第6話 “人間”としての決意表明
「で、でも今の事態では、すでに英雄としての資格は喪失していると思うのですが」
観察を怠らずにリリィがそう答えると、リコウトは再び笑った。
苦笑と呼ばれるものであったが。
「まぁ……そうですね。でもね、彼は多分区別がついていないでしょう。彼にとっては戦い続けることこそが、英雄であり続けること。そういう風に認識してるんです」
「で、では、その思いこみを解くことこそが、価値観を崩すということに……」
勢い込んで尋ねるリリィの勢いがそこで止まってしまった。
リコウトが笑っていたから。
もの凄く残忍な笑みを浮かべていたから。
その時、リリィは理解した。この男は感情の表現を全て“笑う”事で代用しているのだと。
「――そうかもしれません。でも、それを確かめるためには準備が必要ですね」
「準備?」
未だリコウトの表情に気圧されたまま、リリィが短く応じた。
「まずはラウハを捕らえることです。ついでドッペ、最後にフーリッツ。そしてシャングは後のお楽しみ。こういう順番が理想的かつ現実的でしょうね」
話していく内に、リコウトの表情が普段のそれ――つかみ所のない、茫洋とした笑顔へと戻ってゆく。
「捕らえるのですか? 彼らを?」
リコウトの表情の変化よりも、リリィにはそこが気にかかった。
「ええ、捕らえるのです」
「殺すのではなく?」
そう言い切ったリリィの顔を、リコウトは面白そうに見つめて、
「リリィ様」
と、初めて彼女の名を呼んだ。
「は、はい」
「魔族という生き物が地上に現れて、私が一番先に考えついたことがなんだかわかりますか?」
「え……?」
その時、一陣の風がテラスの上を吹き抜けた。緑の香りがするのは変わりないが、そこに花の香りがかすかに漂う。春の兆しを告げるはずのその香りは、今のリリィにはやけに生々しく感じられた。
「怖い……とか。そういうことですか?」
花の香りに感じたことをそのままに、リリィが言葉を紡ぐ。
「はい。まぁ普通はそうなんでしょうね」
リリィの言葉にやっぱり笑顔で、リコウトが応じる。
魔族が現れたのは約十五年前。
侵攻が“一番最初に”行われた国は正確には存在しない。なぜなら魔族は魔力を用いてどこにでも突然現れたからだ。人々はほとんど同時に、何の準備もなく魔族の脅威にさらされることとなった。
そんな時に感じる感情は、まず恐怖だったはずだ。
怒りや悲しみは、その後にやってくる感情である様な気がする。
実際、安全であろう屋敷の奥にいたリリィでさえ、話を聞かされて泣き出してしまったことを今も覚えていた。
「私はその頃には十分、世の中を斜めに見ていましたから、こう思ったんです」
今にも笑い出しそうな表情で、リコウトはさらに続ける。
いったい、何の感情の代わりに笑っているのだろうか。
リリィは、そんなことを考えながらリコウトを見つめ続けた。
「神官達が言う“神”というものは、存在しないのだと。そんなものがいれば、魔族に対して何か手を打ってくれないと理不尽に過ぎる。そうは思いませんか?」
「…………」
リリィは答えることが出来ない。
彼女は貴族であり、その貴族の身分を保障しているのは他ならぬ“神”なのだ。
それはリコウトも変わらぬはずなのに、堂々とした無神論を言い切ってしまっている。となると、先ほどの“王を脅かして――”という言葉はやはり真実なのだろうか。
とすれば、どこからどこまでが本当で、どこからが嘘なのか。
そもそも、これは英雄達をなぜ捕らえるのかという話ではなかったのか?
リリィの混乱をよそに、リコウトはさらに続ける。
「さて、神はいないということで結論は出たのですが、そうなると困ったことがあります」
そう言いながらも、リコウトはやっぱり愉快そうに笑みを浮かべたままだ。
「悪い人間に天罰を下してくれる、便利な存在もいないということになります。とすると――」
リコウトはそこで、覗き込む様にしてリリィの菫色の瞳を見据えた。
「人間はやはり、人間のやることには自分で始末を付けなければならない、ということになります」
そのまま、リリィは飲み込まれそうになる。
リコウトの言葉に。
いや、リコウトそのものに。
「そ、それはわかる様な気がしますが、やはり捕らえるというのは……」
「悪いから殺す――というのでは神と同じです。人は自らが作り出した叡智、この場合は法に照らして彼らを断罪するのが筋でしょう。そのためにも彼らは捕らえなければなりません」
リリィの瞳を見据えたままで、リコウトは断定する。
「人を外れた者は、やはり人の手で裁かなければならない。たとえどんなに困難な道でもね。これが私が信じる理念です」
言うだけ言ってしまうと、リコウトはさっと上半身を起こしゆっくりとした動作でリリィに背を向けた。
リリィはその後ろ姿に追いすがる様に手を伸ばし、思わず声を出していた。
「あ……」
意味がある言葉ではない。ただ“行かせたくない”という想いが口をついただけだ。
その声はリリィの指に導かれるままにリコウトの背中に届く。
瞬間、リコウトが振り返った。
「ありがとうございます」
振り返ったリコウトの表情はやはり笑顔。
「協力を申し出てくれなければ、困ってしまうところでした。冗談もやりすぎには気を付けなければなりませんね」
「協力って、私はそんなこと……」
「違うんですか?」
リコウトが、えげつない笑顔のまま聞き返す。
「えっと……その……違いません」
複雑な表情のまま、その上頬まで染めて、リリィはリコウトの言葉に頷いてしまう――いや、頷いてしまった。
父の伯爵も随分な曲者だと思っていたが、このリコウトという男はさらにそれを上回る。
底が見えない。取り込まれてしまう。
そして、取り込まれることがイヤな気分ではない。
「それでは、まずはラウハから。そういうことでよろしいですか?」
リリィは、そのリコウトの雰囲気に飲み込まれて、また頷いてしまいそうになるが、すんでのところで思いとどまった。
「……よろしいも何も、具体的に何をすればいいのか伺っていないのですが」
「おお、そうでした」
ポンと手を叩いて、リコウトが応じる。その間抜けさ加減は果たして本当なのか。それとも演技なのか。
それを見極めていくことも、これからの私の仕事になる。
リリィはそう予感して、気を引き締めた。
そして、その予感は、大筋では当たる――
――ただそれは“人の時代”が始まった後も続くことになるのだ。
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