第2話 美少女と秘密の汚部屋



「にーくん。まだ寝ないっすかー」


俺の部屋で例によってごろごろしながら漫画を読んでる妹が言う。あと、分かりづらいかもしれないけど、妹の言う『にーくん』というのは、兄である俺のこと。兄さん→兄くん→にーくん、という変形だそうな。最初は言われるたびに踏みつけたりしてたが、一向に効果がないのであきらめた。というか、妹は野菜(名前が真菜)なので、踏まれるほど強くなる気がする。それは雑草か…。


「今、宿題やってるから、おわったらな」


「にーくんのくせにまじめっすー。早く寝るっすー」


「うるせー」


なんで、こいつ今日に限って寝ろ寝ろ言うんだ?


まぁ、いいや。とりあえず、明日は確実に当たるパターンだから数学やっておかなくちゃな。




三十分後。


「にーくん。まだ寝ないっすかー」


「寝るよ。おめーが出てけば。宿題も終わったし。いつまでも人の部屋で漫画読んでんじゃない」


「わかったっすー。まんが貸してー」


「もってけ」


わさっと漫画を持って、妹がようやく部屋を出て行く。




 さて、歯を磨いて寝るか…。と、洗面台に向かうと部屋の前の廊下に妹が立っていた。壁に張り付いてスネークみたいに。


「なにやってんだ?」


「なんでもないっすー」


「??」


変なヤツ…。あ、こいつが変なのは今さら言うまでもなかった。なにせ『女子高生なんだからたまにはメイクとかしてみてもいいんだぞ』と言ったら、KISSみたいな悪魔メイクで中指立てるようなやつだからな。本人的には小悪魔メイクに勝ったつもりらしい。馬鹿すぎる。当然、悪魔退治した。


 洗面台で歯を磨いて、部屋に戻る途中も妹が自分の部屋のドアの隙間から覗いていた。不気味だ。不気味だが、とりあえず時間も時間だから寝る。


 布団に入り電気を消して目を閉じる。寝るときって、好きな女の子の顔をどこまで正確に思い出せるかってやると、すんなり寝れるよね。


 そのとき、ドアをそっと開ける気配がした。


 どうせ、漫画の途中の巻を持って行き忘れたとかだろう。せっかく眠りに落ちかけたのに…。そこに、妹がジャンピングダブルニードロップを見舞ってきた。


「ぐあっ!?」


 なぜぇっ!?続けざまにマウントポジションを取られる。いかん、完全に敵のペース!


 来た!


 マウントポジションからの打ちおろし正拳突きだ。


「くっ!」


 首をねじってかろうじてかわす。ぼすっと鈍い音を立てて妹の右手が枕に突き刺さる。続けざまに左手が降ってくる。これもかわす。なんで無言で攻撃されてんの!?やばい!こわいっ!無言やめて!こわい!


 あっ!


