第15話 夢。

「あら?直人くん、どうしたの?」


「お兄さん。制服、すごい汚れてますよ」


市瀬家に到着すると、美沙ちゃんのお母さんと美沙ちゃんから同時に指摘される。


「いや。ちょっと…公園で道草をして…」


どう説明したものだろうか?高校生にもなって、公園の遊具で遊んで砂まみれになったと言うのも少し恥ずかしい。


「公園で道草?ひょっとして真奈美も?」


こくっ。


 同じくジャージを砂まみれにした真奈美さんがうなずく。ジャージなら砂まみれもある程度アリだろう。俺の制服姿で砂まみれはちょっとナシな気がする。帰ったら、クリーニング代に出して明日はジャージで学校に行こう。夏休みの間でよかった。


「あらあら。あら」


お母様、嬉しそうだな。


「……」


微妙な表情で無言なのは美沙ちゃん。そっちのリアクションの方が自然だと思う。高校生にもなって公園で道草で砂まみれなのだから。


「それじゃあ、また明日…」


そういって、辞去しようとするとお母さんに止められた。


「あ、待って。直人くん。制服クリーニングしておいてあげるわ。うちの人のものだけど、着替えも貸してあげる」


「え、いや。お気遣いなく…」


「いえいえ。いいの。いいの。あがって」


「じゃあ、お邪魔します」


お母さんに押し切られて、おじゃますることにした。


「…私の部屋、くる?」


真奈美さんに腕を握られて、引っ張られる。真奈美さんの手の、すこしひんやりした感触にどきどきする。握られた手首から、全身に公園で感じた重みが再生される。やばい。


「…あ」


「……」


美沙ちゃんとすれ違う瞬間、目があう。つい目をそらしてしまった。なんで、目をそらしたんだ。俺。


「お、お姉ちゃん。だ、だめだよ。砂がパラパラ落ちてるよっ!」


美沙ちゃんが思わぬ大声で、真奈美さんを制止する。真奈美さんフリーズ。怯えさせちゃったんじゃないか?


「…ご、ごめ…」


「えっと。ま、まず最初お姉ちゃん。着替え取って来てシャワー浴びてきなよ!お、お兄さんは…えっと、わ、私の部屋にどうぞ」


真奈美さんが、素直に二階にのぼって行く。その後をついて美沙ちゃん。俺もついて行っていいのかな。美沙ちゃんの部屋まで?


 美沙ちゃんの部屋に、こんなタイミングで入れるとは思わなかった。


 美沙ちゃんの部屋かー。


 興味津々である。当たり前である。美沙ちゃんである。男子高校生である。ふこーっ。ふこーっ。鼻息だって荒くなる。


「……」


部屋のドアノブに手をかけたまま美沙ちゃんがフリーズする。今日の市瀬姉妹はフリーズが多いな。


「…んぐ…やっぱりだめです」


だめか。やはり、そんなに簡単に美沙ちゃんの部屋は見れないか。残念。


「…くっ…か、かと言って、お兄さんを部屋に監禁しておかないと…お姉ちゃんが裸でうろつく可能性があるし…」


部屋に呼んでくれたのは拘束および監禁が目的だったのね。そっか。


「そうだっ!外に出ましょう!」


美沙ちゃんが、満面の笑みで振り返る。


 じーわじーわじーわじーわじょわじょわじょわじょわじぃぃいー。


 市瀬家の小さな庭もセミさんの大合唱。


 縁側に美沙ちゃんと並んで座って、お話タイム。


「あついですねー」


「あついねー」


差しさわりないお話から導入である。経験上、こういう差しさわりのない前フリがあると続くのは差しさわりのある話である。要注意だ。


「お兄さん…」


きた。差しさわりのある話が始まるぞ。


「ん?」


「姉となにかありました?」


びくうっ!


