第86話 就活

 世界レベルのがんばりを持つ真奈美さんだが、まだノーマルに就職するのは厳しいと思う。なにせ、面接を乗り切ったとして、その先はまだ様々な困難が待ち受けすぎているのだ。社会は、まだちょっと真奈美さんが出て行くには怖すぎるところだと思う。まぁ、高校のころと違って、真奈美さんを登校拒否にさせたいじめっ子どもはいないけれど。


 一方で、俺は真奈美さんの気持ちを応援したい。


 真奈美さんが働くのかー。


 意外とスキル的には、プロフェッショナルレベルのスキルもいくつかある気がする。料理とか、料理とか……。あと掃除とか。


 …………。


 主婦だな。それは。


 スキルじゃない部分が問題だ。対人能力とか、精神力とか。気遣いはありすぎるが。


 うーむ。


 大学に向かうバスに座って、じっと目を瞑って考えているが、真奈美さんでも安心のホワイト職場が思いつかない。


「直人。起きないと、乗り過ごすよ」


「えっ!あっ!」


気がつくと、バスが大学前のバス停に到着していた。慌ててバスを降りる。


「寝不足?」


さっき俺に注意を促してくれたのは、どうやらいつの間にか乗り込んでいたみちる先輩だったみたいだ。バスを降りたところで話しかけられる。今日はダークグリーンの長袖Tシャツにオーバーオールだ。この人は、オーバーオールしか持っていないのだろうか。


「いや。ちょっと考え事をしていたんです」


行きがかり上、みちる先輩と並んでキャンパスの中を歩く。五月も近づいて、キャンパスの木々の緑も深くなっていて、うっかり素敵な恋人同士の光景になってしまいそうだ。近づくと、やぶにらみの三白眼にオーバーオール着用で、しかも寝癖までついている女子力の低さなので、そんなことにはなりようがないのだが。


「誰のこと考えていたの?あの美少女ちゃん?」


みちる先輩にしては珍しい質問だ。他人に興味を持ったりしないひとだと思っていた。なにせ、自己紹介して、名前を聞いても『聞いてどうすんの』と返してくるほどなのだ。


「いや。美沙ちゃんのお姉さん」


「あれのお姉さん……」


そう言って、そのままみちる先輩は黙る。


 つぎの講義は実験棟なので、いつもよりも少し長めの距離。五分少々キャンパスの中を歩く。大学のキャンパスは緑が多くて妙に心地良い。これが私立なのだから、法人とはいえ誰かの持ち物かと思うと恐れ入る。六畳間の自分の部屋の掃除をして広くなったとか喜んでいる場合じゃないと思う。


 そんな益体もないことを考えてしまうくらい、みちる先輩も俺も無言で歩く。最初に会ったときは嫌われているのかと思うくらいの沈黙だったが、今はこれがみちる先輩のノーマル状態なのだと知っているから平気だ。


 みちる先輩はサークル棟に行くらしく、分かれ道に差し掛かるところで立ち止まる。


「美人?」


先輩から文脈の分からない質問を投げられる。


「だれがです?」


「あの美少女ちゃんのお姉さん」


難しい質問をされた。


 真奈美さんは、美人かと言えばものすごい美人だ。CGみたいな整い方をしていて、美人と言う言葉から想像できる上限よりもさらに上の美人だ。だけど前髪があごまで伸びていて、ぼさぼさで、ファッションは常にジャージという女の子を美人と言うのかと言えば、確実にノーだ。


「ポテンシャルは美人です」


なるべく正確な表現をしてみた。


「そっか。そりゃそうだよね。じゃあ、また」


そう言って、みちる先輩はサークル棟へ、俺は実験棟へ向かう。今日の最初は化学実験。実験系の単位は実験自体よりも、実験結果の統計処理みたいなのが面倒くさい。中心極大定理とか自由度とかよく分からんのだ。


 通常の講義の倍のコマが割り当てられた化学実験の時間は、さくさくとこなすと時間が余って、先に切り上げられる。運よく手際のいい連中のグループを組めて、さっさか実験をこなして、さっさかデータを取って、さっさかJMPとか言うソフトを使って統計処理して、いっちょあがりだ。予定よりもずいぶんと早く終わる。