 髪を右手で捕まえられた。もう逃げようがな…ぎゃっ


 ごっごっごっ


 頭蓋骨を伝わる打撃音。小柄な妹のパンチとは言え、容赦ないのでけっこうきつい。意識を持っていかれそうだ。


「起きた?」


起きてたし、むしろ眠らされるところだったよ。


「ぁあ!?ふざけんな!ついにイカれたのか?」


「人生相談」


「んあっ!?」


「人生相談をするときは、兄が寝たところで馬乗りになって、ひっぱたいて起こすものだと本に書いてあったっす」


あれは有害図書だとは思わないんだけど、受け手次第なんだな。極端な馬鹿は、なにを読んでも有害だ。


「お前、エロゲとか隠してないだろ」


「隠してるのは、にーくんっすー。机の引き出しを抜いた下にパッケージを隠してるっすー。同級生と後輩と無人島に遭難するゲームっすー。なんで妹モノじゃないんすかー」


 黙れ。


「んで?なんの相談なんだよ。つーか、まずマウント外せ。両肩を膝で押し付けるいいマウントになってんだよ。」


「外すときは後ろに下がって外すのと、前に上がって、にーくんの好きな顔面騎乗経由とどっちがいいっすか?」


「横に降りろ。二秒で。さもないとお前の部屋でウンコする」


 ようやく降りた。それにしても、相変わらず軽いなコイツ。けっこう食べてる気がするんだけど、いつまでたってもガリガリだよなぁ。


「んで?相談ってなんだよ」


「登校拒否っすよー」


「おまえが?学校大好きじゃねーか」


「私じゃないっすよー。友達にー。市瀬美沙って子がいるんすけどー」


「お前の友達なら、お前が相談に乗ってやれ」


「にーくんは、なんでそうせっかちすっかー。最後まで聞いてー」


「ん。わるかった」


「その美沙っちのー。っすねー」


俺もせっかちだけど、お前ものんびりすぎるぞ。


「お姉ちゃんがですねー。にーくんの学年だったはずなんすけどー」


「市瀬、なんていたかな」


「一年生の最初一週間しか授業出てないっすよー」


「そりゃ、知らないわ。もう二年だし。つーか、その姉ちゃんもうアウトだろ。留年だろ」


そんなもん、相談されても困る。学校の制度は変えられない。


「一年の間はー。保健室登校してたらしいんすよねー。だから、二年のはずっすよー」


「あー。なるほど」


「それがー。二年になって、保健室登校も途切れがちでー。いよいよアウト近いらしくてー。美沙っちが、学校に行けと強打したらー」


「強打したの!?」


「あれ?ちがったかな。まぁ、なんかしたら、そのお姉ちゃんが将来は美沙っちに養ってもらうから、高校中退でいいよとか泣き出してー」


美沙ちゃんとやら、同情するよ。そりゃだめだー。


「つまり、それで、その美沙とやらの姉ちゃんを高校に登校させて欲しいと…」


「そういうことっすー」


「お断る」


「だめっすかー」


がっくりとうなだれる妹。こいつ、馬鹿だけどけっこう友達思いだから、本当にがっくりきてそうだ。こういうところ見ると、悪い妹じゃないんだけどなぁ。というか、今の流れの会話部分だけ見ると、俺の方が冷酷すぎる気がしてきた。なにげに、肩とか震わせているし、まさか泣いてるのか。


「…とは、思ったけど、まぁ、一応話だけ聞いてやるよ。なに?その美沙ちゃんに聞けばいいの?」


「ニヤリ」


うそ泣きかよ。悪い妹だ。




 そんなこんなで、翌日の放課後に学校の図書室で妹と待ち合わせ。


「よぉ」


 案の定、妹の方が先に到着していた。横にいるのが例の市瀬さんかな。


「おーにーくんきたー」


全部平仮名で言うな、お肉来たみたいだから。


「あ、はじめまして。市瀬美沙です。真菜さんにはお世話になっております。」


うお…。これは…。


ぺこりと上品に頭を下げる市瀬さんは、極上の美少女だった。さらさらと癖のない黒髪に、切れ長の目に、ほっそりとした顎のライン。しかも高校一年生にしては、けっこうご立派な…。


「あ、ああ。はじめまして…。と、ところで」


「はい」


「うちの妹に世話になってるとか、社交辞令でも嘘はよくないんじゃないかな。どうみても反対だろう」


バカ妹がこの知的美少女の世話をしているとは思えない。間違いなく迷惑をかけてる。


「いいえー。真菜さんは、クラスでも一番の人気者でみんなにも頼られているんですよ」


美沙ちゃんの欠点は優しいうそつきなのか?


「そうっすよー。にーくん。私、クラス委員にも推薦されて、担任に止められるほどの人望っすよー」


担任に止められる異常事態じゃねーか。そういえば、ヒトラーも当時のドイツじゃ大人気だったんだよな。


「あのー。それで、お兄さん」


「あ、すまん。お姉さんの話だったよな」


まずは、作戦を立てるために図書室の端に席を確保して、それぞれ座る。妹と俺は、ぎぎーと椅子を片手で引きずって、美沙さんは両手で音を立てないように椅子を引いていた。うちら、育ち悪いな。


「姉は…真奈美というんですが…登校拒否になってしまっていて、色々手を尽くしたんですが、どうしても学校に行きたくないと言うんですよ。それで、もう私も母もどうしようもなくて、父は、ほら、高校生の娘の扱い方とかてんでダメじゃないですかー」


そういえば、うちの親父も中学生になったあたりから、真菜を丸めた新聞紙で殴らなくなったな。ってか、やっぱりうちって育ちが悪くないかな。


 それにしても、うつむき気味に訥々と話す美沙ちゃんのなんという和風美少女っぷりよ。かわいいなぁ。


「…それで真菜さんが一度うちに来てくれて、真菜さんもがんばってくれたんですが、だめで…」


「すみません。このバカはなにをやらかしやがりました?」


「え?」


「いや、このバカ。絶対なにかまずいことをやったでしょう?」


「いえ。三時間ほど、姉の話を聞きながら励ましたりしてくれました。私と母は、もっと強く出てもいいって言ったんですが、それはもう大変に辛抱強く…」


まじでか?


