第3話 鈴を付けるのは?
ショウという国は、ロルドという河川が育んだ国とも言える。
ロルドが大地を削り、それによって肥沃な土に恵まれたこの場所は農耕文明が起こり、ついには大陸を支配するイーンという国を出現させた。
もっとも大陸を支配と言ったところでイーンの文明圏はこの時、大陸の三分の一ほどに及んでいるだけで、残りは未開地という言葉で一括りにされていた。
その統治は五百年ともいわれ、安定したシステムの成立は人口爆発を誘発し、人類はその版図を広げていった。
しかしイーンのシステムも老朽化が目立ち始め、それに取って代わったのがショウである。イーンとは違い最初から支配地域が広大だったショウは、大陸を地図上でいくつかに分断し、そこに王族や功臣を配置して大陸を治める統治方法を作り出した。
貴族の誕生である。
大河ロルドに育まれた、この肥沃な大地を抑えていたショウは、数百年の間は大陸を上手く統治していた。
しかし、文明が進み爛熟と言っていいレベルまで達するとショウの統治のタガは揺るみ始める。いや、緩まざるを得なかった。
もはや各国は、必ずしも自然の恵みを必要としなくなったのだ。
技術革新、魔法、あるいは宗教。様々な要因が貴族達のショウからの独立を促した。
かくして大陸は混乱の渦に飲み込まれ、多くの国が淘汰され、今日に至っている。
そして、その混乱は今も続いていると見るのが正解だろう。魔族の侵攻、そして勇者達の乱心と心休まる時はなかなか訪れてはくれなかった。
それでもショウだけは一応の敬意を持って各国から扱われ、さらにその国力の低下によって各国から無視されることで、長期にわたる穏やかな時間を謳歌していた。
しかしそれも、トルハランのリコウトという男の手によってもうすぐ崩れ去ろうとしていた。
エリアンの移動呪文でショウの都アマータにやってき三人、つまりリコウト、リリィ、エリアンの三人は早速宿を取った。
ロルドの畔にある、やはり中程度のホテル「ランショウジョ」だ。
木造三階建て、古めかしいホテルでそこかしこに古色が染みついているが、手入れがいいのか中に入れば思ったよりは快適だった。何より各部屋のテラスから見下ろせる雄大なロルドの流れは、まず絶品と言っても良い見事な景色だ。
無論リリィ、それにリコウトにしても身分を明かしてアマータの王宮に出向けばすぐにでも国賓扱いで、このホテルとは比べものにならないほどの宿に泊まることも出来るだろうが、その代わりダース単位の密偵、あるいは刺客に追われることになる。
あくまで極秘裏にショウに入国しないと、行動すらままならなくなる。
さらにそこまで気を配っても、ジレル伯爵家に二人がいないことを気付かれれば、有象無象が蠢き出すことだろう。つまり、さほど自由な時間があるわけではない。
それなのに――
「決まってない?」
リコウトの言葉に、リリィはオウム返しに尋ね返す。
「ランショウジョ」に腰を落ち着けて、エリアンが二人の部屋にやってきたところで、現地での作戦会議ということになったのだが、ここに来てリコウトの絵図面が出来上がっていないことが判明したのだ。
肝心要の、フーリッツを同士討ちに誘う使者が決まっていないというのだ。
「決まっていません。まぁ、決心が付きかねているというような状態なんですが。結局のところ、エリアンにお願いするしかないような気もするんですが、彼が私の部下であることは、フーリッツに知られていますからね。接触しただけで問答無用で殺される恐れがある」
いつものビロードの上着。情けなく歪められた笑顔。
「殺される……」
その言葉に、さすがに青ざめるリリィ。
彼女はリコウトに言われた通り、春先にこのショウを訪れた時と同じ姿、軍服姿に身を包んでいる。その上で髪をうなじのあたりの編み込んでまとめてあるので、その時以上に凛々しい印象だ。
「エリアン殿が殺される可能性があるのなら、確かに避けたい気持ちもわかります」
「殺されるのはいいんですが」
「は?」
「どうせ“創命”の呪文がありますから。ただ、こちらの息のかかったもの全てを殺してくるとなると、そもそも計画に重大な齟齬が生じてくる」
「こちらの存在を隠せば?」
