第3話 一転敗勢

 リコウト・スーサイム。


 トルハラン王国スーサイム朝の血縁者ということとなれば、そういう姓を名乗るのは何ら不思議なことではない。トルハランという国はクレモアと同じく歴史の古い国ではあるが大陸の南端という地理が災いしてか、それほどの発展は成し遂げられなかった。


 クックハンの方が新興国であるのだ。


 三年前――ということであるから魔族が侵攻を開始してから、かなりの時が流れ、シャング達の名が大陸に知れ渡り始めた頃である――前王の庶子としてリコウトは名乗りを上げ、それが現在のトルハラン王ターダスに承認され王族の一員に加わり、国政にも参加。


 これがよく知られているリコウトの経歴である。


 そこからさらに事情を掘り下げた報告書が、今リリィの手の中にある。


 カーテンを閉め切った薄暗い自分の私室で、リリィは報告書に目を通していた。

 まっすぐに書き物机の前に腰掛けて。


「リコウト。姓はなく、クックハンあるいはトルハランの出身であることに間違いはないが正確なところは不明」


 声に出して読み上げてみる。さらに報告は続く――






 ――トルハランに姿を現したのは約四年前。


 記録に最初に名前が出てくるのは、地下組織ファーガニス殲滅時の重要な情報提供者としてである。トルハランに巣くっていた、悪辣な犯罪組織はこれによって息の根を止められたが、その代わりの組織がすぐに誕生した。


 その首魁がまたもリコウトなのである。


 リコウトは地下組織を乗っ取るために、トルハラン軍を利用したことになる。


 そうと気付いたトルハラン首脳部は歯噛みしたが、リコウトはファーガニスとは比べものにならないほど残忍で狡猾で、しかも始末の悪いことに民衆の支持を受けた。


 リコウトは自ら進んで義賊的なパフォーマンスを繰り返したのだ。


 その活動は猖獗を極め、トルハラン王宮は政権を維持するためにはリコウトに対して懐柔策を持ちかけるしか手は残っていなかったのである。


 最初は爵位を提案した。


 しかしリコウトは最初から王弟という地位を要求し、ついにはその要求を押し通してしまった。

 しかも彼自身は相変わらず地下組織のリーダーのままなのである。


 普通はこのように日和った首魁からは、部下達の心が離れるものであったがリコウトの地下組織への支配力には微塵の翳りも見えなかった。


 こうしてリコウトは表と裏の権力を一身に集中させ、現在トルハランの実質的な支配者と言っても過言ではない。


「……あるいは簒奪に及ぶ可能性も否定できない」


 報告書は、そんな正直すぎる言葉で締めくくられていた。


 ピントがずれた言葉だとリリィは思った。


 最初からリコウトは王族であることを望んでいるのだ。王族が王位を“簒奪する”とは言わないだろう。

 その一点から見ても、リコウトの野心は明らかでしかも本人はそれを隠そうともしていない。


 リリィの脳裏には、あの笑顔を浮かべることしかなかったリコウトの姿が思い出される。


 コンコン!


