第2話 ドッペ、フーリッツ

 明らかに余力を残したままの、エーハンス主力部隊。

 しかし、ラウハは魔力を放つのをそこでやめてしまった。


「なにやってるんだ。まだ残ってるじゃないか」


 残りの三人の内一人が声を掛ける。


 華美な金色の装飾に縁取られた漆黒の鎧。兜にはやたらにまつ毛の長い目玉が描かれている。その片方がどういうわけか閉じられていて、ウインクに見えなくもない。


 腰に剣はなく盾も持っていない。ただ背負っている真っ赤な鞘の長剣が毒々しいまでに目立っている。

 その装備から見ると恐らく、戦士だと思われた。


 鞘と同じ色の赤く長い髪が、生き物の様に風の中でくるくると踊っている。


「だって弱すぎて、やる気にならない」


 すねた様にラウハが応じる。その表情はそのまま無邪気な笑みに変わった。


「それに全部やっちゃったら怒るくせに」


 それを聞いて戦士はにやりと笑い、


「違いねぇ」


 と言いながら、背中の鞘から剣を抜き放つ。


 放たれた刀身は青く輝き、陽の光を照り返す姿はまるで大海原。

 その大海原は突然大きく波打つ。


 戦士が岩を飛び降り、丘を駆け下り、エーハンス軍に突撃を仕掛けたのだ。


 そして迎え撃つ兵士の剣と戦士の剣が交わった瞬間、ピーンという高い澄んだ音が響く。戦士の持っている長剣が、兵士の持つ剣を断ち切った。


 青色の剣はそのまま兵士の鎧を切り裂き、その命ごと引き裂く。


 戦士としての技量もさることながら、金属の強度がまるで違った。ナイフでバターを切るかの様に、ほとんど抵抗もなくスッと刃が通ってゆく。


 戦士はそのまま剣を振るい続け、兵士達にはそれに対抗する方法がない。


 万を超える軍隊がひしめく中を、戦士はその卓越した技量と、飛び抜けた装備の力で無人の野を行くかの様に、突き進んでゆく。


 襲いかかってくる兵士には、容赦のない一撃を。

 逃げてゆく兵士には、戯れの一撃を。


 どんな相手も一撃で倒してゆく。つい先日まで戦士が相手にしていた魔族に比べると何ともろいことか。

 何しろ、人の腕は決まって二つしかないし、大きさもそんなに変わらない。


 つまり、わけのわからないところから攻撃される恐れはないのだ。なんというたやすい相手だ。

 思わず戦士の喉の奥から哄笑が漏れ始める。


「ククククク……ワーハッハッハッハ!」


 多くの兵士に取り囲まれたままで、戦士は高らかに笑った。

 その眼前に兵士とは違う、法衣を来た一団が現れる。その一団は一斉に腕を戦士へと向けると、呪文を唱え始めた。

 戦士の顔色が変わる。


「マズ……!」


 と思わず口に出して、腕で顔をかばい防御姿勢を取るが、すでに手遅れだった。

 一団の呪文は完成する。


「死落!」


 即死の呪文の前に、戦士は絶命した。







 おお……


 と、薄暗い部屋の中に感嘆の声が充満する。

 手の打ちようがない存在だと思われていたシャング一行の一角が崩れたのだ。


 思わず喜びの声が上がっても、それは仕方がないというものだろう。


「彼の名前はドッペ」

「ドッペ?」


 先ほどの反省をふまえてか、最初に名前を告げた事務官の報告にリコウトが応じてみせる。何とも複雑な表情を浮かべながら。


「名前のことを悪く言うつもりはないですが、珍妙なお名前ですね」

「出身は我が国ショウ」


 事務官は冷静にリコウトのコメントを無視した。


「両親はすでに他界。兄弟は姉が一人いたようですが消息不明。他に親しい人はいません。性格が悪く難物でしたから」

「待ちたまえ」


 先ほど、リコウトをたしなめた代表から声が上がる。


「死んでしまった者に対して、そこまでの報告はいらないだろう」

「多分、死んでいないのでしょう」


 リコウトは、その言葉に無慈悲に応じた。


「し、死んでいない!?」

「死んでいれば、こんな会議が開かれることもない。対応策はすでにあるということになりますから。死んでいない理由も、想像できますし」

「う、ぐ……」


 うめき声を上げて沈黙したその代表には、その理由が想像できなかったのだろう。

 一方、事務官はリコウトの言葉を肯定するかの様に、説明を続けた。


「彼の持っている剣――当然これ一つではないのですが、この戦いで使用した剣が最強ですので、今はこの剣についてだけ説明させていただきます。銘は“海神のいびき”」

「…………」


 リコウトはすでに、名前に関して何かコメントすることを諦めた様だ。


「地に突き刺して念じれば、津波を起こせるという特殊能力もあるんですが、彼はめったに使わないようですね。先ほどの説明の様に単騎で切り込むことが好みのようです」

「鎧の方は?」


「“飢えた狼のよだれ”といいます。呪われているんですが、攻撃力を飛躍的に増大させる効果があります。呪いの方は兜の“ラクダのウィンク”の効果で相殺されてます。こちらの方は防御力はさっぱりなので、かなり不利な装備の仕方をしていますね。他にやりようがあるとも思えるんですが」


 リコウトは苦笑いを浮かべた。


「……どうもあまり頭のよい人物ではなさそうだ」

「それも特徴ですが、彼にはもっと悪いものがあります」

「ほう?」

「運……です」







「君の運の悪さには、感心する他ない」


 生き返り、目を開いたドッペの目の前には、むっつり顔のやせぎすの男。

 ラウハと同じ、虹色の光沢を放つローブの上に、紺色の長衣を身につけている。


 真っ白な髪に、灰色の瞳。手には身の丈の倍もありそうな長い槍。


「今更、あんな程度の低い相手の“死落”に掛かることもないだろうに。私の“創命”の呪文はほとんど君専用だな」

「悪かったな」


 “海神のいびき”を杖代わりに、ドッペは立ち上がる。


「しかし、その運の悪さに負けることなく、技量を積み重ねてここまで強くなった君を私は尊敬する」


 その言葉に照れるドッペを無視して、男は手に持った槍を高々と掲げた。

 その穂先に、光が集中する。


「……“死落”」


 先ほど放たれた呪文よりはずっと静かに、そしてもっと力強い呪文が放たれた。

 そして次の瞬間には、ドッペに死をもたらした法衣の集団が、まとめて崩れ落ちる。


 確かめるまでもなく全員が絶命していた。


 数人がかりで一人の命を奪うのがやっとの呪文。

 かたや、たった一人で数人の命を一瞬にして奪い去る呪文。


 力量の差がはっきりと目に見えていた。


 そして、ドッペを復活させたその技量。

 まさに生と死を司る、世界最高位の大神官。


 ――それが呪文で人を殺し、大きく表情を歪めて笑う様な人間であったとしても。


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