第7話 プロポーズ

 朝、このホテルに帰ってきてバーでおかしな男にあった。そうだ、とてつもなく妙な男だ。探していたはずの男でもあったはずだが、そんなことはもうどうでもいい。


 そして妙な男は、その印象を裏切ることなく妙な事を言った。


 だがその言葉は、今までのドッペの世界ではあまりに不自然すぎてどうにも現実感がない。ドッペは慌てて自分の部屋にとって返すと、脱いだ鎧の隙間にねじ込んであるはずの紙片を探す。


 程なくそれは見つかり、今朝の出来事が現実だと証明してくれた。


 しかし簡単には受け入れられない。頭を掻く。部屋の中をうろうろする。落ち着かない。逃げ場を求めるように、もう一度部屋の外に出る。


 そうすると、再び窓際のフーリッツと目が合った。どうもずっと見られていたらしい。


「……んだよ」

「見るな、という方が無理な注文だと思うのだが」

「俺の裸なんか、見慣れてるだろ」


 ドッペは寝る時は、下着しか着けない。


「そういうことではなく」


 それでも丁寧に応対するフーリッツ。ドッペはもう一度頭を掻いて、斜めにフーリッツを見ながらこう尋ねる。


「おかしいか、俺?」

「そうですね、有り体に言って」

「そのついでに、おかしな事を聞いてもいいか?」


 フーリッツが白い髪を揺らして、小首を傾げる。


「何ですか? 珍しいですね」

「お前さぁ……シャングがさ……つまりその何だ、戦い出す前に……」

「戦い出す前? クックハンの教会で名乗りを上げる前ですか?」

「そういうことになるのかな……」


 ドッペは言い淀む。フーリッツはますます興味深そうにドッペを見る。


「つまり、その前にシャングが何をやっていたのか知ってるか?」

「知りませんね。聞いたこともありませんし」

「聞いたところで、あいつがしゃべるとも思えないな」

「ふむ……」


 フーリッツは、そのドッペの言葉の意味を考える。確かにシャングは度を過ぎて無口なところがある。ともすれば、その声を忘れてしまいそうなほどに。

 ドッペが言っているのは、果たしてそのことを指しているのか、それとも……


「シャングが何らかの犯罪を犯していた――そういうことですか?」


 フーリッツの問いかけに、ドッペの眉が跳ね上がる。

 その様子を見て、フーリッツは顔を歪めて笑う。


「なるほど。そういう話を誰かに聞いてきたわけですか」

「……ああ。トルハランのリコウトに」


 フーリッツの動きが一瞬止まる。


「何ですって?」

「だから、俺たちが探してた相手だよ。どういう神経してるのか知らねぇが、このホテルに泊まってやがる……っていうか、何か自信があるからここに泊まってるって事なんだな」


 フーリッツはそのドッペの言葉を難しい顔で聞き、ついで無表情に戻り、何のまじないか左手の人差し指で、トントンと自分の顎を叩く。


「その相手が、リコウトだとは限りませんよ。どこかの国が貴方を搦め手で抱き込みに来たのかもしれない」


 その言葉にドッペは視線を彷徨わせるが、やがてはっきりとフーリッツへと視線を定める。


「そりゃあないだろう。あのふざけた従者とよく似た感触を感じたぞ。あいつはリコウトの部下って事は間違いないんだろう?」

「そういう風に、感覚的に物を言われるのが一番困る。何か確実な……確かにあのエリアンという男は間違いなくリコウトの部下であることは間違いないようだが」


 フーリッツも、このシミター半島で遊んで過ごしていたわけではないのだ。情報収集は怠っていない。


 ドッペは今朝の男の姿をもう一度思い浮かべる。

 似合わない格好をしていて……美人を連れていて……それは関係ない……そうだ、確か短剣をベルトに差していた。


「そうだ! あの短剣だ」

「短剣?」

「エリアンって奴が持ってただろ。あの宝石が嵌った短剣。それを今朝会った男も持っていたんだ」


 それを聞いて、フーリッツの瞳に当惑の色が浮かぶ。


 短剣自体は、どこかで手に入れることが出来るかもしれない。しかし、エリアンが短剣を持っていたこと。そして自分たちと接触したことを知っている人間など、ほとんどいないはずだ。


 いやエリアン本人か、その主であるリコウトしか知らないと言い切ってしまってもいい。 ドッペが短剣を見誤った、という可能性もあるがこと武器に関してなら、ドッペの目は信用してもいい。


