第四章 最後の扉

第1話 落ち葉が積み重なるように

 夏の間、緑を誇った樹々達は早くも色づき始めていた。大陸の北側は杉などの常緑樹が多いが大陸の南側は広葉樹が多く、それだけに季節の移ろいには敏感だ。


 気の早い落ち葉が男の足下に絡みつく。


 男の手には白く輝く両刃の剣。剣は周囲を圧倒するかのように、輝きを増してゆく。光に触れた落ち葉が、燃え上がって消えた。


 男はその剣を掲げ、弓を引き絞るような姿勢を取る。


 その構えから放たれる技の名は、ブリッツ・ペネトレイト。


 男は剣を前へと突き出し、その切っ先からは光の渦が溢れ出し、今まで男が通ってきた細い道の上をまっすぐに駆け抜けてゆく。


 ――しかし、それだけだった。


 光が拡散し、強力な力が通り過ぎた後は、ただ秋の冷ややかな風が全てを元通りにしてしまった。


「追跡者ですか?」


 傍らに立つ神官――フーリッツが尋ねる。

 剣を持った男――シャングは剣を鞘に収めながら頷いた。


「手応えは?」


 再びの質問に、今度は首を横に振るシャング。


 ここはシミター半島から西南へと大陸に横切ったあたりにあるリッセン渓谷。大陸最長にして、最大の大河ロルドが長い年月を掛けて大地を削り出来上がった渓谷だ。


 このままロルドをたどれば、大陸最古の国ショウへと出ることになるが、そこは二人の目的地ではない。


 二人はシミター半島からまっすぐ南へ向かうつもりだった。


 ドッペとラウハという、二人の仲間を捕らえたと公言するリコウトの本拠地は大陸最南部に位置するトルハラン。


 わざわざ西に向かう必要はない。

 しかし、まっすぐに南下出来ない事情があった。


 それが先ほどフーリッツも口にしていた追跡者の存在である。


 ツジョカとザマに狙われて後、各国とも目立った軍事活動はしていない。二人の行く手を遮ることなく、ほとんど素通しの状態だ。


 しかし、国とは別の何かが動き出している。

 決して姿は見せない。しかし執拗に二人の行動を妨害している。


 道を塞ぐ、乗っていた船を沈める、といった小技から、シャングの持っていた盾“白昼の満月”を盗み取るなど、洒落にならない妨害もあった。これは泊まっていた宿屋に火を付けられたどさくさに行われたことで、正直二人ともここまでやってくるとは予想していなかった。


 まともなやり方ではない。

 それだけに二人の神経は休まる暇がない。それは徐々に体力をも削っている。


 そして、この嫌がらせとも思える執拗な追跡者のバックにいるのがリコウトだという事にも確信が持てないでいる。


 情報というのは、こんな何もない渓谷に転がっているものではない。人が住む村なり街なりに行かねばならないが、そこには素性のわからない人間がたくさんいて、追跡者の嫌がらせの幅がぐんと広がることになる。


 かといって、近付く人間全てを殺してしまうというのは、情報を得たいという欲求から考えると本末転倒の行いだ。


 ――二人は追いつめられていた。







 

 大陸規模で罠を張り、執拗な嫌がらせを指揮している男も、今は積極的な行動には移れないでいた。


 トルハランの王弟リコウト。


 かつてはそれだけで済んでいた男の肩書きは、夏の終わりから増加しつつある。


 まずクックハンのジレル伯爵家の継承者。


 通常なら、リリィが跡を継ぐべきところであるが、婚約と同時にリリィは継承権ごとリコウトに預けてしまった。これによってリコウトはクックハンの宮廷にも出入りできることになる。


 伯爵家の人間とリコウトからしてみれば、クックハン乗っ取りの準備だが、今現在のクックハンの宮廷からみると南方からの圧力の消滅ということになり、ジレル伯爵ラライはその政略を持ってまた名声を高めたことになる。


 リリィの婚約が他国の――それも元を正せばどこの馬の骨ともわからぬ――男と婚約ということで、クックハンの多くの若い貴族達が不満を漏らしたが、ジレル伯爵はその老獪さと、年に似合わぬ強引な手法でその全てを沈黙させてしまった。


