第3話 暖かさと寒さと

「あの、くそジジィ! もう金輪際ああいう話はしませんからね」


 そういいながら、リコウトはビロードの上着を脱ぎ捨てた。それを後に付いてきたリリィが拾い上げる。


 ここはリリィの部屋で、リコウトは往生際悪く未だにこの屋敷に部屋を作ろうとはしない。泊まる時にはこうやってリリィの部屋に転がり込む。


「その台詞、もう四回目ですよ」

「……そうでしたっけ?」

「私としては嬉しいんですけど。どうも当家では“あなた”の気が緩んでいるようで」


 結局のところ、嫌がらせにリコウトの呼び名を考えていたリリィの最終結論は“あなた”と呼ぶことで決着を見た。

 最初はかなり嫌がっていたリコウトだが、今では諦めて受け入れてしまっている。


「確かに、この屋敷の警備状況はあのくそジジィの手配なんでしょうけど、ほぼ完璧ですからね。命の心配をしないでいられる」


 その言葉にリリィは、小さく笑った。それがリコウトの照れ隠しだと理解できる自分が嬉しいのだ。


「……リリィの言うとおり、城だけで片を付けるようにしましたよ」

「当たり前です。あなたの復讐はクックハンの宮廷だけで済むはずですよ。王都全域に被害を拡大するのはやりすぎです」


 そのリリィの言葉に、リコウトは振り返りまっすぐにその菫色の瞳を見た。


「…………私は自分を“読まれる”ことが嫌いです。今本当にあなたを殺したい」

「安心して下さい。私はずっとあなたの味方ですよ」


 にっこりと笑ってそう言い返すリリィ。


 リコウトは五年前にあと一歩のところでシャングに逃げられている。その原因はと言えば、勇者の出現を待つ、などといったふざけた儀式を行っていたクックハンにある。


 リコウトとしては、それにも何らかの報復を行わないと腹の虫が治まらない。


 リリィにはそれを黙っておき、やってしまった後に適当に説明しようと思っていたが、今回は先に見抜かれてしまった。


 リコウトは仕方なく、宮廷――つまり馬鹿な儀式の首謀者達を痛い目に遭わせることで納得することにした。


 そういう顛末があったために、この二人はこんな物騒な会話をしているのだ。

 リコウトは、はぁ、とため息を一つついてリリィを抱きかかえる。

 そしてそのまま、寝台の上へと運んでいった。


「貴女の言うことを聞いたんですから、それなりの報酬は頂きますよ」


 そう言って、リリィを寝台の上へと投げ出した。

 光の下で、波打つ髪とスカートの裾が大きく広がる。


 大きく見開かれた菫色の瞳を見つめながら、リコウトの指先がリリィの頬に触れた。


「それはいいんですけど、ちゃんと書状は頂いてきたんでしょうね」


 この状況下で、平然と尋ねてくるリリィ。


 さすがのリコウトも、それ以上のやる気を失ってリリィが仰向けに転がる寝台の横に、疲れたように腰を下ろした。


「……その頭の中身ほども色っぽければ、私も楽しみがあるんですが」

「私、そんなにいやらしくありません!」


 目を三角にして怒るリリィに、リコウトはため息をついた。


「怒るのは、そこなんですか?」

「いいんです。わたしが色っぽくないのはわかってますから。で、書状は?」


 開き直りとも思える言葉に、リコウトは呆れながらも笑顔を見せた。


「ここに持ってきてはいませんが、確かに受け取りましたよ。一日だけですが、こちらの行動の自由を保障するモノです」

「シャングの予想到達日時は」


 起きあがりながらリリィが尋ねる。


「三日後の正午あたりですかね」

「それまでにやることは?」


「は? ええと、問題が起こらなければ急ぎの仕事はないですね」

「ショウの工作も、今のところ順調です」


 リリィはここのところ、リコウトに代わってターロに指示を出す仕事を請け負っていた。


 どうして、そういうことになったかと言うと、シャングがターロの相手をしていると「面倒だから始末してしまえ」ということになりそうだったので、リリィが代行を申し出たのだ。