 その時、強めにドアがノックされていることにリリィは気付いた。

 ハンスにしては乱暴なことだ。慌ててリリィは扉を開ける。


「良かったご無事でしたか」


 開けて早々、ハンスは大げさに安堵して見せた。リリィは訝しげな表情で尋ねる。


「どうしたの?」

「何度ノックしてもご返事がないものですから……」

「え?」


 報告書に集中しすぎていたらしい。ただ、それにしてもハンスの言い様は大げさすぎるような気がする。

 リリィは部屋から出ながら、ハンスに問いただすと、


「今、いらっしゃっているお客様の雰囲気と申しましょうか……少々、剣呑なものを感じまして」


 その家令の言葉に、リリィは微妙に表情を変化させる。


 今来ている客とは、もちろん約束のあったリコウトのことだろう。


 伯爵家の家令として、長年色々な客を迎えてきたハンスの言うことだ。先ほどの報告書にあった地下組織の首魁という部分が思い出される。


 ただでさえ底が知れない相手のことだ。安易に父と面会させて良かったものか。


 リリィの足は応接室へ向けて、自然と速くなる。


 そして、その途中信じられないものを聞く。笑い声だ。


 南方一の“くわせもの”として名高い、ジレル伯ラライが声をあげて笑っているのだ。


 ある意味、予想していた最悪の事態よりも、さらに理不尽な状況に思えて、リリィは両開きの応接室の扉を勢いよく開け放った。


 その扉のすぐ側に、リコウトが姿勢良く立っている。その表情は相変わらずの読めない笑顔だ。


 今日の出で立ちも、あの似合わない黒いビロードの上着で、貴族としての役割を熱心に演じるつもりはないのがよくわかる。


 一応、剣帯に剣を吊しているが、これまた見るも貧弱な細剣で、武器としてはもとより儀礼用としても役に立ちそうもない。


 そんな、貴族もどきはリリィにこう声を掛けて、自らの特異性を示した。


「おや、リリィ殿。今日のお召し物は実にお美しい。このまま押し倒してしまいそうになりますよ」


 背後でハンスが息を呑む気配を感じた。視界の隅では伯爵が口を開けて大笑いしている。


 リリィは、また自分ではわからない語彙を使われたのだと理解した。しかし、それに反撃する手段はすでに手に入れてある。


「それもまた、一種の組織の間で使われる言葉ですか?」


 そのリリィの台詞を聞くと、リコウトはにっこりと笑みを浮かべた。


「もっと普遍的な言葉ですよ。おそらく人の歴史と同時に生まれた古い言葉の一つだと、私は考えています」


 伯爵がまた笑う。


 リコウトが通された応接間は、この屋敷の中でも特に贅を凝らした部屋だった。もちろん、その説明の冒頭には“見るものが見れば”という一文が付属することとなる。


 磨かれた大理石の床。その上には複雑な文様が編み込まれた絨毯。そして象牙で飾られたソファーセット。南向きの壁には大きなガラス窓がはめ込まれている。


 その窓の外はすでに赤く染まり始めている。斜めに入り込んでくる日差しは部屋の中を朱色に染め上げていた。

 ソファーに深く腰掛けた伯爵の髭も赤く染まっている。


「随分、ご機嫌ですわねお父様」


 結局リコウトにやりこめられた悔しさを、父に向けるリリィ。


「おお、実にいい気分だ。まさか我々の手を焼かせていた相手がこんな“どチンピラ”だったとはな。してやられたわい」


 言葉が首尾一貫してない上に、表情も実に嬉しそうなので、まったくちぐはぐな状態なのだが、リリィは父とリコウトが完全に意気投合していることを悟った。


 その父が、不意に真面目な表情に戻る。


「リコウト殿の腹案を儂も聞いたぞリリィ。全面的に協力することに決めた。お主はリコウト殿について、勉強させてもらえ」

「は?」


 どこまで話が進んでいるのか、リリィには見当も付かない。


「さて閣下の承認も頂いたことですし、本格的に詰めに入りましょうか――おかけになっては?」


 リコウトは丁重な笑顔を浮かべて、リリィにソファーセットを示す。


「それはリコウト様も……おかけになってください」

「私はいいんですよ。どのみち立っていた方が説明しやすいですし」

「説明?」


「はい。閣下には舞台装置の使用を許可いただきましたが、さらに詳しい説明が必要であることに変わりはありません。いや、それにしても“将を射んと欲すればまず馬を射よ”ということわざは実に的確ですね」

「そ、それは……」


 そういう文化的な言葉なら、リリィの語彙の中にも当然ある。そして、それが相手の親を口説き落とすことが結婚では近道に繋がるという暗喩によく使われていることも。

 思わず頬を染めるリリィ。


「閣下をどうやって口説き落とそうかと思いまして、まずはリリィ殿を誉めるところから始めてみましたが、実に大当たりで快諾を頂きましたよ」

「すると、我が娘は馬か」


 その伯爵の言葉に、リコウトは神妙に頷いて見せた。


「なるほど、そういうことになってしまいますね。これは失言でしたリリィ殿――」


 その笑みが憎い。

 そして、リコウトの向こう側でニヤニヤと笑い続けている父も憎い。

 どうして自分がこんな理不尽な目に遭っているのか、理解できないリリィ。


「どうかそんな顔をしないで下さい。せっかくの美貌が台無しですよ。私についての報告書は面白かったでしょう?」


 思わず息を呑み、真っ正面からリコウトを見つめるリリィ。


「さて、リリィ殿。貴女の密偵にそっとお渡しした報告書に書かれていることは真実なのか、それとも虚偽なのか。貴女はどう思われますか?」


 ――この男は!!

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