 だからこの方面での不都合はごくごくわずかと言ってもいい。


 問題はその他の肩書きだ。


 ドッペを捕らえる際、リコウトとその部下達は言葉巧みに各国の警察権委譲の書類に国璽を押させてきた。


「全てはドッペを捕らえるための一時的な方便」


 だと。


 それがドッペを捕らえた今になっても、リコウトの部下達はその書類を盾に各国でやりたい放題に動き回っている。


 そんなわけで、リコウトの肩書きには今、あの芝居の中でドッペが就任するはずだった各国の枠を超えた警察組織の長官というものが加わっていた。


 無論、各国は抗議の声をあげるのだが、


「一時的な方便? 誰がそんなことを言ったんですか?」


 リコウトは、いっそすがすがしいほどの白々しさで、その抗議に応じていた。


 そうやって反論されると、抗議の声をあげる貴族の手には証拠の品は何もなく、ただ国璽が押された書類がリコウトの手元にあるという事実しか残っていないことに気付く。


 まったく、反抗されることになれていない貴族をだますことの何と簡単なことか。


 ――などというような笑顔でリコウトはその抗議に応じていた。


 もっとも、それでも素直に諦めたりしないのが貴族というもので、将来リコウトの義父となるジレル伯爵にねじ込んでくる者が多く、伯爵は今日、そんな各国の担当貴族を屋敷に招いて、会合の席を設けた。


 しかし公務に相応しいと思われる部屋はなかったので、あの大きなガラスの嵌った応接室に代表者を集めたために、それは重要な会合と言うよりは、むしろサロンでの談話という雰囲気になってしまっている。


 そんな中、伯爵は相変わらずの魔法使い的な容貌に柔和な笑みを浮かべていた。気温が下がってきた為だろうかここのところ体調が思わしくないということで、安楽椅子に腰掛けた上で、秋口だというのに膝掛けを掛けている。


 リコウトはその背後に、まるで従者のように立っていた。いつものようにビロードの上着を着て、そしていつものように笑みを浮かべている。


 いつもと違うのは左手の薬指に嵌められた、婚約指輪ぐらいのものだ。


 他の貴族達が全員腰掛けているのに比べると、この場では明らかにリコウトは格下に見える。それが貴族達の矛先をわずかながらも鈍らせる演出になっているのは、たぶんに計算してのことだろう。


「――なるほど、諸卿らの申し出いちいちもっともであろう」


 伯爵は全員の意見を聞いた上で、そうまとめた。

 希望に満ちた表情を浮かべる貴族達。


「確かに、この若造と来たら貴族の誇りというものをわかっておらん。証拠があろうとなかろうと、約束は約束。きっちりとケジメは付けさせよう」


 その言葉に恐縮したように頭を下げるリコウト。

 勝ち誇った笑みを浮かべる貴族達。


「……しかしじゃ」


 もちろん、そのまま終わる伯爵ではなかった。


「現実問題として、シャング達の脅威はこの大陸から消失したわけではないぞ。諸卿らにそれに対応する考えはおありか?」

(……能力はおありか?)


 心の中で一部訂正するリコウト。


「それを考えると、この若造は良くやっていると儂は思うがの」

「しかし、伯爵。私どもの国は街道に深刻な被害を受けました」

「我が国は連絡船を……」

「城内に火を」


 即座に苦情を並び立てる貴族達。


「エーハンスの例をお忘れか? クレモアの例は? 国そのものが消失するよりはずっとましな結果ではありませんかな?」


 そう言われてしまうと、反論の手だてがなくなる。


「そこでシャングとフーリッツを捕らえるまでは暫定的に現状で進めてみてはいかがかな? シャングの捕縛にウチの未来の息子は並々ならぬ熱意を持っていることは諸卿もご存じであろう。何、ずっとそのままでいいはずはない。シャング達を捕らえれば、儂の名にかけて必ず約束は守らせよう」


 その伯爵の言葉に思わず顔を見合わせる貴族達。


 ゴホッ、ゴホッ。


 と、不意に咳が響く。伯爵のものだった。

 リコウトが心配そうに、その背中をさすっている。


「すまんな諸卿方。どうにも身体の方が言うこと聞きよらん。そう言うことでお開きでかまわんじゃろうか? まったくこの若造が来てから気苦労の連続でなぁ」


 その伯爵の言葉をごまかすかのように、リコウトは顔を伏せて熱心に背中をさすり続ける。


 その光景は貴族達にも随分哀れに見え、騎士道精神から考えても、これ以上伯爵を追求できるはずもなく、会合はここでお開きとなった。

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