。


◆◆◆◆


 翌日、美沙ちゃんのご機嫌が真横だった。斜めというレベルではなくて、真横を向いていた。


「おはようございます。『姉が』お世話になっております。たいへん申し訳ありません。私は、所用がありますので、今日はお一人で姉の付き添いおねがいできますでしょうか」


朝、会ったときからこれだ。


 せっかくの絶品真奈美コーヒーも飲んだ気がしなかった。なんなんだ。


 魔眼じー状態の真奈美さんと学校に向かう。真奈美さんは、あの美沙ちゃんの毒ガスに気づいていないのだろうか。相変わらずまったく表情が読めない。前髪の隙間からのぞく目しか見えないからだけど。こういう状態でポーカーの大会に出たらルール違反になるんだろうか?


「あら?今日、美沙さんは?」


佐々木先生にたずねられても答えられるわけがない。俺自身が理由を知りたい。


「俺が、教えてもらいたいです」


「女心を人に聞いているようじゃダメね」


うるさい。えらそうに言っても、三十代に入って独身の佐々木先生は恋愛敗者だからね。美沙ちゃんとは恋愛以前だけど。そんなことを言ったら、休みが明けてからの現国の時間が地獄になるから口には出さないけど。




 さて。暇になった。




 四時間時間をつぶさないといけない。


 いったん家に帰ろうかと思ったが、往復したら一時間かかる。中、三時間だとちょっと慌しいな。しかたなく、図書室に向かう。本でも読むか。なにか漫画とか置いていないだろうか?


◆◆◆◆


 そうだった。


 図書室にはこいつがいたんだった。三島由香里だ。気がついたときには、俺は三島に監禁されていた。逃亡したら撲殺される。


「携帯出しなさい」


すごい強権オーラだ。図書委員の文化的なイメージも、文芸部の言論の自由を求める反体制のイメージもない。むしろ、小林多喜二を獄死させた特別高等警察のオーラだ。


「はい」


携帯を三島由香里に渡す。美沙ちゃんの写真は、きっちりバックアップをパソコンに取った上、USBメモリにもバックアップを取った。消されて恐ろしいものは一つもない。


「この写真?昨日、一年生が言ってたのは?」


案の定、昨日の美沙ちゃんと俺とのツーショットを見せてくる。


「そうだよ」


三島は、複雑な顔をして携帯電話の画面に映る俺と美沙ちゃんの顔をまじまじと眺める。


「…その顔で…いや。顔は、そんなに悪くないわね。その頭で…」


よけいに腹が立つ。


「な、なんだよ。俺が美沙ちゃんとのツーショットとか撮っちゃ分不相応とか言うのかよ。」


「そうよ。この子、一年生で一番か二番目に可愛いって評判の子じゃない」


断言だ。そりゃ、俺が学校でトップクラスにイケメンだとは思ってないけど、いいだろ。ツーショットくらい。


「うるさいな」


「だまれ。二宮のくせに」


「こええ」


「怖くないわよ。文学少女だもの私。ペンは剣より強いのよ」


そのとおりだ。三島が持てば、ペンでも日本刀以上の殺傷力を発揮するだろう。


「だいたいね!二宮、あんた、授業中も教科書をついたてにしてノートに落書きばっかりしてるでしょう。教科書だって、本なのよ。本を書いた人とか、編集した人とかに失礼だと思わないの?」


三島に言われることか…。ってか、なんでこいつ人の授業中の密かな楽しみを知っているんだ。人間観察しすぎだ。とはいえ、まぁ、まともなことを言ってなくもない。


「わるかった。それは、たしかにそうだ。教科書も最初から順番に読んでみるよ」


「え?あ?わ、わかればいいわ」


「じゃあ、いろいろ疑いも晴れたようだし、携帯返せ」


今だけは、美沙ちゃんの水着写真をもらっていなくて良かったと心から思う。あの破壊力の美沙ちゃんの水着写真が出てきていたら、拘留期間が無闇にのびるだけじゃなく有罪にされていたかもしれない。三島の場合、警察官、取調べ官、検察官、裁判官から死刑執行人まで一人で行うのが特徴だ。弁護人だけ省略される。アカ狩りも真っ青である。


「ま、待ちなさい!まだ、図書委員の職務を果たしてないわ」


図書委員の職務に死刑執行や拷問は含まれていたっけ?


