第8話 「黒い雌馬」

 「黒い雌馬」


 その店の名前を数え切れないほど口にして、ようやくのことで店の場所に当たりが付いた。裏通りにあるとは知っていたが、見当を付けていた場所とは全然違っていたからだ。


 そしてたどり着いた場所は裏は裏でも、一流ホテルが建ち並ぶ場所の裏。


 裏の裏は表――という考えがまかり通るなら、その酒場の裏には一流ホテル。きっと大陸の上層部、つまり貴族達がお忍びで来るような店だということだ。


 まぁ、気に入らない奴がいれば切ればいいか。


 一瞬鼻白んだドッペだったが、そう考えて気を取り直す。右手は背負った剣の柄を確かめていた。


 そのまま店の構えを眺めてみると、夜の闇の中にとけ込むほどに黒く塗られていた。大きさも両隣の店に合わせるようにして、目立たない造り。


 それでも雌馬の看板ぐらい出していそうなものだが、出ていないようだ。店全体を黒くして……


 そこまで考えて、馬鹿らしくなってやめた。


 まっすぐ扉へと向かうと、扉の両脇に姿勢良く立っている用心棒が目に入る。


 邪魔するようなら――切ろう、と思う前に用心棒二人が脇に避けて頭を下げてきた。


 少し気分を良くして扉を開けると、いつから待っていたのかきっちりとリコウトがいる。

 昼間のなんちゃって貴族のような姿ではない。どこからどうみても暗黒街の顔役だ。


「なるほど。それが本当の姿か」

「そうです。この店も私の息がかかってますから、どうぞお気遣いなく」

「そんなもん、するつもりはねぇよ」


 リコウトはいつも笑みを浮かべる。


「カジノの二階席を用意してあります。上から賭け事に夢中になる人を見るのは、なかなかいい気分ですよ」

「いい趣味してやがる」


 肩をすくめるドッペに背を向けて、リコウトは先に立って歩き始める。


「お前でも、やっぱり人がいる場所のほうが安心か?」


 その背中に皮肉げに話しかけるドッペ。


「いや、個室もあるんですけどね。いきなり私と差し向かいで話をするのも、あまりゾッとしないでしょう?」


 そういった状況を想像して、思わず納得してしまうドッペ。


「フーリッツ殿あたりに何か言われましたか?」


 さらにリコウトが図星を突いてくる。


「い、いや別に、何もねぇよ。あいつは関係ねぇ」


 とドッペが答えたところで、リコウトが扉を開ける。どうやらそこがそのまま、目的の場所らしい。階段を上った覚えもないから、カジノは掘り下げた位置にあるようだ。


 リコウトに続いてドッペも扉をくぐると、そこから見える景色は大体想像していたのと同じようなモノだった。


 カジノ自体はさほど大きくない。ルーレット台が一つとカード台が二つあるぐらいだ。その隙間を多種多彩な客と、銀のトレイを持ってい給仕を続けるバニーガールの姿が見える。