「本当に辛抱強く、三時間ずーっと『気合だ!気合だ!気合だ!』って励ましてました」


ああ、妹だ。本当のことみたいだ。横を見ると、妹が完璧なドヤ顔を披露してた。なんかムカつくが、美沙ちゃんの前なので攻撃は控える。


「それで、真菜さんがいつも絶賛している、お兄さんの力を借りようと思って…」


ありえん…。


 いろいろと妹の行動に謎は残るが、とりあえず美沙ちゃんは可愛いし、頼ってくれているのを断るというのもありえない。快諾して、市瀬家に行ってみることにした。




 学校から二駅ほど離れた住宅街を美沙ちゃんと二人で歩く。妹は学校を出る直前に英語の教師に捕まっていた。宿題の英文和訳の丸写しがバレたらしく連行。馬鹿すぎ。英語教師グッジョブ。美沙ちゃんと、早速の二人っきりである。




 市瀬家に向かいながら、経緯をさらに細かく聞く。どうやら、お姉さんは中学生のころから情緒不安定で、友達をなくして…つーか、むしろいじめられてて、それでも中学は卒業したらしいんだが、高校に入っても中学生の頃にお姉さんをいじめてた女子グループがまるごと同じクラスになって、限界に達しちゃったそうだ。女子のイジメとか、男子の想像力を超える陰湿さだそうだしなぁ…。そんな、ちょっと気になってる美少女との二人っきりの時間をすごすにはふさわしくない感じの話題で、時間を台無しにしながら市瀬家に到着。


「ただいまー。」


「お、お邪魔します」


「おかえりなさい。美沙…。あら、もう来て下さったの?そちらが、真菜ちゃんの絶賛してた、頼りになるお兄さんね。」


美沙ちゃんのお母さんにも、話が通ってるぞ。お母さんも美人だ。たいへん素晴らしい遺伝情報をお持ちのようで。


「え、ええ…。頼りになるかどうかは分かりませんが…。あの…ところで」


「はい?」


「なんです?お兄さん」


「あのバ…えっと、妹は俺のことをなんて言っていたんです?」


「チョースゲーマジパネーお兄様だと言ってましたよ」


「そうですか」




 市瀬家の長女、市瀬真奈美さんの部屋は二階の奥にあった。


 あまり刺激しないように、そっとノックをする。


 返事がない。


「お兄さん。だめです」


「え?」


「ノックして返事をしたためしがありません。突入しちゃってください」


男が女子高生の部屋に突入するわけには行かないだろう。


「お兄さんがやりづらいなら、私がやります」


強い意志を感じさせる眼差しも素敵な美沙ちゃん。


 ばんっ。ドア全開。


 うお。汚部屋。


 カーテンを閉め切ったゴミだらけの部屋奥にベッドがあり、その上で何かが背中を丸めてテレビに向かっている。


「お姉ちゃん!」


ガサガサガサガサ。


 ゴミをかき分けて美少女が進撃する。すごい絵面だ。


ベッドの上の何かは、びくっとして部屋の隅に逃げるように身体を縮める。白い服がひらひらと…。あ、まずい。長い髪で後ろを向いていたから気がつかなかったけど、下着しか着てないじゃないか。なんていうの。キャミ?スリップ?なんか、そんなの。


 慌てて後ろを向く。


「あっ。お兄さん。なにをしているんですか。入ってきてください。」


入って来いって…。


「ちょ、ちょっと待った。まずいだろ!まず、なんか着てくれよ」


後ろを向いたまま、多少キョドった返事しかできない。だって、アレだぞ。いくら汚部屋の住人とは言っても、俺はまだ同い年の女子が下着姿でいるところに突入するほど超越できてないぞ。


