第5話 武器は酬われぬ境遇
三日後――
シャングとフーリッツはロルドを望む小高い丘の上に立っていた。
あれからも直接間接に嫌がらせは続き、満足に眠ることも出来ずに今この場所にいる。
さすがに疲労の色は濃く、ショウに着いたことで、とりあえず宿を取ることも出来るのだが人が多いところに行くのは逆に危険を増加させてしまう。
今この場にラウハかドッペがいるなら、自分達の戦闘力に比して、あまりも不自由なこの状況に不満を爆発させていたかもしれない。
しかし、この二人にそういった感情はなかった。
シャングはとりあえず敵が来れば殺すだけという、シンプルな思考方法だし、フーリッツはその知性で、リコウトが再度接触してくるだろう事を察知していた。
その時まで、こちらはただ待っていればいい。
嫌がらせは、所詮嫌がらせに過ぎない。
「とりあえず、街に行きましょうか。野宿をするにしても入り用な物を買っておいた方がいい」
フーリッツがそう提案すると、シャングは頷きアマータの方へ向けて丘を降り始める。
フーリッツもその後に続こうとするが、シャングの足がそこで止まっていることに気付く。シャング越しに目を向けると、一人の男がこちらに向かっているのが見えた。
それだけなら、すれ違って終わりだが向こうはこちらに手を振ってきている。
褐色の髪で、取り立てて特徴のない男だ。服装は地味そのもの。武器は――
フーリッツの目の色が変わる。
その男が腰に差しているのは、前にリコウトの使者が持っていた短剣だ。
それにドッペの話では、リコウト本人もその短剣を持っていたという。
では、この男もまたリコウト使者なのだろうか。
それにしては……
「す、すいません。シャング様とフーリッツ様ですか」
男は汗を拭きながら、二人に呼びかけてきた。怯えた表情。今にも揉み手でもしそうな卑屈な態度。明らかに自分達に対する通常の反応。
それがリコウトが選んだ新たな使者なのだろうか?
フーリッツは興味を覚えた。リリィがそう見抜いたとおり。
「君は?」
灰色の瞳をくゆらせながら、フーリッツは尋ねる。
「は、はい僕はショウ王家の人間で、ターロと言います。ターロ・リンシーズ」
「その姓は確かにショウ王家のものですが……」
その詐称は罪だという、リコウトとリリィの思考を繰り返してフーリッツはその自己紹介を信用した。
「それがどうして、トルハランの男の使者になっているのです」
そうフーリッツが尋ねると、ターロは心底驚いたというような表情を見せた。
「どうしてわかったんです!?」
「どうしてと言われても……その短剣をどういうつもりで持ってるんですか?」
「それはリコウト殿から……ああ、そういう意味があったんですか」
頭もいいとは言えない。
フーリッツはそう判断した。
そういう男を使者に選ぶリコウトの意図が見えない。相変わらずつかみ所がない印象だ。
「それで?」
シャングが初めて言葉を発した。
「え?」
「わざわざ、私達に会いに来たんです。何か用があるのでしょう?」
フーリッツがシャングの問いかけを補足する。
「あ、はい。ええとですね。あなた方と休戦する用意があるとのことです。休戦を受けて頂いた場合、お二方の受け入れ先はこのショウ。各国への体裁を整えるために、今までそちらの旅程を妨害してきましたが、それはひとえにこのショウに自然に来て頂けるためとご理解頂きたい、とのことです」
思わず顔を見合わせるシャングとフーリッツ。
「ラウハとドッペは……」
「その件に関しましては」
と言いかけたシャングの言葉を遮って、ターロが口を開く。
「あのお二人はいかにも行動が衝動的でしたので、こういった話を持ちかける際に不安要素になりやすく、またこういった話を現実化させるためにも自分も実績を重ねる必要があり、いわば一石二鳥の狙いがあったものとご理解頂きたい。もちろん両者とも未だ生存しており、フーリッツ殿……フーリッツ様の癒しの魔法があれば全快間違いない……とのことです」
なるほど、こちらの反応を想定して、それに対応する受け答えを叩き込まれてきたわけか。
フーリッツはそう理解した。
「も、もちろん両者を解放するのは、休戦が成立した上でシャング様とフーリッツ様があの二人のお目付役をしてもらうことが条件になり……怒らないで下さい。私はそう言うように言われただけなんですから」
「君の立場は理解しています。そう慌てずともよろしい」
フーリッツは灰色の目を細める。
「君自身は彼の――リコウトのこの提案を信じているのかね」
「わかりません」
拍子抜けするほどあっさりと、ターロは答えた。
「わからない?」
「何しろあの人はこちらの話なんか一つも聞いてくれないんです! しかも言うこと聞かないと酷い目に遭わせるって……あの人は本当の悪党ですよ!!」