 そのカジノを見下ろすようにバルコニー席が、ぐるりと壁に取り付けられている。その席に座っている客は仮面を付けている者が多い。


 大方どこかの貴族で、下のカジノに従者を送り込んで上から指示でも出しているのだろう。


 そんな店内をざっと見渡して、ドッペは危険無しと判断して席に着く。


 ……と言うか、危険が起こっても全て切り抜けられるという自信がある。


「すぐにでもクロッブをお持ちしましょうか? それとも証拠をご覧になられますか?」


 リコウトも腰を掛け、それと同時にこう切り出してくる。


 しばしの逡巡の後、ドッペは証拠の方を見ることにした。フーリッツに言われたこともあるが、考えてみればここは敵地だということにも思い至ったからだ。


 用件は出来るだけ速く済ませた方がいい。


 そのままカジノ客の歓声に身を任せながらしばらく待っていると、いつか見た無表情な男が書類の束をもってやってきた。


「エリアン、ご苦労でしたね」

「やっぱり、お前はリコウトで間違いないんだな」


 エリアンの姿を確認して、ドッペは感心したような声をあげる。


「――いったい、どこまで疑えば気が済むんですか? 私はリコウト。トルハランのリコウトですよ」


 楽しそうな声をあげながら、そういうリコウト。


「俺じゃねぇよ。俺は最初からそこは疑ってなかったさ」

「そうですね。貴方の人を見る眼は確かだ。そして、それを証明するものがここにあります――エリアン、あちらをしばらくお願いできますか」


 書類を置いたエリアンは、そのリコウトの指示にうなずくと無表情のままその場を後にする。


「さて、参りましょうかドッペ殿。あの恥知らずの勇者が何をしたのか証明して見せますよ」









 時間にすれば、ほんの半刻ぐらいだったのかもしれない。


 しかしドッペは異界で最も長い迷宮を突破した時よりも疲労感を覚えていた。


 確かにシャングのことは気にくわなかった。


 しかし、それでも戦友であることには間違いない。正直、朝に聞いた話は半信半疑だった。しかし、今この場ではリコウトが次から次へと先回りして、シャングは無実だったという迷宮の出口にたどり着けないでいる。


 さらにドッペを打ちのめしたのは――


「それに、この資料だとお前の妹が……」


ドッペが全てを言い切る前に、リコウトはにっこりと笑うことでそれを遮った。


「その話は、また後でしましょう。それよりも私の言ったことを信じて頂けましたか?」

「ええっと、何だっけ?」

「貴方の本当の才能。その人の本質を見抜くという才能です。私はそれこそが新しい時代に必要な才能だと思うんです」


 リコウトは熱心に話しかける。


「新しい時代?」

「貴方達の活躍で、魔族は一掃されました。これからは人の時代です。つまり人が自分達で自分を監督していかなければならないんですよ。貴方の力が、その才能が必要なんです」


 大げさなことを、とドッペは思う。


 まるで自分を貴族か何かと勘違いしている――いや勘違いではなかった。

 この男は貴族どころか王族なのだ。


 ゴクリ――。


 ドッペの喉が鳴る。


「け、けどよ……」

「大丈夫。貴方の才能は私が保証しますよ」


 こんな時に、常に笑いっぱなしのリコウトの表情には説得力がない。


 いや、そもそも自分がシャングに対して反発心を覚えていたのは、シャングにばかり名声が集まるからだ。そんな嫉妬心があったことは、否定できない。


 いや、それがほとんどだと言ってもいい。


 だから、リコウトのこの熱心な言葉にも、頷くことが出来ない。


「ご自身の才能が信じられない?」

「そ、そりゃあよ。俺は今まで剣一本で売り出してきた男だから……」

「ドッペ殿。時代は変わりつつあるのですよ」


 言いながら、リコウトは視線を下のカジノへと流す。それにつられるようにして、ドッペの視線もカジノへ。


「あそこに、一人厄介なのがいるはずなんですよ」

「は?」

「平たく言うと、いかさま師が紛れ込んでるんですよ。ここのところあがりを抜かれてましてね」


 言われて目を細めて、カジノを見下ろすドッペ。


「情けない話ですが、我々には見つけることが出来ません」

「……おい」


 その先に続く言葉に気付いて、ドッペが声をあげる。


「さあ、貴方の力で見抜いて下さい」

「む、無茶を言うんじゃねぇ!」

「無茶なんか言ってませんよ。ドッペ殿にして頂きたいことは、ここからカジノを見下ろして、怪しいと思う人を私に言ってくれればいいだけなんですから。簡単でしょ?」


 確かに内容は簡単だ。


「そ、そうは言ってもなぁ」

「まぁ、とにかく見るところから始めましょう。さぁ、どうぞ」


 重ねてリコウトに言われて、ドッペは戸惑いながらもカジノへと目を落とした。


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