「…えっと…」


覚悟しててもダメだった。目が泳いじゃったよ。


「あったんですね?」


だめだ。ニュータイプ美沙ちゃんをごまかすことは出来ない。というか、俺の反応が素直すぎる。


「その…抱きつかれたというか、のしのし這い乗られたというか…」


「あー。やっぱり…」


「やっぱり?」


「姉、人に気を許すとベタベタ抱きつきたがるんです。普段は、ほら、あんな感じで人と話すことすらままならないんですけど、一度抱きついていい相手だと思うとベタベタ抱きつきまくりです。私も、甘い顔を見せるとベタベタ抱きつかれてウザいからキツめに対応してるんです。きっとお兄さんも、先日教室で漏らしたときに抱きついても嫌がらなかったから、抱きつきオッケーな人って認識されたんですよ」


そういうことだったのか。


「な、なるほど」


「なので別に抱きつかれても、大した意味はなくて、ようするに『怖くない人』って意味ですからね。勘違いするとイタいですよ。っていうか、今のうちに少しは当たりを強くしておかないとナメられますよ」


なんだか、動物のしつけみたいになってるよ。美沙ちゃん。意外と、実のお姉さんに酷いな…。でも、そんなものかな?


「わかりましたか?姉に抱きつかれてデレデレしないでください。いいですね」


上目遣いでにらみつけるようにしながら確認してくる。なんで、そんなに迫力出してるの?


「わかりました」


「本当ですよ。もうデレデレしないでくださいね」


なんで、叱られてるんだろう…。


「しないってば」


「まさか、抱きつかれて気持ちよかったんですか?」


まぁ、そりゃ…ねぇ。


「えっと…」


「つまり、お兄さんは死にたいんですね?」


なぜぇ?!


「真奈美さんに抱きつかれてもデレデレしないよ。絶対だよ。うん。」


「たいへん、いいお返事です。お兄さん」


にこっ。


 美沙ちゃんの笑顔が可愛くて怖い。


◆◆◆◆


 市瀬家で、チノパンとシャツを借りて着替えた。チノパンなんて、普段穿かないからなんだか変な感じだ。


「…オッサンくさいです。お兄さん」


「う…そ、そうかな」


「そんなことないわよ。似合ってるわよ。直人くん。昔のあの人みたいだわ」


あの人って、美沙ちゃんのお父上のことかな。あのダンディ親父に似てるとは到底思えないんだけど。


「じゃあ、俺は、これで」


「はい。今日もありがとうね」


お母さんニコニコ。美沙ちゃんのお母さんは、さすがに美沙ちゃんのお母さんで、年齢を感じさせないところがある。


「私も駅前に用事があるから一緒に行きましょう」


美沙ちゃんと、並んで市瀬家を出る。並んで歩く。私服の美沙ちゃんも可愛いのだ。美沙ちゃんの私服はワンピース姿が多いんだけど、今日も肩の出ているワンピース。肩が細くてかわいい。そりゃ、これだけ可愛ければ真奈美さんだって隙があれば抱きつくだろう。俺も抱きつきたい。


「お兄さん」


「ん?」


「姉に抱きつかれて、どんな感じでした?」


「ど、どんなって?」


またか?なんでそんなに何度も聞くのだろう。やっぱり今回も返答を間違えると死ぬのだろうか?


「だから、どうでした?」


気のせいか、美沙ちゃんの目からハイライトが無くなっている気がする。


「夏で暑かったし。真奈美さん、夏なのに長袖の上着まで着たジャージだし。なんてことなかったかな?うん」


ここまで棒読みの俺である。


「じゃあ、次、抱きつかれてもデレデレしませんね」


この美沙ちゃんのセリフは、翻訳すると『死ぬぞ…』という意味だ。選択肢を間違ってはいけない。


「し、しません」


「…そうですか」


生き延びた。これはアレだ。アドベンチャーゲームで「dead end」に行かないために正しい選択肢を選びきったのと同じ達成感だ。やったぜ。エロゲなら、イベントCGくらいは回収できるタイミングだ。そして、俺の脳はすっかりエロゲ脳。