 そして時間が余る。


 けっきょく、どこのサークルにも入らなかった俺はこういうときに行き場をなくしてしまう。マンガ研究会に入ればよかったかなと思うが、三島の姉ちゃんも別にいつも居るわけじゃないし、マンガ研究会(腐)が正確なところみたいなのでたぶん趣味が合わない。かろうじて話になるのがみちる先輩ではどうしようもない。みちる先輩も部室にいる間はずーっと机に向かって一人でマンガを描いているみたいだけどな。


「ってか、一人で漫画描いているのにサークルとかに入る意味があんのか?あと、マンガ研究会の部室でマンガ描いているのがなんで一人だけなんだ?」


いろいろ納得できなくて、独り言が出てしまう。


 その独り言の視線の向こうに、不本意ながら見慣れてしまったジーンズとシャツにデイバッグというオタファッションの女性を見つける。


 あっ。


 天才的ひらめき。


 ユーレカ!


 アルキメデス的ひらめきで、その女性に向かってダッシュする。


「三島先輩!」


「え?」


三島の姉ちゃんが驚いた顔で振り向く。


 サークル棟に向かう階段の手前で三島の姉ちゃんを捕まえることに成功する。


「すみません。急に」


「……ちょっと待って」


「はい」


「ってか、もう一回、今のやって!」


「はい?」


「今の『三島先輩!』って呼んで駆け寄ってくるのやってっ!」


三島の姉ちゃんが鼻の穴から蒸気をしゅばーっって噴出しながら(比喩的表現)変なリクエストをする。


「はぁ……そう言うなら……」


「じゃ、じゃあ、もう一度向こう向いているからね!」


三島の姉ちゃんがまた反対側を向く。しかたなく俺も元の位置に戻る。


 テイク2。はい。きゅーっ。


 ダッシュ!


「三島先輩!」


「むはぁっ!」


三島の姉ちゃんが鼻水を軽く噴出すほどの鼻息をしゅばーっと放出する。


 うわぁ…。引くなぁ。


 この人が、あのお堅い三島の実姉だとは信じられない。というか、お姉さんがこうだから反対方向に三島が行ったのか……。


「あのぉ……。ちょ、ちょっといいですか。三島先輩」


「なに?なに?いいよ」


 引くなぁ。


「ちょっとしたお願いがあるんですけど、ちょっとお時間いただけます?」


引いちゃっているのを顔に出さないように気をつけながら丁寧に頼み込む。


「いいよ。部室行く?」


「あ。出来れば食堂かどこかで」


あの部室こわい。


「いいよ。学食の下のカフェテリアのほうにしよう」


「はい」


◆◆◆◆


 カフェテリアで、いやな予感がしている。


 なんで、このカフェテリアはジャンボフランクとか売っているんだよ。


「ささ。それ丸呑みして!歯を立てないようにして」


なんで、三島の姉ちゃんはカメラとか構えてるんだよ。


「えー」


「資料写真撮らせてくれたら!お姉ちゃん、どんなお願いだって聞いちゃうよ!」


いつからあんたが俺のお姉ちゃんになったんだよ。まぁ、いくつかの選択肢で違うルートを辿っていたら三島と結ばれて、この人がお義姉さんになっていたかもしれないけど。そのルートはなくなったからな。


 だが、この先のユーレカなアイデアを実現するためには耐えがたきを耐え、明日のために今日の屈辱に耐えねばならないこともある。


「ほ、ほうでふひゃ?」


ジャンボフランクを中ほどまで丸呑みして、屈辱的な被写体になる。


 なんの資料写真かと言えば決まっている。プロのBL漫画家である三島(姉)の描く漫画の資料写真だ。




 何枚も写真を撮られて、屈辱タイム終了。今度は俺のお願いタイムである。




「で、なに?お願いって?由香里のお風呂とか盗撮してきてあげようか?」


「マジですか!?」


「お安い御用よ」


ちがう。そうじゃない。三島の裸は見たいかといえば、かなり上位に入る見たさだが、そうじゃない。


「いや。それじゃなくて……」


せっかくのお願いチケットなので三島の裸を泣く泣く諦める。


「一人、アシスタント雇ってくれません?」


「二宮くんを?」


「いや。俺じゃなくて、知ってるかな?市瀬真奈美さんって言うんですけど」


「あー」


三島(姉)がいかにも知ってそうな『あー』を放出する。話が早い。


「実は真奈美さん。高校卒業して、就職先さがしていて……。手先とか器用ですし、修羅場のときとか料理とかすごいですよ。最強メシスタントです。三つ星ホテルのケータリング並みですよ」