 がっ。


 お怒りとおぼしき三島が俺のワイシャツの襟首をつかんで立ち上がらせる。顔が赤いのがお怒りの証拠だ。最近、女の子に怒られてばかりだ。


「ぐふっ」


『待て』と言おうとしたのだが、ザクじゃない音が出ただけだった。


「こっちよ!と、図書委員なんだから、本を読まない二宮に本を薦めなきゃいけないでしょ。おとなしくついてきなさい」


つまり、抵抗は無駄だ。われわれについて来てもらおう。という意味だ。


「そ、そうね。頭の悪い二宮は、まず活字になれるところから始めるべきよ。あと、あんまりプロットが複雑だと混乱しちゃうでしょう。さ、最後に読んだ小説はなに?漫画じゃなくて」


そりゃ、美沙ちゃんが貸してくれたあれだ。


「『あなたをつくります』フィリップ・ディックとか言う人の本…」


「ディック!?二宮が?」


そんなに意外か?


「…二宮」


「なんだよ」


「麻薬はダメよ。校則で禁じられてるわ」


生徒手帳に麻薬禁止の項目はない。刑法だ。


「なんで、麻薬になっちゃうんだよ」


「なんだ。にわかなのね。ディックといえばドラッグよ」


悪かったな。美沙ちゃんに貸してもらわなかったら、知りもしなかったよ。


「そうか…二宮、ディックとか読むのね…」


三島の目が泳いでる。そんなに俺が本を読んでいたのが意外だったのか。


「そうね。じゃあ…これ、かな。これは、読んでてスリリングよ…あ、ちょっとまって、こっちの方が瑞々しい文体だから、文章を読む楽しさが伝わるかな…」


あれでもない、これでもないと図書室の中を歩き回る三島は、ロケットじゃなくて文学少女みたいだった。本の背表紙をみたり、引き出してぱらぱらとめくりながら、あれこれと本の味わいを話す三島は、本当に楽しそうだ。今だけは、三つ編みが似合っているぞ。


 それにしても美沙ちゃんは、どうしてあんなに不機嫌だったんだろう。図書室で待たせたのに、パフェをおごらなかったからか。いや、そのくらいであんなに不機嫌になるとも思えない…。女の子はわからないな。女の子はわからないけど、対処方法は分かっている。とりあえず、甘いものだ。女の子が不機嫌になったら、砂糖を投与すると多少マシになる。


「そうだな。パフェをご馳走しよう」


「え?」


三島が目をまん丸にして、真っ赤な顔でこっちを振り向く。まだ怒っていたとは、三島由香里恐るべし。本の話をしてご機嫌になったかと思ってたよ。


「ああ、すまん。独り言。こっちの話」


「…そ、そうだよね。二宮が、わ、私にパフェをおごるはずないもんね」


縞パンを見せてもらったお礼なら、パフェまでは行かないがアイスくらいはご馳走してもいい気もするが、それを言ったらアイスくらいではすまない。


◆◆◆◆


 三島にすすめてもらった「ダブル・スター」という本を読みながら、図書室で時間をつぶした。ちらちらと三島がこちらに監視の視線を投げるのを意識しながらだ。そんなに不審人物なのだろうか。昨日の一回というか、二回ですっかり要注意人物扱いだ。


 時間になった。読みきれなかったので、三島に頼んで貸出しにしてもらい、教室へと移動する。


「終わった?」


「……」


こくっ。真奈美さんがうなずく。


「じゃあ、二宮君、あとよろしくね」


佐々木先生がひらひらと手を振って教室を出て行く。あいかわらずの厳重梱包で教科書とノートを鞄にしまいこんだ真奈美さんを連れて、学校を出る。セミが鳴き始めた。夏も本番だ。


 さて…。


 市瀬家に帰るということは美沙ちゃん対策を立てなくてはならないということだ。


 援軍を呼ぼう。携帯を取り出しメールを送る。


 すぐに返信が帰ってきた。よしよし。起きてたな。


 昼間のすかすかの電車に真奈美さんと二人で乗る。真奈美さんは、背中を丸めたヤシガニスタイルなのだけど、どんなに空いていても席に座らない。床にしゃがみこむことはある。