 それっきり美沙ちゃんは黙った。すこしうつむいて歩いているから、表情もわかりづらいが、少なくとも笑ってはいない。


 ああ、そうか。


 わかった。


 真奈美さんが抱きつくほど懐いていたのは、美沙ちゃんだけだったのかもしれない。お姉さんを横取りされたみたいに感じているのか…。


 大丈夫だよ。俺は、真奈美さんを取ったりしないから。


 なんて、セリフはキザ過ぎて言えないけど。


 駅に着いた。


「それじゃあ、また明日ね。美沙ちゃん」


「あ…は、はい。また、あした」


改札を通って振り返ると、美沙ちゃんがまだこちらを見ていた。和風美少女の面目躍如の律儀さである。素敵。


◆◆◆◆


「…っ!………っすよー!ぎゃははは」


うるせー。


「…っすかねー」


うるせー。何時だと思っているんだ。


 ばむっ。


 久しぶりに壁パンチで隣室の妹に苦情を伝える。夜の十時ごろから三時間くらい電話で話をしているのか、ぼそぼそと声が聞こえてきている。内容が分かるほどではないんだが、電気を消して布団に入っていると、気になって眠れない。こちらとら、毎朝五時半起きなのだ。


 完全に話し声がやんだわけではないが、小声にはなった。


 美沙ちゃんが一人。美沙ちゃんが二人。


 最近、眠れないときは羊じゃなくて、美沙ちゃんを数える…。数えるというか、記憶を確かめるみたいに、美沙ちゃんの顔立ちとか肌とか髪の長さとかをなるべく細かく思い浮かべるようにしてると眠れる。


 美沙ちゃんの輪郭は…。目は…。


 ぼんやりしてきた。眠れそうだ。意識が遠のく。


 切れ長の目。微かに笑って細くなった目。垂れ気味の眉毛。高い鼻と桜色の唇。透明なセルロイドの肌。小さな少し引っ込んだ顎。細くて長い首がジャージの襟元につながって、鎖骨が浮いている。


 …真奈美さん?


 真奈美さん…。


 そして、俺は眠りに落ちた。


◆◆◆◆


 夢だ。




 夢の中で、そう気がついた。


 通っていた小学校の帰り道の路地。通学路は向こうの大通りだったのだけど、こっちの路地を抜けていくほうが、なにかが起こりそうで、こっちを好んで通っていたっけ。


 あれから町は、少しずつ変わってしまったけれど、夢の中では昔のままだった。今は、スタバとかの入ったおしゃれなビルになったところも、昔のままの空き地だ。イタリアレストランになった角も、まだ魚屋さんだ。


 空き地の横の道を綺麗なお母さんというには若すぎる女性が、女の子二人を連れて歩いている。小さなほうの黄色い服を着た女の子は、お母さんの足元にまとわりついている。もう一人の青い服の女の子は、少し後れてついていく。青い服の子が道端でなにかを見つけたのか、しゃがみこむ。お母さんと黄色い服の子は気づかないで歩いていく。十五メートルほど進んで気づいた。


「まなぁー。なにしてるのー。置いていくわよー」


真菜?妹なのか…あの子。いや、ちがうし、お袋はあんなに綺麗じゃないし…。


 ああ、そうか。


 気づく。真奈美さんと、美沙ちゃんだ。


 子供の真奈美さんだ…。


「まなぁー」


お母さんが何度も呼ぶ。立ち止まっているのに飽きた黄色い子…美沙ちゃんがぐずりはじめる。お母さんは美沙ちゃんを抱き上げて、あやしながら三度、真奈美さんを呼ぶ。


 青い子が立ち上がって、何度か振り返りながらようやくお母さんのほうに歩く。


 高校生の俺の前を、三歳児くらいの真奈美さんが通過していく。


 俺を見上げる。


 あの目だ。薄い色の瞳。


「…いや?」


高校生の真奈美さんの声で、青い服の女の子がたずねた。そして、俺の返事を待たずにお母さんのところへ歩いていく。


「もう、なにしてるの。道草しちゃだめでしょ!」


イライラしていたのか、小さな子に言うには強めの口調。


 両腕にぐずり始めた美沙ちゃんを抱えたまま、今度は真奈美さんが道草をしていないか振り返りながら歩いていく。


 路地の坂道を下っていく。


 ああそうだ。この先は、ドライアイスを卸している店があったんだ。今はもうないけれど。


 気になってついていく。


 ランドセルをしょった子供たちに追い抜かれる。


 小学生たちは、店の脇に捨てられた割れて商品にならなくなったドライアイスをつまんで遊んでいる。そうそう。ここでちっちゃなドライアイスを拾って、凍傷にならないように気をつけながら、コップとかの水に入れるのが楽しかったんだよな。


