第11話 夏休み、人それぞれ
「にーくん!ただいまっすーっ!」
ばぁんっ。真奈美さんの部屋にいるところに、妹が飛び込んできた。
「ひっ!」
真奈美さんが、小さく悲鳴をあげた。
ちょっぷっ。
「ひぎゅ!なにするっすかー!?顔見て一秒でチョップされたっすー!」
ちょっぷっ。
「ひぎゅ!」
「指導」
「体罰反対っすー」
「お前は、三つ間違いを犯した」
「なんすかー」
「その一。ここは家じゃなくて、市瀬家だから。よそのお宅だから『ただいま』じゃない」
「ぶー」
「その二。よそのお宅に来て、ドアをノックもなくバカスカ開けるな」
「ぶーぶー」
「その三。真奈美さんを驚かすんじゃない!」
ちょっぷっ。ちょっぷっ。ちょっぷっ。
「ひぎゅぎゅぎゅ」
「ぷっ…あはははははは」
妹が戻ってきたんだから、当然美沙ちゃんも戻って来ている。
「あははは…お兄さんと真菜、見てて飽きないですよねー。面白すぎますー」
「美沙っち、われら兄妹漫才できるっすかね!」
芸人は笑わせてもいいが、笑われちゃいけないんだぞ。お笑いナメんな。
「お兄さん。…お姉ちゃん。アイス、買って来ました。一緒に食べません?」
コンビニの袋を持ち上げて、ちょっと首を傾げる美沙ちゃん。美沙ちゃんは、しょっちゅう甘いものを食べている気がするけど、痩せてるな。栄養がどんどん胸に行っているんじゃないだろうな…。
「アイスっすー。アイスっすー」
妹が小学生並だ。知性も胸も…。これで、美沙ちゃんより成績がいいとかありえない。学校の試験ではなにも測れない。
「じゃあ、私はこれっすー。みさっちはこれっすー。にーくんと真奈美っちは、どっちでもいいっすよー」
なぜ、お前が仕切る?まぁ、いいけど。真奈美さん、どっちがいい?モナカ?真奈美さんにモナカを渡して、俺はチョコをかぶせたアイスクリームバーを取る。
「真菜。なんで、私これなの?好きだけど…」
「美沙っちは、牛乳たっぷりMOWが好きに決まっておりゅっしゅー」
さっそく、蓋ペロペロを始めた妹が、美沙ちゃんの胸をガン見しながら言う。いいな。女の子同士だと視線がいやらしいとか言われなくて。
「真菜…。視線やらしい」
言われた。やっぱり女の子同士でも言うんだ。
「いやー。今日の美沙っちは破壊力抜群だったっすー」
は、破壊力抜群だったんだ!
「ちょ…ま、真菜!?」
「ウォータースライダーを二人で滑ったとき、背中がハッピーだったっすよー。もうふわっふわっのばゆんばゆんっすよー。いやーDって想像以上にあるっすよー。そうっすねー、こんくらいっすかねー」
両手でとある形を作る妹。
「ひゃーっ。真菜ぁーっ。やめてぇーっ」
言葉レイプだ。
「今日、行けなかったにーくんにレポートしてあげないと、にーくんが今夜のおかずに困るっすからねー」
「ちょっ…!お兄さんっ!ぜったいやめてください!」
なぜ、俺が怒られるんだ?
「そうだ、にーくんには、今夜のおかず用に写メを転送してあげるっすかねー」
うおお!よくやった!俺のテンションは、垂直上昇である。ロケット推力1万トン。離床である。赤外線受信モードにした携帯を手に待ち構えている。
「ちょ…お兄さん、今、携帯を操作する指が見えなかったんですけど!ちょっと真菜!マジやめて!」
「転送開始っすー」
転送中のアニメーションがたるい。早く!早くぅー!
ぴろりん。
キター…あれ?
携帯のディスプレイには、妹の貧相なワンピース水着が写っていた。
「どうっすか!今夜のおかずっすよー」
「…いらね」
そして俺は、そっと携帯を閉じた。きっと俺の目からはハイライトが消えていることだろう。なに?この失意…。テンションあがってた自分のおろかさと滑稽さに苦笑が漏れる。ふっ。
「……お兄さん?ほら、天井見てください」
「ん、なに?」
天井を見上げる。なにもない。
「もっと上です。ほら、もっとよく見て」
首をそらす。口が、自然に開いて間抜けな顔になる。
「えいっ」
「ん!?」
口の中に冷たくて甘いものが放り込まれた。アイスだ。
「ふふふ…ひとくちあげますから、落ち込まないでください」
美沙ちゃんを見ると、いたずらっぽく笑って、アイスを食べている。スプーンで…。スプーンで?もしかして?