「それはダメです。フーリッツはいわば最後の扉です。その最後の扉を開くために小細工を弄して、本当の獲物に手が届かなくなっては何にもならない」
「こちらが背後にいることをフーリッツに知らせないと、シャングを取り逃がす、ということですか?」
やはり、その先の絵図面は描き上がっているらしい、と思いながらリリィは尋ねる。
するとリコウトは意外そうな顔をした。
「何です?」
「リリィ殿。状況はそんなに甘くありません。ここでミスをすると、私はシャングに殺されて終わりです。我々の今の状況などあの男の剣の一降りでひっくり返される」
――油断していた。
と、気付きリリィは思わず羞恥に頬を染める。
そうだった。
相手はたった四人であの強大な魔族を打ち破った一行のリーダーなのだ。通常の戦闘力ではないことなど、十分に理解していたつもりだったのに……
リコウトの策が、トントン拍子に進むものだからいつの間にか相手を軽くみるようになっていた。しかも、その策を立てたのは自分自身ですらないのだ。
何という慢心か。
リリィは恥ずかしさのあまり、リコウトの方を見ることも出来ない。
「リリィ様」
その時、気配を消していたかのようなエリアンがリリィに声を掛ける。
「助かります」
いつもの小姓のような姿で、素っ気なくエリアンは言った。
「え? な、何です?」
「私では、リコウト様のお使いは出来ても、話し相手にはなれなかった。貴女には本当に助けられています」
「そ、そんな私なんか今も……」
言いかけて、エリアンが慰めてくれていることに気付いた。そう気付いたからには、逃げるわけにはいかない。
視線をリコウトに戻す。
それを待っていたかのように、リコウトはにっこりと笑う。
その笑顔は確かに、自分の意見を待っているかのようにリリィには思えた。
そこで心を奮い立たせて、今一度現状の確認をする。
恐らくはリコウトも同じ作業をしているはずだ。
あせるな。
この地を選んだ時のように、リコウトと違う環境で育った自分には、彼が見えていないものが見えている可能性がある。
フーリッツのあの報告書には……
「リコウト様」
決意を言葉に乗せる。
「伺いましょうか」
待ってましたとばかりに、リコウトは相好を崩した。
リリィは大きく深呼吸して、自分の考えを言葉に変えてゆく。
「フーリッツがエリアン殿を殺す可能性が高いとするのは間違いではないと思います。ただ、リコウト様はそれを、背後に自分がいるから、という風に解釈されているかもしれませんが、私には別の見解があります」
「事実、私の解釈はその通りです。ただ、それだけではない様な気もするんですが……負け惜しみではなく」
「恐らくリコウト様にはわかりづらいのだと思います。例えば、貴方の目の前に見慣れぬ“何か”があったとしたらどうします?」
「何とも抽象的ですが……まぁ、逃げますね」
「そうだ思います。けれどそれは、リコウト様の育った環境によるものでしょう?」
と、言われてみれば確かにスラムで身に付いた習慣のような気がする。スラムで生き残るためには、まず“見慣れぬモノ”がなくなるように、用心深くなければならない。
「けれど私の答えだと、それが何か確かめようとするんです。屋敷に閉じこもりきりの生活というのは単調なモノですから」
「その法則が、フーリッツにも通用しますか?」
「彼はその人生の大半を、修道院で過ごしてきたと報告にありました。生い立ちは私と似たようなモノでしょう」
「ふむ……“好奇心は猫をも殺す”ですか」
考え込むリコウト。
「具体的には、思いもよらぬ使者を立てると言うことに集約されると思います」
「それ具体的じゃないですよ」
と言いながら、リコウトは席を立った。
「せっかくショウまで来たんだから、観光しましょうか」
「はい?」
脈絡のない申し出に、戸惑うリリィ。
事態はそこまで悠長なモノではないはずだ。
けれど、リコウトはそのまま部屋を出て行った。
リリィはエリアンの方へ視線を向けるが、今度は黙って肩をすくめるだけで、今度は助けてくれそうもない。
リリィはしばらくその場で足踏みを繰り返した後、結局リコウトの後を追って部屋を後にした。
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