その訴えにはやたらに真実味があった。
フーリッツは細めた目を見開き、シャングは呆れたように肩をすくめた。
「わかりませんね。そんなにイヤならここに来ないで逃げ出せば良かったでしょう」
「で、でもこれはいい機会だと、あの人が言うものですから」
「あの人? リコウトのことですか?」
「はい。リコウト殿が言うには……」
シャング達をショウに受け入れさせるための準備と世論操作はリコウトが引き受ける。
しかしそれを長期にわたって安定させるには、ショウ王家の協力が不可欠だ。それには地道な説得工作よりも、王家の中で不遇なものに力を貸してショウでの地位を押し上げた方が簡単だし、お互いに借りが出来ることになってバランスがいい。
「――で、その不遇な人物というのが」
「あ、僕です」
「つまり、君は立身出世を望んでいるわけか」
「身も蓋もない言い様ですが、その通りです」
開き直るぐらいの度胸はあるわけだ――目の前の男を分析して、フーリッツは沈黙した。
確かに申し出におかしなところはない。リコウト自身の望みも名誉や出世ということならば、その目的は十分果たすことになるだろう。
自分達を無力化できれば、新たに世界の救世主と呼ばれることになり、それはリコウト自身の大陸での発言力の増加を意味する。
ただ、いままでの暗闘で感じたリコウトの印象は、そういったことには興味がないような人物像を思い浮かべてしまう。
むしろ何か突き放したような――
「なぜ、今になって?」
シャングが短く尋ねた。
そうだ、そこが肝心だ。フーリッツもそれに対するターロ――つまりリコウトの答えに全ての答えがあるような気がした。
「お二方になって、打つ手がなくなった。手打ちにするしかない……と言ってました」
それはあまりにも平凡な答えで、それが逆に意表を突く形となった。
「なるほど」
シャングは頷き、
「結局はそういう単純なものかも知れませんね」
フーリッツも同意し、笑みを見せる。
そんな二人の様子に、心底安心したのは他ならぬターロだっただろう。二人に断った上で懐に手を入れて、三つ折りにされ封蝋された羊皮紙を取り出した。
「これ、そちらがとりあえず同意された場合にお渡しするようにと、預かってきました」
そう言いながらターロが差し出す羊皮紙を、シャングが受け取ろうとする。
しかし、それをフーリッツが止めた。
「まず、君がその封蝋を破るんだ」
「え?」
「リコウトという人間は、確かにとんでもない悪党のようだ。だから、ここに来て罠を仕掛けているかもしれない。例えばその羊皮紙を開けた途端に、何らかの魔法が発動するとかね」
「で、でも……」
「封蝋がこの時点で破られていないのなら、機密保持に関しては問題なかったと言える。この場で誰が破ろうと問題はない。それとも、やはり罠があるのを隠しているのかね」
「そんなものがあるとは聞いてません。けれど……」
そのターロの声が、すでに震えている。
「けれど?」
「あのリコウトという人は、フーリッツ様が言うとおりそういうことをしかねない人間なんです。ど、どうしたらいんでしょう」
よっぽどな目に遭わされたらしい、と珍しくフーリッツは同情的な気分になった。
「もし罠があって、最悪君が死ぬような事になっても大丈夫。私が生き返らせてあげよう。そしてリコウトを始末して、君にはショウでの地位を約束するよ。だから封蝋を開けて」
フーリッツがそうやってやさしく話しかけると、ターロも覚悟を決めたようだ。
羊皮紙の端をつまみ、一気に封蝋を開く。
ベキッ。
蝋が砕ける音がして、封蝋は破られた。
しかし何事も起きない。ごく平凡な密書というだけのものであったらしい。
その場に居合わせた三人は笑みを浮かべあい、今度はフーリッツがターロへと手を伸ばした。その手に、爆弾でも持っているかのように慎重な手つきで羊皮紙を置くターロ。
そんなターロの様子に、苦笑を浮かべながらフーリッツは羊皮紙を開いた。
――表情がこわばったのは、ほんの一瞬。
「なるほど。かなり細かいところまで書いてありますね。シャング、後で検討するとしましょうか」
羊皮紙を懐にしまいながら、そう言うフーリッツにシャングは鷹揚に頷いた。
「さて、これで仮にでも休戦がなったとなれば今日ぐらいは宿で休めそうですね。そういったことは聞いていませんか?」
その問いかけに、ターロはやっと笑顔を見せた。
「聞いてます。もう部屋は用意してあるそうなので、そこまで案内するように、と」
「敵だと厄介な相手でしたが、味方になるとなかなか頼もしい人ですねリコウトという人は」
フーリッツはそういうと、ターロをうながして丘を下り始める。
その歩調は普段より幾分か早かった。
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