「み、美沙っちがビッチになったっすー!」
「なってないわよ!」
美沙ちゃんと妹が喧嘩を始める。この二人は、本当に喧嘩をするほど仲がいいというやつである。
「おわっ」
気が付くと、音もなく真奈美さんが真横に這いよってきていた。這いよる混沌。うーにゃー。
「わたし…のも、ひとくち…あげる」
半分ほどになったアイスモナカを差し出してくる。え、またやるの?さっきのは不意打ちだったけど、意識しちゃったらダメだ。照れる。さっきの美沙ちゃんショックからも脱しきれていない…のだけど、断れない。傷つけちゃいそうだ。
「う、うん、いただきます」
真奈美さんが手に持ったままのモナカにかぶりつく。中心のチョコがぱりんとした歯ごたえ。美味しいよね。アイスモナカ。
真奈美さんは表情も変えない。モナカは、そのまま髪の毛の作る筒の中に戻っていく。イカとかの食事風景を連想した。
「にーくんは、ハーレムエンドでも狙ってるっすか?」
妹がジト目だ。
「お兄さんは、無自覚だから始末が悪いです」
美沙ちゃんがにらんでる。
「……」
前髪の隙間から、真奈美さんの魔眼じー。
「美沙っちは、自覚してやってるっすか?」
「えーと…どうでしょう?」
妹が、ジト目のまま矛先を美沙ちゃんに向ける。いかん、またこいつマズい発言をするぞ。今すぐ黙らせないと。
「そのDカップに、にーくんの目が平均十五秒に一度…ふぎょっ」
とっさに手に持ったアイスバーを妹の口に突っ込んで黙らせた。なんてことを言い出すんだ、このバカは。
「あっ」
「あ…」
美沙ちゃんと真奈美さんが、同時に魔眼波動放射。そのワザ、美沙ちゃんも使えたの?
◆◆◆◆
「おじゃましましたー」
妹を連れて、市瀬家を辞去する。珍しく、真奈美さんも玄関まで出て見送ってくれた。昨日のことで、元に戻ってしまったかと思っていたが、思いのほかダメージからの回復が早くて助かる。この分だと、明日の月曜日も学校に行けるかもしれない。
「にーくん、褒めるっすー」
道すがら、突然そんなことを妹が言い出す。
「なにを?」
「私を褒めるっすー。今日は、にーくんに美辞麗句を尽くして褒めてもらう予定だったっすからねー」
「水着の話だろ」
「私の話っすー。なにっすか?にーくんは、本体より水着のほうに興味のある高レベル紳士っすかー」
無駄に頭の回転の早いバカって面倒くさい。
「わかったわかった。お前、本体の褒めるところねー」
数歩先をてくてく後ろ歩きする妹を上から下まで見て、褒めるところを探す。夕日の中の妹。
「…脚は、綺麗だぞ。リカちゃん人形みたいだ」
「ほうほう」
「…まぁ、腰も、悪くないかな。ってか、細いなお前。くびれって言うか細いな」
くびれとは、少し言いがたい。肩のほうまでほぼ同じ幅だからくびれとは言いがたいけど、こいつ肩幅も細いな。
「細いは、褒め言葉っすかねー?ある位置からは、むしろダメじゃないっすかねー」
妹の残念な胸を見ながら納得する。本当にペッタンコだ。一部のマニアにしか需要はないだろう…。
「でも、首が細いのは、女の子っぽくていいんじゃないか。まぁ、顔も素材は悪くないよ。あと、指が長いんだよな。おまえ」
「くふふふふふ。気持ちいいっすー。もっと、褒めて欲しいっすー」
しまった。増長させた。
褒めるところを探していたら、思いのほか、褒めるところがたくさんあったんだよな。そっか。上野とハッピー橋本が、妹と一緒に住んでいるのがチートってのは、こういうことか。
バカだけど、冷静に第三者の目で見れば、妹は可愛い部類に入るんだな。胸はたいへんに残念だけど。あと、バカだけど。バカだけど。大切なことなので二回言いました。
くふふーくふふーと、ご機嫌な妹と電車に乗る。
日が落ちるころ、家に帰り着く。
「あらー。真菜ごきげんねー」
と母さんにまで言われるニヤケっぷりの妹だった。
それにしても、こいつ。なんで、美沙ちゃんの写メをくれないんだ。二人で自分撮りしたの持ってるくせに。くれー。美沙ちゃんの水着写真くれー。
◆◆◆◆
翌朝、六時。市瀬家に向かって歩く。眠い。昨夜はよく眠れなかった。
あー。美沙ちゃんの水着姿見れなかったー。とか。ふわっふわのばゆんばゆんなのかー。とか。このくらいの大きさでー。とか。考えてしまって眠れなかった。すっかり妹の手の内である。われながら、ちょろすぎる。
「おはようございまーす」
「お兄さん、おはようございますー」
美沙ちゃんだ。このくらいの大きさ…。わぁ。本人を目の前にして想像してしまった。というか、俺のいけない視線が、このくらいの大きさかどうか確認しようとしたよ。ばれたな。今のは、完全にばれた。