「まぁ……うん。私は別にアシとか使ってないんだけど……いいよ。でも給料安いよ」


「そこは、たぶん大丈夫なんじゃないかと思います」


よかった。


 これはたったひとつの冴えたやり方だ。


 真奈美さんは、あのちまちましたノートを埋め尽くす絵を飽きずに描いていられる根気があって、修羅場のときは最強のメシスタントで、しかも三島のお姉さんなら真奈美さんを預けても安心だし会社勤めに比べれば対人能力も最小限で済む。


 ここで断られたら、真奈美さんの就職はほとんど絶望だ。


「すみません。無理言って」


もう一度、三島(姉)に頭を下げる。


「いや。無理じゃないし、むしろご飯作るの上手な子はありがたいんだけど……」


「だけど?」


言葉と口調が同期していないことが引っかかる。


「……由香里も不憫な妹だなぁって思って」


そう言って、三島(姉)がアイスティーを口に含む。


「え?三島?」


「うん。あの子、二宮くんのこと、べたべたに好きだったんだよ。現在進行形かもしれないけど」


ほんの少し苦いものが胸から上がってくる。同時に唇と舌に三島の感触がよみがえってくる。


「ええ…まぁ、知ってました」


「ちょっと二宮くんに意地悪言うとさ。あの子。二宮くんが、二十四時間年中無休で市瀬真奈美ちゃんのことしか考えていないって言って泣いたりしてたんだ」


「…………」


言葉がない。


「いや。まぁ、ただの意地悪だし。なにかしろってわけじゃないんだけど、こうやって目の前で見せられるとさ。ああ。これをやられたら由香里はさぞかし辛かっただろうなって思って不憫になった」


「謝っておいてください。三島に……」


そう言って、もう一度頭を下げる。


「いや。謝ることじゃないと思うけど。二宮くんって、本当に真奈美ちゃんのこと好きなんだねーって、ちょっと妬けちゃった」


「そうですか?」


「うん。だって私にそんなこと頼むなんて、なかなか思いつかないよ。どんだけ真奈美ちゃんのことを真剣に考えているんだこいつって感じ」


変態的な表情ばかり見せていた三島(姉)にそんなことを言われるとは意外だ。


 そんなに俺って真奈美さんのことばかり考えているだろうか?


 美沙ちゃんにも同じことを言われたな。お姉ちゃんのことばっかりだって。


 言われてみれば、そんな気もしてきた。




 俺って二十四時間年中無休で真奈美さんのことばかり考えているのか?


 そうかもしれない。


◆◆◆◆


 二日後。


 真奈美さんを連れて、三島(姉)先輩……いや、あえて三島先生と呼ぼう。真奈美さんの就職先の社長さんであり、漫画家の先生なのだから。実際、絵もすごい上手い。上手すぎて、大学で初対面の女子大生たちに俺がモデルだって一発でわかってしまったほどなのだ。俺の人権が侵害されるレベルの画力である。おのれ。


「よし。いくぞ」


玄関の前で軽く気合を入れる。二階建てのごくごく普通の民家の表札には『三島』と筆っぽい文字で彫られている。その下の呼び鈴を押す。すぐに返事が返ってきて、ドアが開く。


「いらっしゃい」


ぬぼーっと現れたのは、三島先生。


 トレーナーにジャージパンツという女子力マイナス値で登場だが、すごい人なんだぞ。


「失礼します」


「し…つれい…ます」


こちらも、ジャージ姿に前後同じ髪の長さの超ワンレングスヘアーの真奈美さんを伴って家に上げてもらう。女子力マイナス値では、こっちも負けていない。


「二宮くんから話は聞いてるから。それより早速手伝って。やばいから」


「はい」


「はい」


ドラクエみたいな縦列になって、二階に促される。二階の突き当たりの部屋が三島先生の仕事場だった。ふと、横を見るとドアに『由香里の部屋』と書かれた飾りがかかっている。


