第二章 できること、できないこと

第1話 ただ滅び行く

 先日の会議で、ローシャッハという首飾りのことを話していた貴族がいた。

 そしてその貴族は今、爵位を失ってしまっている。


 爵位どころか国も失ってしまった。そのついでに命も落としている。


 引き金は間違いなく、ローシャッハだった。


 大きく輝くダイヤモンドを中心に、五色の宝石が鎖にちりばめられ、その細工は精緻を極めていた。


 この大陸が一つの大きな国イーンだった頃から伝わる逸品で、今では失われてしまった金属も多く含まれており、再現不可能とも言われている。


 それだけに伝国の宝物という、物々しい名称にも耐えうる人類の至宝ローシャッハ。

 今、その至宝は最強の魔法使いの胸元で輝いていた。


「自分で付けても、見れないからつまらないわね」


 力ずくでローシャッハを奪い取ったラウハは、すねたようにそう呟いた。


「贅沢言いやがって。見ろ、この部屋のひでぇこと」


 応じるドッペは、青い刀身にこびり付いた血を振り払いながらラウハへと向き直った。

 ここはエーハンスから南西へ十日ほど行った先にある、クレモアという国の王宮。


 すでに王宮としての姿はとどめておらず、大半は瓦解していた。

 もちろん、王宮の中で息をしている者はわずかに四人だけ。

 









 事の始まりはほんの数刻前――


 移動呪文で、四人はエーハンスのあった場所から一瞬にしてクレモアの城下町へ。

 晴れた空から現れた勇者達一行を、街の人々は遠巻きに見守っている。


 クレモアという国は昔、大陸がイーンとして一つだった頃には、ほんの地方都市に過ぎなかった。


 しかし英傑ザクソンの台頭によって、この地方は富み栄え、王宮の城壁の周りに人々が集まり始め、ついにはこのような城下町が出来てしまったのだ。


 魔族の侵攻の際には、この無防備さによって多く犠牲者を出したが、シャング達が大陸から魔族達を駆逐し始めて後、復興もまた速かった。


 この国の人たちは“自分たちが国を作った”という意識が強いのだ。

 だからこそ、国を救ってくれた勇者達への感謝の念も強い。


 勇者達の凶行はすでに伝わっていたが、それをにわかに受け入れられる者はそれほど多くはなかった。勇者達はこのクレモアの街を根城にしてしばらく行動していたこともあり、馴染みの宿屋、商店も数多く存在している。


 いわば、彼ら四人はクレモアの人々にとっては“よき隣人”でもあるのだ。


 四人は、そんな人々の複雑な思いをすべて無視して、街の真ん中をまっすぐに進んでいく。その道は王宮の城門へと向かう道だ。


 雑多に繁栄していったクレモアであるが、その道だけはまっすぐに、そしてきれいに舗装された石畳である。


 勇者達はそんな歴史ある道をごく静かに進んでゆく。特に暴れたりする様子はない。

 それどころか、その表情は実に穏やかなものだった。


 事情がよくわからない子供達が、彼らの足下に駆け寄っていく。ほんの少し前までは、そんな光景は珍しくとも何ともなかった。

 何しろ彼らは“よき隣人”でもあったのだから。


 だが、今は事情が違う。


 大人達は息をのみ、子供達の未来を想像してしまい目を閉じる。


「おいおい、危ねぇから足下で騒ぐなって」


 けれど聞こえてきたのは、ドッペの大きな声。しかも不機嫌そうな声ではなく、どこか笑いを含んだ声だった。


 それは失われたはずの日常ではなかったか。


 大人達は目を開ける。

 そこには前までと変わらない、子供達と戯れる勇者達の姿があった。


「お兄ちゃん達、遊ぼうよ!」

「そうだそうだ。かくれんぼがいいよ」


 そんな子供達の声まで、前と同じだ。


「ダメだ。ちょっと用事があるんだ。それが終わったら……」

「そうね、考えてあげてもいいわ」


 特に子供達の間で人気の高い――つまり一緒になってよく遊んでいた、ドッペとラウハがそう答える。


「用事って、何~~?」


 子供達の疑問の声に、変わらぬ表情のままフーリッツが短く答える。


「この国の王様に用があるんですよ」

「王様?」


 そして、大人達は走り出す。子供達を抱えて、勇者達から逃げ出すために。


 すでに勇者達は王宮の城門前までたどり着いていた。門番の二人が剣を抜いて四人に近付いてくる。

 ドッペが剣を抜き払う。フーリッツが槍を構える。


 次の瞬間には門番二人は絶命していた。


 一人はのどを切り裂かれ、もう一人は心臓を一突きにされて。


 そして、その場で立ち止まった四人の視線は軽く上へと向けられる。

 その先には王宮があった。


 ラウハの「光戦の杖」が輝く。


 放たれるのは、ラウハの「堕星」の呪文。本来はこういった攻城魔法である「堕星」の呪文は効果的にクレモアの王宮を打ち砕いた。


 さらにラウハは景気よく「集爆」の呪文を王宮へと放つ。


 高くそびえ立つ物見の塔は中程から折れた。わずかに銃眼だけが開けられたいる堅牢な城壁は粉々に吹き飛んだ。その上でわずかばかりに残った城の残骸はドミノ倒しに崩れてゆく。