 赤いランドセルを背負った女の子が数人友達と現れて、混じる。


 その中の一人だけは振り返りもせずに歩いていく。


 短いスカートから覗く真っ白な脚。セルロイドの肌。


「真奈美さん」


思わずつぶやいた俺の声に、その子は一瞬振り返り、それでも立ち止まることなく歩いていく。一人で…。


 角を曲がって、見えなくなる。


「待って…」


追いかける。


 角を曲がると、駄菓子屋があった通りだ。中学校に上がる前に駄菓子屋は閉店して、店の幅いっぱいに自動販売機が並んだところだ。


 自動販売機が並んでいる。


 通りの向こう側を女の子が歩いている。中学校の制服を着て、うつむいて、足元だけを見て、青ざめていて、手にびしょぬれの上履きを持って、ひとりで歩いている。


「真奈美さんっ!」


 大きなトラックが道を俺と真奈美さんの間を横切る。何台も横切る。


 トラックがいなくなると、町は、すっかり現在の町並みになっていた。


 真奈美さんのうちに行こう。高校生になっているはずだ。部屋に、ひきこもっているはずだ。


 夢だとは知っているけど、やめられない。


 電車に乗ろうとして、スイカも財布もないことに気づく。呆然とする。


「お兄さん」


振り返ると、美沙ちゃんがいた。ちょうど良かった。


「あ、美沙ちゃん。悪いんだけどさ。百六十円だけ貸して」


「姉のところに行くんですか?」


「…ま、まぁね」


「だめです」


「美沙ちゃん。俺は…」


俺は?


「なんでですか?」


「え?」


「かわいそうだから?姉がひとりっきりで、かわいそうだからですか?それとも、ひとりっきりの姉ならライバルもいないうちに、美人をモノにできるから?だから、姉のところへ行って抱きしめるんですか?」


これは、美沙ちゃんじゃない。これは…。


◆◆◆◆


 ぴぴぴぴぴぴぴぴぴ。


 目覚ましの音で、意識が覚醒する。


 なにか、とても悲しい夢を見たことだけ覚えている。胸のあたりに罪悪感と自己嫌悪が溜まっている。夢……。どんなだったけ?思い出せない。


 というわけで、嫌な寝起き。


 着替えようとして、制服がないことに気づく。ああ、そうだったけね。


 ジャージを出して、着替える。上はTシャツ。暑いし。


 部屋を出て、妹の部屋の前で立ち止まる。


「あいつもたまには、一緒に行かないかな?」


ふと思い立ってドアをノックしてみる。返事がない。当たり前か。起きているわけがない。そういえば、妹は昨夜遅くまで電話してたっけ。つーか、寝起きが悪かったのはあいつのせいかもしれない。昨夜、うるさくて眠れなかったしな。おにょれ。


 ポケットの中のスイカと財布を確かめて、家を出る。


 今日はスイカを持ってるぞ。


 今日は?