 つまり、今朝ドッペに接触してきたリコウトは本物ということになる。


「ドッペ殿。その短剣のことは相手が言い出したのかね?」

「それならすぐ思い出すさ。今、自分で思い出したんだ。ついでに言っとくけど短剣は間違いなく、あの短剣だったぞ」

「そこは信用しています。だから困っているんですが」

「困る?」


 そう、困る。

 情報を得れば得るほど、相手の姿がぼやけていくようだ。


 短剣は確かな身分証明であるはずなのに、それを相手に告げない。自分が狙われているのを知りながら同じホテルに泊まる。


 どうにもフーリッツの物差しでは計れない人物のようだ。


 はっきりわかるのは、その計り知れない相手がどうもこちらの分断を狙っているという事実だけだ。

 シャングの過去を言い立てていることで、それはわかる。


「……それで、そのリコウトと思われる男は他に何か言いましたか?」

「シャングの件は口先だけでは信用できないだろうから、証拠を見せるって。今晩、ここに呼び出された」


 ドッペはピン! と持っていた紙片をはじく。


 紙片は勢いよく、くるくると回転しながら、フーリッツの元へ。それを指で挟んで受け止めると、フーリッツはちらりと一瞥した。


「この酒場はクックハンの犯罪組織が携わっているとの噂がありますね。ますますリコウトの影が見えます」

「影じゃなくて本人なんだよ」


 フーリッツは笑いながら紙片を投げ返す。


「で、行くつもりですか?」

「ああ。ラウハのこともあるし……」


 それもそうだ。

 すっかり忘れていた。そのラウハのパターンで考えるなら、相手が仕掛けて来るにはもう一過程あるかもしれない。


 ――ないにしても、今のドッペを捕らえるなり殺すなりするのは国を一つ滅ぼすことよりも難しいだろう。


 そうしてドッペが帰ってきたところで話を聞けば、リコウトのことを頭の中に捕らえきれることが出来るかもしれない。

 いや、その前に相手の命はなくなっているかもしれないが。


「いいでしょう。その酒場に行って下さい」

「お前に言われるまでもねぇや」









 その最上階から二つ下の階。


 リコウトに言われて荷造りをしていたリリィは、それが終わったことを告げに隣のリコウトの部屋の扉をノックしていた。


「はい、どうぞ」


 と、声が返ってきたので特に気構えもせずに扉を開ける。

 そして部屋を間違えたのかと思って、扉を閉めた。


 部屋の中に知らない男がいたからだ。


 黒の皮の上着。スッとした青いズボン。全体的な印象は黒い刃。茶色の髪はきれいに後ろへとなでつけられており、その瞳は緑……


 よくよく、思い出してみればリコウト以外の何者でもない。

 リリィはもう一度扉を開ける。


「何やってるんですか?」


 笑いながらリコウトが尋ねてくる。

「ちょっと、戸惑っただけです。何ですかその格好は。まるで悪い人みたい……悪い人でしたね」


 一人納得するリリィ。そう納得してみると、リコウトのその姿は――しっくりと馴染んでいた。なるほど確かに“どチンピラ”だ。


「惚れ直しましたか? 浮気が心配ですか?」

「言葉の意味が不明です。それに浮気というなら、まずはリコウト様が私に本気でなくては成り立たないのでは?」

「うわ。まるでエリアンみたいですよ。早速学習したんですか?」


 リリィにしてはかなり思い切った返し技であったが、それを上回る返し技を繰り出すリコウト。

 リリィがどう言い返してやろうかと、一瞬躊躇する間にリコウトはさらに続ける。


「荷物はまとまりましたか? エリアンが自分の部屋にいますから先に屋敷の方へと帰っておいて下さい」

「あ、あの……」


「ここから先は、暗黒街の手法です。正直に申し上げると、貴女は足手まといになります。詐欺はね、キチンとしたスタッフを揃えないと成功しないんです。それで私もこういうハッタリの効いた格好をしてるわけなんですが」


 いつもやってることは詐欺ではないのだろうか?

 という強烈な疑問が湧き上がるが、訊くべきことは訊いておかなければならない。


「それはいいんです。私も分をわきまえております。その代わりにいくつか質問よろしいですか?」


 そのリリィの真剣な様子に、リコウトも真っ正面から彼女を見据える。


「何でしょうか?」

「彼ら四人を捕まえていく順番です。どうして、この順番が理想的かつ現実的なんですか?」


「……ラウハは子供です。それだけに自分の欲望に忠実で、ともすれば彼らの行動を引っ張る力があります。ローシャッハの件がそうですね。そして、彼女がいなくなって後、彼らはクレモアを実に二ヶ月の間動かなかった。その間に我々は調査も、このようにして罠を張ることも出来る」


「…………」

「この答えは、お気に召しませんか?」


「考えるのは後にします。それともう一つ――あの女の子は貴方の妹さんなんですか? お兄さんから貰ったハンカチを無くしてしまって、泣いていた女の子」


 リコウトの笑みが凍る。


「ラウハを説得する時に、貴方の妹さんの話が出てました。私はそれをずっと尋ねたかった。あの話は本当は私に話しているのではないかと。でも、あれから大陸中引きずり回される毎日で、尋ねる機会もなく」

「ハハハ……」


 リコウトは力無く笑う。


「私が覚えているか、貴方は私を試したのではないですか? あのハンカチを握りしめた女の子のことを」

「……その女の子はハンカチを見つけてくれたお姉さんと結婚しろと、そんな無茶を兄に言ってくる女の子です」


 罪を告白するかのように、か細い声でリコウトは告げる。

 リリィはそのリコウトの答えに深くうなずき、まっすぐに彼を見つめる。


「これでますます貴方がわからなくなりました。貴方には大きな矛盾がある。その矛盾に対する答えは貴方の中で出ているんですか?」


 リコウトは笑みを浮かべようとする。

 しかし、その表情はリコウトを裏切り、ただ穴を穿つだけ。


「リリィ殿。美しく聡明な、我々スラムの人間には手の届くはずもない貴族のお姫様」


 おどけたような口調。しかしその表情はやはり穴が空いたまま。


「――私と結婚してくれますか?」

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