「……ラウハ。やりすぎると、ローシャッハを探すのは控えめに言っても実に大変ですよ」


 調子に乗るラウハの耳元で、フーリッツが忠告を発する。


「あ、そうか!」


 ラウハの呪文詠唱が止まる。


 静寂が訪れ、石の粉が舞い上がる。それはしばらくの間、視界を遮っていた。


 しかし、それも収まり視界が回復した時、人々の目に飛び込んできたのは無惨に崩れ落ちた王宮。


 自然の石を切り出して、自然にあらざる形に積み上げられた巨大な建築物は、今再び自然な姿へと還っていた。

 わずかに残る城壁の跡、そして塔の尖塔の方がその場所では不自然だった。


 そして崩れた岩の間からにじみ出ている赤い液体。

 あの破壊の間に幾つの命が失われたのかは見当も付かない。


「あちゃ~、やりすぎたかな」


 とラウハは言うものも、その表情には笑みが浮かんでいた。


「後は俺たちに任せろ。どっちにしても踏み込まなくちゃならないんだ」


 ドッペの言葉にシャングがうなずき、あの必殺技の構えを取る。冗談じみた話だが王宮そのものが破壊されているというのに、城門は未だ無事なままだったのだ。


 大きな固い樫の木で作られた城門で、それが真っ黒な鉄と鋲とで補強されており、大きな攻城槌でも破壊にはかなりの時間がかかりそうな代物である。


 それが今、王宮を守るという役目をまったく果たせないままうち捨てられる形となった。


 その姿はあまりにも滑稽に過ぎる。


 シャングの放つ“ブリッツ・ペネトレイト”はそんな城門を、滅びの運命へと添わせることとなるだろ

う。


「いらねぇよ。大げさな奴だな」


 しかし、そんなシャングを遮るように長髪の戦士が前に進み出た。


 そのままドッペが抜き身のままの“海神のいびき”を、城門に向けて幾たびか振るう。


 一瞬にして、城門はバラバラに切り落とされた。向こう側の閂がむなしく宙に浮いているが、それもまた一瞬のこと。


 音を立てて、城門は崩れ落ちる。

 その欠片がすべて落ちる前にシャングが構えを解き、開いた城門から突入してゆく。


「あのむっつり野郎! また抜け駆けか!!」


 ドッペが叫びながらそれに続く。

 ラウハもそれに続こうとするが、それをフーリッツが抑えた。


「君は接近戦は不得手だろう。二人に任せておきたまえ」

「接近戦も何も、貴族どもは全員死んじゃってるわよ」

「クレモアの王宮には地下室があるんです。恐らく生き残りはそこに逃げ込んでいるでしょう」


 その言葉に、ラウハは目を輝かせる。


「じゃあ、ローシャッハもそこね!」


 フーリッツはそんなラウハの表情を見て実に愉快そうに笑った。


「あのクレモアの外交官。自分が地獄の扉を開けてしまうことになるとは思わなかったでしょうね」









 そのクレモアの外交官の名はジェイル・サーボードといった。


 彼の名は歴史上もっとも愚かな王として記録されている、時のクレモア王サイオンの名前の下にこっそりと記録されている。


 サーボードは、エーハンスの王宮があった場所に佇む四人の元へと現れると、まずローシャッハという首飾りを思いつく限りの美辞麗句で褒め称えた。

 それに目を輝かせるラウハ。


 あるいは、その瞬間にサーボードは自分の仕事の達成を確信したかも知れない。

 そして、とどめとばかりにこう言ってのけた。


「魔法使いラウハ。ありがたくも、クレモア王サイオン陛下よりローシャッハ下賜の詔が下された。早々にクレモア王宮に参内するように。しかる後に宮廷魔術師としての栄誉が与えられよう」


 しかし、その大上段な申し出にはラウハ本人どころか、ドッペまでが怒り狂った。


 「斬風」の呪文と“海神のいびき”がサーボードの身体を十文字に引き裂く。


 フーリッツは新たなる殺人の予感に心を振るわせ、シャングは次に戦う相手をクレモアと定めた。


 そして今、この風景が完成する。


 ラウハの情け容赦ない呪文の洗礼からかろうじて逃げ延び、地下室へと立て籠もった王族、そして貴族。


 彼らは血袋だった。


 地下室を真っ赤に染めるための血袋。


 シャングとドッペは競うかのように、剣で血袋を切り開いていった。


 果たしてその中には愛妾との情事に耽っており、半裸のままこの地下室へと逃げ込んだサイオンの姿もあったのだが、振り下ろされる剣の前で、命はすべて平等に並べられた。


 クレモア王サイオン。享年三十二歳。


 その命を奪ったのが、シャングなのかドッペなのかすら歴史は書き記していない。


 しかし彼の命を奪ったのは、他ならぬ彼自身の愚かさであったのだと、後年誰もが思い知ることとなる。


 その殺戮の現場に遅れたやってきた二人は、血がくるぶしまで溜まった室内をザブザブと音を立てて進んでゆく。


 そして壁を呪文で削っていくという、極めて乱暴な方法で宝箱を見つけ出し、その中に納められていたローシャッハを手に入れることに成功した。


 そして、ラウハがローシャッハを身につけて振り返った時には、すでに殺戮は完了していたという次第である。


「ひでぇもんだ。人ってのはどうしてこうも死体が汚らしくなるのかねぇ。これじゃ跡形もなく消えちまう魔族共の方がよっぽどましだぜ」


 血だまりにつばを吐き捨てながら、ドッペが剣を背中の鞘にしまい込む。


「ここを出たら、全部焼き尽くしてあげるわよ」


 そうやって無邪気に笑うラウハの胸元で輝くローシャッハ。

 その輝きは、彼女によく似合っていた。

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