「気にしないでください!お兄さん!」


「気にするよ!とにかくなんか着て!」


なんで、美沙ちゃん、そんなに気合入っちゃったんだ。あれか、バカ妹の影響か。悪影響か。


「んもー。気にしなくていいのに!」


ガサガサガサガサ。ゴミをかき分けて、美沙ちゃんが部屋から出てくると、向かいにある美沙ちゃんの部屋に入る。三十秒で手にスウェットを持って出てくる。


 ガサガサガサガサ。


「ほらっ。お姉ちゃん!これあげるから着て!ほら自分で!」


ガサガサガサガサ。


「だからっ。まずキャミ脱ぐの!スウェットなんだから」


ガサガサガサガサ。バサ。


「やっぱり、ブラ着けてない!垂れるよ!私は知らないけど」


 背後でなにが行われているか考えちゃダメだ。


「お兄さん!スウェット着せました!さぁ、お願いします。ベッドの上にうずくまってますから。チョースゲーマジパネーことしちゃってください!」


部屋に突入してベッドの上で、女子高生にチョースゲーマジパネーことをしたら、法に触れるし、倫理的にも問題があるし、この小説が有害図書指定を受けるからダメだ。


「ひっ」


小さな悲鳴があがる。


「しないからっ!なんにもしないから!安心して」


ってか、こっちが逃げたい。なんで美沙ちゃん、こんなに強硬なの。なんだか、妹の言っていた強打したってのも、あながち間違ってないかもしれないよ。


 毛布やら枕やらをかき集めてベッドの端にうずくまっている市瀬真奈美。風呂に入っていないのか、長い髪はべとべとに固まっていて、とてもじゃないが隣で凜と立っている妹の美沙ちゃんの姉には見えない。


「えっと、俺。二宮直人。同じ学校…のはずなんだけど…で、同じ学年な。学校じゃ会ったことないけど。」


怖がらせないように、部屋の入口に立ち止まって、距離を保ったまま話しかける。


「………」


口だけパクパクさせているところを見ると、なにかしゃべっているのかな。


「お姉ちゃん!失礼でしょ!せっかく来てくれたのに帰ってとか!」


「ひっ」


美沙ちゃん。怖がらせない努力が台無しだからやめて。


 じっくり話を聞いて、まずは友達になってからだからね、と言って即時解決を切望する美沙ちゃんをなだめてから、市瀬真奈美と汚部屋で差し向かいになる。




「よ。な、なにしてたの?ゲーム」


「………」


ああ、ドラクエね。全部の職業レベル九十九とかできるの?初代のファミコンだ。まだ動いているの初めて見た。ところで、学校なんだけどさ。出席日数がそろそろまずいみたいだよ。


「………い」


うん。学校に着ていく服がない。制服は?


「………た」


ある日、便器の中で発見されたの?洗ったけど、制服を見るとその時の光景がフラッシュバックして吐きそうになって着れないのか。


「………い」


美沙ちゃんと、家族には心配かけて申し訳ない。わかってはいるんだな。


「………ぬ」


家族に心配かけた罪で切腹はいけないと思うよ。手首も同じだからダメだと思うよ。


「そこ………た」


えっ!?このシーツの固まってるところ、この上で手首切った血が固まった跡なの!?うわぁ…。


「………ょ」


いや、引いてない!引いてないよ!死んだほうがいいなんてことないよ!死んだら、ご家族も悲しむしさ。


「………な」


家族が悲しまない死に方なんてないよ。それは絶対ダメだからね。


「………ぐずっ」


あ、しまった。ぐずぐず泣き始めた。




 そのまま二時間ほどしたところで、真奈美がぐずぐず泣きながら子供みたいに寝ちゃったところで終了。




「お兄さん。どうでした?チョースゲーマジパネーことしました?」


それはしてないからね。美沙ちゃん。


「いや。なんかぐずぐず泣きながら寝ちゃったよ」


「そうですか…はぁ…」


美少女のがっかり顔は見たくないんだけど。


「お兄さん、途中まで送っていきますよ。もう、暗いんで大通りの角までですけど」


道は覚えているんだけど、美沙ちゃんとお散歩できるのはわりとご褒美として妥当なんじゃないかと思ったから、お言葉に甘えるとするよ。




「去年、お兄さんが姉と同じクラスだったらよかったのに…」


街灯の明かりの下を歩きながら美沙ちゃんが言う。


「真菜のお兄さんだから、きっと、お姉ちゃんがいじめられたときに助けてくれてたと思うんです」


「買いかぶりすぎじゃないかな」


「そうなんですか?」


そうだよ。俺は、正直言って妹ほどには友達を大事にしないし、あんなにいいやつじゃない。妹はバカで邪悪で悪魔メイクしたりするけど、友達は大事にするし、正しいことをするときは躊躇わない。俺は躊躇ってばかりなのに。あいつには、そういうとこでは敵わない。


「でも、まぁ、明日も挑戦するよ。少しずつ話して、出席日数がアウトになるまではがんばってみるよ。そのくらいしか出来ないけど」


「はい。明日も来てください」


うわぁ。かわいい。明日も汚部屋に進撃する勇気がわいてきた。




(つづく)

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