 電車に乗り、一駅。市瀬家へ向かって歩く。途中の角を曲がると児童公園。まっすぐ行くと市瀬家。携帯を取り出し時間を見る。時間ちょうどだけど、角を曲がってみる。児童公園。土管とコンクリを組み合わせた遊具。あの中で、真奈美さんが抱きついてきたんだったな。


 むむむ。思い出しちゃいかん。変な気持ちになる。あと、気持ちよかったとか言うと美沙ちゃんに殺害されるかもしれない。


 いかん。いかん。


 頭を振って、遠心力でイメージを吹き飛ばし、元の道に戻る。


 七分遅刻で、呼び鈴を押す。


「おはよーごひゃいまふゅー。お兄しぇん」


美沙ちゃんのあくび。きゃわいい。今朝も朝から美沙ちゃんのかわいらしさは絶好調だ。


 ダイニングから香ってくるのは、絶品真奈美コーヒー。最近、少し楽しみになってきた。


「おはよー二宮くん」


「おはよう」


「…おは…よ」


市瀬家の食卓は、美人のお母さんとダンディなお父さんと美少女の美沙ちゃんという、なんだか不動産屋さんの広告にでてきそうなダイニングだ。顎まで前髪で隠した真奈美さんが異彩を放っているけど…。それでも、なかなかに絵になる。優雅と言ってもいいかもしれない。


 ぴんぽんぴんぽんぴんぽん。


 呼び鈴が連打される。


「あ、真菜だ。あけてくるね」


妹?あいつが朝、六時半に起きたの?


「ただいまーっす。寝坊したっすーっ」


本当だ。妹だ。玄関から聞こえてくる短いセリフだけで分かる。これだけ短いセリフの中に、ここまで意味不明な組み合わせを実現できるのはあいつしかいない。誇らしくはない。恥ずかしい。


 ばたばたばたばた。


「おはよーっす。わー。うまそーっす」


「すみません。うちの妹です」


寝癖までそのままで妹が、よそのうちのダイニングにあがりこんできた。もう、俺の胸は申し訳ない気持ちと恥ずかしさでいっぱいだ。


「知ってるわよ」


「知ってるぞ」


ご存知だったか。まぁ、うん。俺よりたくさん来てるだろうしな…。


「真菜ちゃん。朝ごはん食べる?」


「甘やかさないでください。おかまいな…」


「いただきまっすー」


お前は、これ以上エネルギーを追加しなくていい。エネルギー切れで寝ててくれ。自分の部屋で…。


 真奈美さんの前髪がうらやましい。俺も、前髪の中に逃げ込みたくなってきた。


◆◆◆◆


 羞恥プレイになった朝食をクリアして、学校に向かう時間になった。


「いってきます」


「おじゃましましたー」


「…いって…す」


「いってくるっすー」


妹と美沙ちゃんが少し先を並んで歩いている。その後ろを真奈美さんがついていく。その斜め後ろが俺のポジション。真奈美さんが前髪の隙間から俺の顔ばかり、じーっと見ているので電柱やガードレールに突撃しないように進路を修正するには、この位置が一番やりやすい。夏休み前半で覚えた。


 …そうか。手を引けばいいんだよ。そうすれば進路修正は、もっと簡単だ。


 照れるけど…。


 うん。手を引こう。それがいい。


 グッドアイデア。慧眼である。


 真奈美さんに一歩近づいて、手を握る。


「…あ」


真奈美さんが、小さな声をあげて…。


 抱きついてきた。


 うわっ。そうだった!


 バッドアイデア。浅はかである。


「ぬおっ。やはりっすかーっ」


「!!」


異常な気配を感じた妹と美沙ちゃんが同時に振り返る。いかんっ。美沙ちゃんの目がまん丸だ。


 ふわっ。ぎゅっ。むにゅっ。


 そうしている間にも、なんか甘いにおいがして、温かくて、やわらかい。なんで、真奈美さん痩せてるのに、こんなにやわらかいんだ。まずいなぁ。気持ちよくなってきちゃう。ごめん。気づいたかと思うけど、本心ではまずいと思ってない。流されまくりの俺の本心である。天下の往来なのに…。


「はなれ…るっす…」


いたたたた。妹の手が真奈美さんと俺の密着部分。すなわち、真奈美さんの頭と俺の顔に手をかけて引き剥がしにかかる。爪が痛いっ。痛いってば。


 ぎゅーっ。


 真奈美さんもそれに抵抗して、俺の背中に爪を立てる。痛い!痛い!