 ここが三島由香里の部屋だったのか……と不思議な気分になる。


 高校生の頃は一度もこの家に招かれたことはなかった。今になって三島の部屋のドアを見ることになるとは……。


「そっち、真奈美ちゃん使って」


部屋に入ると二つ並んだデスクの片方を指差す。真奈美さんが素直にそっち側の椅子に座る。


「消しゴムかけて。そのくらい出来るでしょ」


「……う、うん」


「デカいのと小さいのどっちがいい?」


三島先生が消しゴムを二種類出して、真奈美さんに問う。


「ち、小さいの」


「はい」


小さい方の消しゴムと、どばんっと束になった漫画の原稿用紙が渡される。原稿用紙自体は、つばめちゃんのところで何度も見たことがある。珍しくもない。


「あ、俺も手伝いましょうか?」


「たのむ。そっちのちゃぶ台でいい?机」


「はい」


最小限の会話で俺にはデカい方の消しゴムと別の束が渡される。




 ………なんだこれ。


 正直びびる。


 つばめちゃんも上手だったけど、三島の姉ちゃんの絵はハンパない。線一本でレベルが違う。迷いもためらいもない、すっと伸びた線とメリハリのついたベタ。それにカケアミや点描まで、まさかこれを全部インクとペンで描いているとはにわかに信じられない。とはいっても、世の中で出版されているマンガは全部もともとはこうやってインクで描かれているのだ。すごい。これには生原稿の迫力というものがある。


 なるほどと思う。


 これはカネの取れるレベルだ。


 同人誌を描いているつばめちゃんをディスる分けじゃないけど、プロとアマチュアの上手な人との間には確実に溝がある。


 まちがっても消しゴムで、グシャっとかしてしまわないように注意深く消しゴムをかけて行く。


 ちまちまちまちまと、丁寧に消しゴムをかけていく。まず前腕が痛くなってくる。次に目がしょぼしょぼしてきて、消しゴムでシャーペンの線が消えているのかどうか分からなくなってくる。


 これはいけない。


「ちょ、ちょっと休憩してもいいですか?」


おそるおそる、真奈美さんと並んだ三島先生に声をかける。


「いーよ」


振り向きもせずに、背中で答えてくれる。ふたりともすごい集中力だな。


「お、お茶でも入れてきましょうか?」


ふたりが働いているのに、ぼーっとしているのも申し訳ない。でも消しゴムかけは、もうちょっと休憩してからにしたい。その折衷案で雑用を申し出る。三島先生の机の上のマグカップは空っぽになっている。


「台所にティーバッグあるから」


最低限の情報を三島先生に聞いて、マグカップを回収して部屋を出る。三島由香里の部屋の前を通過して階段を降りる。戸棚からティーバッグとポットを発見し、ヤカンを火にかける。マグカップを一度洗う。口紅がついたりはしてないな。完璧にすっぴんだもんな。


 ふっと息を吐いて、よかったなと思う。


 三島の姉ちゃんは外で会うとキテレツだけど、仕事をしているときはこれ以上はないほどの無口だ。真奈美さんには、その無口さがむしろ丁度よさそうだ。真奈美さんもひたすら紙に向かっていればいいならなんとかなりそうだ。


 就職先の安定性としては、はなはだ心もとないが三島の姉ちゃんがアシスタントを必要としなくなるのも大企業に勤めてリストラに会うのも今の世の中では同じような確率という気がする。


 お湯が沸く。


 真奈美さんの淹れ方を見習って、お湯をそのまましばらく沸騰させたままにしてからティーバッグの入ったポットに注ぐ。ティーバッグを上げる皿と、マグカップをあと二つ適当に探し出す。