「座ってもいいんだよ」


「……」


ふるふる。


 座らなくてもいいけどね。


 次の駅で、呼んだ援軍がちょうど同じ車両に乗り込んできた。妹だ。


「あ。いたいたーっす」


「よぉ」


「…こ…ちわ」


聞こえづらいが、真奈美さんはこんにちわと言ったぞ。


「美沙っちが、怒ってるっすかー?」


「ああ、そうなんだ。正直、一緒にいるのが辛いレベルで怒ってる。思い当たる節がなくて困ってる」


「まじっすかー」


「まじだよ」


三人で電車を降りる。


「さっき、美沙っちにメールしておいたから駅まで来てるはずっすよ」


「え?」


ちょっとまて。まだ、あのお怒り美沙ちゃんに会う心の準備ができていないんだけど。


 いた。


 改札口のところに、美沙ちゃんがいた。俺と真奈美さんを見ると、またぷいっと顔を逸らす。ほら、お怒りだ。


「美沙っちー」


妹は脳天気だ。その不機嫌オーラが見えないのか。それとも、俺のニュータイプ能力が異常発達しているからなのか。


「真菜…。な、なんでお兄さんと一緒にいるのよ」


「美沙っちー。くひひひ。昨日、電話でのデレっぷりから裏返ってツンモードになったっすかー」


「だ、だれがデレたのよ!」


ああ、昨夜、妹と電話してたのか。


「お、お兄さんなんて…お兄さんに私がデレるわけないじゃない。こんなの!フツーだもん」


こんなのと来たか…。


「こんなのが、あれをおごってくれるっすー」


いつの間にそんな話になっていたんだ。いや。美沙ちゃんのご機嫌が直るなら、パフェの一つくらいはおごるつもりでいたけど…。


 そんなわけで、駅から少し離れた喫茶店にいるわけだが…。


「真菜、本気でこれを注文するのか?」


「私は、いつも本気っすー!へーい。ねーちゃーん。マウントフッド・チョコパイナップル・グレートサンデーくれー。にーくんのおごりでー」


飲み屋のおっさんみたいな注文するな。


「はーい。よろこんでー」


お姉さん?このお店は、そういうのりなんですか?


 ちなみに席の配置が、妹の変なはからいで微妙な居心地の悪い配置になっている。


 俺と美沙ちゃんが並んで、その対面に真奈美さんと妹だ。美沙ちゃんは、妹と主に話しているんだが、俺が横顔を見ていることに気づくと、つんっと目を逸らして、理不尽に不可視の刃をざくざくしてくれる。


 そこに、そいつがやってきた。


「マウントフッド・チョコパイナップル・グレートサンデー、お持ちしましたー。よいしょ」


でけぇ。


 店員のお姉さんが、ワゴンに載せて運んできて、テーブルに移すのに『よいしょ』とか言っちゃっている。ピラミッド状に積み上げた無数のアイスとたっぷりの生クリーム。それにパイナップルを丸々一つ使い、周囲をぐるっとチョコトッピングされたバナナが囲んでいるという、総重量三キログラムの巨大パフェだ。お値段三千六百円である。俺の財布の中身は四千円だ。


「きたぁーっす。すげー」


「うわぁーっ」


美沙ちゃんも妹もテンションうなぎのぼりである。さっそくザクザク食べ始めている。


「真奈美っちも行くっすー。われわれだけに戦わせるつもりっすかー」


「……う、うん」


真奈美さんはスプーンを持って怯えている。俺も圧倒されている。甘いものは嫌いじゃないが、ここまで好きじゃない。


「おいしー」


「うまいっすー」


美沙ちゃんと妹は、ばんばん食べ進んでいる。喜色満面。


 真奈美さんは、ちびちびと周囲の生クリームをすくって食べている。


 俺も、とりあえずバナナを…。


「にーくん。真奈美っちー。アイス!アイス行くっすよー。溶けるところから攻めないと!」


「戦術がなってません!お兄さん!」


あ、美沙ちゃんのご機嫌が直ってる。甘いものの力は偉大だ。


 真奈美さんと俺も中央のアイスピラミッドに突撃を敢行する。


「あ、そっちの角チョコなんですか。私もチョコ食べたいー」


どうぞどうぞ。


「こっち、ストロベリーっすよー」


「……」


「真奈美っち、苺好きっすかー」


「…むごっ」


妹が真奈美さんの口にがんがんアイスを送り込んでいる。前髪にもアイスがついているから、ちょっとは遠慮しろお前。


「…お、お兄さん。ここブルーベリーですよ」


「あ、そうなんだ」


「……お、お兄さん、ブルーベリー好きでっすかー」


妹の真似かな?うわ。


 美沙ちゃんが、スプーンでアイスを押し付けてきた。い、いいの?いいんだよね。


 ぱく。


 まいうー。


 美沙ちゃんのスプーンで、美沙ちゃんに食べさせてもらったアイスおいしすぎ。


「お、お兄さん。わ、わたしチョコ好きなんですよ」


え、えと。や、やれってことか。お、俺に…。


「あ、う、うん。は、はい」


スプーンで、チョコアイスをすくって美沙ちゃんに…。どきどきどきどきどき。


 これって女の子同士なら普通のことなんだろうけど、俺が一人混じっていると大変なことになってないかな。美沙ちゃんは、女の子だけのつもりなんだろうな。うん。


「にーくん。ほらーストロベリーっすー」


妹も、すっかり女の子テンションである。はいはい。ぱくぱく。


 女の子たちって、いつもこんなことしてるのか。なんだか楽しそうじゃないか。




(つづく)


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