「あの男に順調という言葉は似合いませんね」

「やることがほとんどなくなった、と言い直しましょうか」


「それで取り急ぎの仕事がないと、どうなるんですか?」

「この屋敷が安心できるのなら……しばらくここでゆっくりしませんか?」

「リリィ……」


 リコウトは改めて、美貌の伯爵令嬢を押し倒した。リリィもされるがままに、寝台の上に横になる。


「今初めて、貴女を可愛いと思いましたよ」

「……初めて?」


 リコウトの身体の下で、リリィの目が三角になる。


「ひどすぎますよ、リコウト様」

「“あなた”は、やめたんですか?」

「知りません」


 プイと横を向くリリィ。リコウトはその顎を掴んで自分の方へ向かせると、唇を奪う。

 しばらくはジタバタと抵抗するリリィだったが、やがて大人しくなる。


 リコウトはやがて唇を離し、怯えた表情を浮かべるリリィに向けてこう言った。


「貴女のご忠告通り、この三日間はゆっくりすることにしましょう」


 リコウトはにっこりと笑う。


「つまり今日は眠らなくても、支障はありませんね?」


 その言葉に、リリィは悲鳴を上げた。








 そして三日目の朝、リコウトは屋敷の玄関口に立っていた。

 冬とはいえ随分冷え込んでおり、空には雲が分厚くたれ込めている。


「珍しく、雪でも降りそうですね」

「いつも思っていたんですが、そのお姿。季節に対応させて方がいいんじゃありません」


 玄関口まで見送りに来ていたリリィが、苦言を呈する。リコウトは相も変わらずビロードの上着姿だ。その下にシャツ一枚しか身に付けていないことをリリィは知っている。


 そんなリリィを、リコウトはマジマジと見つめる。


 今日これから、リコウトはシャングと最後の対決を迎える。リリィもそれはわかっているはずなのに、付いてくるとは一言も言い出さなかった。


 リリィがそう言い出した時に、どうやって言い負かすかリコウトは密かに考えていたのに、それも無駄に終わりそうだ。


「つくづく、変な人ですね」

「リコウト様の妻ですからね」


 睨み合う二人。


「何を玄関先でいちゃいちゃしておるんじゃ!」


 伯爵が屋敷の奥から現れた。


「変人の総帥が来ましたよ」


 リコウトが呟くと、リリィはクスリと笑った。


「いちゃいちゃするなら、リリィの部屋に行け」


 近付きながら、伯爵はさらに攻撃してくる。それに対してリコウトはこう反撃した。


「もうお腹一杯頂きました。三日間掛けてじっくり」

「お主、それが“いちゃいちゃ”に対する答えとして適当だと思っておるのか?」

「常識でしょう」


 うんうんと頷くリコウトに、伯爵はむ~んと唸ってみせる。


「リコウト様、お父様。この大事な日に緊張なさっているのはわかりますが、誤魔化しようがあまりにも稚拙ですわよ」


 澄ました顔で答えるリリィに、男性二人は声も出せずにいた。


「……と、とにかくリリィの言うとおり、今日は正念場じゃ。お主の幸運を祈っておるぞ」


 なんとか失地回復を試みる、伯爵。


「幸運に頼るような事態はご勘弁願いたいですが、お心はありがたく頂きますよ――」


 そういってリコウトは一礼。そして顔を上げて、こう言い添えた。


義父ちち上」


 その言葉に伯爵が硬直しているウチに、リコウトはあっけなく屋敷を出て行った。

 リリィはその後ろ姿に深く一礼して、顔を上げる。


「あれぐらいで、固まらないで下さいお父様」


 横目で父親を睨みながら、リリィが厳かに告げた。


「これから先、リコウト様の心をほぐしていくのが私達の使命ですよ」


 そんな娘の言葉に目を見張る伯爵。


「あの人は過去に起きた不幸で、自分が幸せになることに戸惑いを感じています。それがあの人の個人の事であればそれも構わないのですが、今後この大陸の運命はあの人の双肩にかかっています」


 リリィはそこでため息をついた。


「そんな人がいつまでも幸せに背を向けていては、決して世のためにはなりません」

「それでお主は、社交界に出ることをやめて引っ込むことにしたのか?」


「正直それは私が面倒くさいという理由もありますけど――外で遊んでいる余裕はないと考えます。そうですね、私がおばあちゃんになるぐらいには遊ぶ余裕が出来ているといいですね」

「一つ気なっておるんじゃが……」


 伯爵が髭をしごきながら、娘に尋ねる。


「お主、儂が死なないと思っておるのではあるまいな」

「それはご安心を。けれどあと一年ぐらいは大丈夫でしょう?」


 リリィは表情に笑みを含ませながら、尋ね返す。


「今度はやけに短くなったな。一年ぐらいはどうということはないわ」

「では、孫の顔は見られそうですね」


 まるで他人事のように、リリィは重大発表を行った。

 伯爵は再び固まる。

 そして気付いた時には、娘の姿は屋敷の奥へと引っ込みつつあった。


「お、おい、リリィ! それは確かなのか!」


 慌ててその後を追う伯爵。


 リリィは父親のそんな慌てた声を背中で聞きながら、微笑みを浮かべた。












 そして――


 初めて帰るべき家ができ、再び暖かく出迎えてくれる家族を手に入れようとしていた男は一人、冬の野原に立ちつくしていた。


 時折、何を思ってのことか右の手を何度も閉じたり開いたりしている。

 その度、男の顔にはどこか後悔してるかのような不思議な微笑みが浮かんだ。


 その手のひらに、ひとひらの雪が舞い降りた。

 それを合図にして、男は顔を上げる。


 その視線の先に、青い鎧を着た戦士の姿。


「スレイ……」


 守ってやれなかった、妹の名前を久しぶりに呼んでみる。意外なことに、何の感情も浮かんでこない。


 それでいいのかもしれない。

 それではいけないのかもしれない。


 そんなことを考えているうちに、青い鎧の戦士はドンドンと近付いてくる。

 やがて、はっきりとシャングの顔を確認することが出来た。


 その瞬間――


 心が沸騰するのがわかった。

 血が逆流するのがわかった。


 ――そして、もはや自分はシャングという存在なしには、まともに生きていけないだろうということもわかった。


 いつの間にか、自分はこんな化け物になってしまった。


 ――死のう。


 もとより、それぐらいの覚悟がなければシャングを罠に引きずり込めない。


「巡り合わせだな」


 リコウトはわざと昔の自分の言葉遣いでシャングに話しかけた。

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