 あ、真奈美さんの淹れ方はきっちり百七十六秒カウントするんだった。どのくらいだったっけ。数え忘れたぞ。


 まぁ、いいや。


 トレイにポットとカップを載せて二階に戻る。当たり前だが、まだ部屋の中では真奈美さんと三島先生が机に向かって作業をしている。


「二宮くん。『ティータイムなどいかがですか、お嬢様』って言って」


ぐっ……。


 イカれた要求をするのは、もちろん三島先生の方だ。


「ティータイムなどいかがですか、お嬢様」


ここでは三島先生は社長なので逆らわないよ。マグカップに紅茶を注いで、こぼさない位置にそっと差し出す。


「ん。ありがと」


そう言って、マグカップから一口含む。


「真奈美さんも」


「…あ。うん……あ、ありがと」


紙の上にかがみこんでいた真奈美さんも顔を上げて、マグカップを受け取る。


 ふと見ると、俺の割り当て分の原稿も真奈美さんの机に移動していた。俺の集中力は、もうゼロだからな。いい判断である。サボっている奴が言うなである。


 二人分出したら三杯目はほぼなくなった。二人の背中を見ながら、少し渋みのある紅茶を飲む。


 真奈美さんは、ひたすら身じろぎもせずに淡々と消しゴムをかけていく。


 三島先生はペン入れ作業中らしく紙をくるくると机の上で回して、ときおりペンをインクつぼに突っ込みながら黙々と作業をしていく。


 描いているのはBL漫画で、美少年が美青年に色々される漫画のはずだが作業をしている後姿を見ていると、まるで職人の工房だ。当たり前だ。あの絵を描くのに、どれだけの研鑽を積めばいいのか想像もつかない。


 きっと俺が色々使っているエロ漫画もこうやって描かれているんだろうな。ヒトコマも疎かにせずにエンジョイしよう。うん。だから美沙ちゃん、俺のエロゲとエロ漫画返してくれないかな。



◆◆◆◆



 夕方近くになって、消しゴムかけの作業が完了した。


「え。終わった?」


真奈美さんが作業終了を報告すると、三島先生が少し驚いたような顔で作業済みの原稿の束を受け取りチェックする。


「おお。さんきゅー。これならオッケーだよ」


真奈美さんは、無言でうなずいている。


「でも、これだと仕事一日で終わっちゃったな」


真奈美さんが早くも失業の危機である。


「もう夕方ですし、メシスタントとかは?」


俺が失業の危機に助け舟を出してみる。


「ああ。そうだね。そうしよう。ご飯作って行ってよ」


こっくり。真奈美さんが大きくうなずいて、席を立つ。


「あ。待って。食材もないから、買ってきて」


三島先生から、エコバッグと五千円札を一枚受け取る。家を出る前に真奈美さんが、台所に立ち寄って炊飯器をセットして、ざっと調味料の棚をチェックする。料理のことになると相変わらずの抜け目のなさである。


 真奈美さんと二人で家を出る。たしか駅から来る途中にスーパーがあったはずだ。


 背中を丸めて、とことこと真奈美さんが歩く。真っ直ぐに歩く。もう歩行進路がぶれたりしない。普通の人よりもやや時間をかけて、スーパーにたどり着く。


「なに作るの?」


「…麻婆茄子がいいかな。ほ、本当は煮込み料理の方がいいと思うんだけど……じ、時間かかるから」


なるほど。今が夕方で、夕食までに今から準備して間に合うものと言ったら、そうなるのか。


 真奈美さんは、迷いなく材料をポイポイとカゴに放り込んで行く。ジップロックの袋もいくつか買う。


「冷凍にしておけば、レンジで温めて食べられるから」


材料を買って、三島家に戻る。


 あとはシェフ真奈美さんに任せる。


 真奈美さんは、本当にどこの三ツ星レストランで修行したんだろう。野菜を剥くのにピーラーも使わずに包丁でスルスルと剥いて、ざっと油を引いたフライパンで出掛けに炊いていたご飯を材料と一緒に炒めてピラフにしながら、もう一つのフライパンで麻婆茄子を作り始める。同時にほうれん草のおひたしも作ってる。


 何度見ても神業である。


「そろそろ、先生呼んでくる?」


「うん」


当然、その後は真奈美さん料理に三島先生絶句である。気持ちは分かる。ご家庭で出てくるレベルではないのである。


「漫画作業なくても毎日来てね!」


真奈美さん、就職完了である。アシスタントというよりメイド力で就職完了。手に飛びぬけた技術のある人は就職に有利である。




(つづく)

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