「美沙っちも手伝うっすー。んぎぎぎぎ」


おい。真菜。お前、歯を食いしばりすぎてすごい顔になってるぞ。


「あっ。うんっ。お姉ちゃん!やめて!」


がっ。


 美沙ちゃんが、俺の背中に回された真奈美さんの手を引き剥がしにかかる。ぎゃー。爪を立てたままで引っ張らないでっ!いたたたたたた!背中の流血とミミズ腫れという代償を払って、ようやく真奈美さんが引き剥がされる。


「お姉ちゃん!路上でなにやってんの!?変態にもほどがあるよ!」


「……」


真奈美さんが泣くから、あまり責めないであげて。


「真奈美っち!」


「…ひっ」


妹よ。もっとやめろ。ただでさえ真奈美さんは、お前を恐れているからな。もらすぞ。


「私と手をつなぐっす」


命令だ。これで、パーティの配置は妹と真奈美さんが前衛。後ろに俺と美沙ちゃんが続くという隊列になる。


◆◆◆◆


 妹が真奈美さんの手を引いている。真奈美さんはいつもどおりうつむいている。手を引いている…という言葉があまりしっくり来ない。なぜだろう。この光景には、もっとふさわしい言葉があるような気がする。たぶん、妹が真奈美さんの両手首を一緒に鷲づかみにしているからそう思うのだろう。あまり見ないタイプの手の繋ぎ方だ。


 そうか。「連行」だ。


 妹が真奈美さんを連行している。


 しっくりきた。


「お、お兄さん…。あ、ああやってると、真菜と姉の方が姉妹みたいですね」


「そ、そうかな?」


ごめん。美沙ちゃん。俺には姉妹には見えない。兵士と捕虜に見える。


「わ、私たちも手をつなぐと兄妹…み、みたいかも…し、しれませんね」


わかった。美沙ちゃん。俺が悪かった。真奈美さんに抱きつかれて、気持ちよかった。否定するのも男らしくない…。覚悟を決めて、両手をそろえて差し出す。刑事ドラマなどのラストシーンで出てくる。「刑事さん。私がやりました」状態だ。


「…!」


美沙ちゃんが、息を呑んで、その一瞬後に俺の左手を握った。


 あれ?両手じゃないの?


 美沙ちゃんのほっそりとした右手が俺の左手の手のひらに触れる。指の間に指が入り込んでくる。手のひらと手のひらが合わさる。


 ごくり。


 ここここ、これは伝説の恋人つなぎじゃないか!


「り、リセットです」


美沙ちゃんが目を合わせないまま、そんなことを言ってくる。


「り、リセット?」


どういうこと?


「あ、姉に抱きつかれて、へ、へんな感覚残っちゃうでしょ。だ、だだだ、だから。手のひらでリセットです」


なるほど。た、たしかに美沙ちゃんとの恋人つなぎの衝撃で、さっきの真奈美さん流血ハグの感触を一瞬忘れていた。


 うん。リセットされた。


 ぎろ。


 前を歩く捕虜真奈美さん前髪の間から、すごい魔眼波動が一瞬放出されたが、妹がぐいぐい転びそうな勢いで引っ張るためか、すぐにつんのめりそうになって、波動が消える。


 前方を寝癖の残ったちびっこい女子高生が、ジャージ姿の顔を全部髪で隠したヤシガニスタイルを連行している。その後ろでは、顔を真っ赤にした俺と、うつむいて顔色の分からない美沙ちゃんが、恋人つなぎで手をつないで歩いている。そのおかしな組み合わせで駅まで歩く。


 学校の最寄り駅からは、リセット完了とみたのか美沙ちゃんは手を繋ごうとは言わずに、普通に歩く。真菜伍長による捕虜連行は相変わらずだ。


 教室に行くと、今日も佐々木先生が待っててくれた。「佐々木大佐。二宮真菜伍長他二名。捕虜、市瀬真奈美を連行してまいりました」ってところだなと思う。


「ごくろうさん。二宮くん」


「ははっ!」


「朝から、なんのまね?二宮くん?」


しまった。つい敬礼しちゃった。




(つづく)

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