「朝食を食べているところなので、お兄さんもどうぞー」
バレているのにスルーだ。余計に辛い。
「すみません」
二つの意味を持った、すみませんを言って後に続く。二つか。二つのばゆんばゆん。ダメだ。妹のせいだ。今日も刑罰をくらわさねばならん。
ダイニングに近づくと、コーヒーのいい香りが漂ってくる。最近はすっかりおなじみの真奈美さんコーヒーだ。本当においしいんだよな。あのゆっくりとごりごりしてる豆の挽き方が上手なのだろうか。コーヒーって挽き方で味が変わるものなのかな。そういえば、最初のときにコクがあるのが好きかどうか聞かれた気がする。
「…おはよう」
今日も真奈美さんは前髪で顎まで顔を隠して、隙間からじーっと見つめてきている。魔眼G。
「…コーヒー。淹れた…よ」
「ああ、うん。ありがとう」
今日もコーヒーがおいしい。
真奈美さん、ちゃんとジャージ着てるな。美沙ちゃんも制服を着ている。今日もちゃんと学校に行けるみたいだ。えらいぞ。
ゆっくりコーヒーを飲んでいる間に、美沙ちゃんが身支度をして、真奈美さんが三回くらいトイレに行って、ようやく出発。
いつもにも増して、ふらふらと歩く真奈美さんを気遣いながら慎重に駅にむかう。コンビニでトイレを借りる。駅でまたトイレ。次の駅でもトイレ。まるで、復帰登校初日と同じ状態だ。美沙ちゃんと目を合わせて、口に出さずに会話をする。「お姉ちゃん、大丈夫かな」「こんなに頑張っているんだから、大丈夫だよ」。学校に到着。校門のところに佐々木先生がいるのがちらりと見えて、すぐに校舎の中に入っていく。
教室に向かっていいものかどうか、ためらう。真奈美さんが先に出るように階段をのぼる。えらい。本当に真奈美さん強いな。臆病者の俺を感動させながら、一歩ずつ階段を踏みしめるようにのぼっていく。
二階に到着。
教室の前。真奈美さんが、立ち止まる。
「……」
手が震えている。
「まだ少し時間があるからさ。俺の教室の机見る?」
見て面白いものなのかどうかはなはだ疑問ではある。
「…なおと…くんの机?」
「こっちだよ。隣のクラス」
自分の教室の方の扉を開けて、真奈美さんを手招きする。
クラスが違ったからといって、なにかが違うわけでもない。珍しいものがあるわけもない。それでも、真奈美さんはきょろきょろとしながら、誰もいない夏休みの朝の教室を興味深げに見渡す。
「ここが、俺の席。後ろから三番目」
いつもの自分の席にすわる。真奈美さんが、興味深そうに机に手をついてじーっと見る。
「そこが、上野の席」
自分のひとつ前の席を指差す。椅子の背には「ロリコン注意」と明朝体太字で書いてある。俺の力作である。リュウミンフォントも顔負けの力強い書体だ。
ロリコン注意椅子を引いて、真奈美さんが腰掛ける。顔だけこっちを向いている、相変わらず前髪の隙間からじーっと見つめてくる。
「……」
じー。
少し慣れたけど、落ち着かない。その髪の隙間の向こうにあの作り物じみた顔があるのかと思うと、よけいに落ち着かない。
「…なおとくんが、同じクラスだったら…よかった…のに」
ずきん。
いつか、同じことを美沙ちゃんに言われたのを思い出す。臆病者の俺では、たぶん役に立たなかったのに。
「ちょうどよかったわ。今日は、こっちでやる?」
いつの間にか、教室の入り口に佐々木先生が立っている。
「あ、じゃあ真奈美さん、また…」
「ちょっと待って。二宮くん。今日は英語よ」
「そ…そうですか?」
「二宮くん、英語、赤点スレスレだったわね」
「でも、赤点じゃありませんでした」
「今のうちに追いついておきましょう」
させるかー。真奈美さんの補習時間は、すなわち学食で美沙ちゃんとデート”みたいの”な時間なのだ。
美沙ちゃんとの二人の時間を守るため、男には戦わなければいけない時がある。いくぞ…!
「先生。外国語のことを英語で、フォーリン・ランゲージって言いますね」
「そうよ」
「だから、俺も英語はフォーリン・ランゲーっていいのでは?」
握り締める拳に汗をかいている。一度握りなおす。
「ごめん。ちょっと何を言っているのかわからないわ」
いまだ!このタイミングしかない!
「英語は、放りん投げー!フォーリン・ナンゲージだけにっ!」
俺は、口から渾身の駄洒落を発射した!
「放り投げないで勉強しなさい」
真奈美さんと机を並べて英語の補習を受けるハメになった。その様子を見ていた美沙ちゃんが「あれで、回避できると思っている方がどうかしてます」と言っていた。冷静になってみたら、その通りだった。どうかしてた。
(つづく)
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