第12話 復讐か戦略か
それから細々した指示を多くの部下に与えて、リコウトが一段落付けた時には、すでに夜は白々と明けつつあった。
相手の人数的にも、ここでやっと折り返し地点といったところだが、リコウトはここで自分に休みを与えることに決めた。
今はあのいるだけで、自分にストレスを与え続ける伯爵令嬢もいない。
振り回している内は良かったが、事ここにいたってリリィはあの老練な政治家の娘であることの本領を発揮し始めていた。
起死回生の一手のつもりで結婚を申し込んだ――どちらにしろ速いか遅いかの違いだ。
今しばらくは、また混乱していてくれるだろう。
(スレイ……あのお姫様は本当に頭がいい。俺はもう少し馬鹿な女の方が楽だよ)
そんな愚痴を心の中でこぼしつつ「黒い雌馬」にある自分の部屋の扉を開ける。
後は部屋のソファに身体を投げ出して、それでしばらくは世界とお別れになるはずだった。
が、先客がいた。
蜂蜜色の髪。菫色の瞳。間違えようもなくリリィだった。白い朝の光の中で、その美貌はリコウトをすら圧倒して、まるで部屋の主のようにソファに腰掛けている。
「おかえりなさいませ、リコウト様」
にっこりと笑うリリィのその姿をエリアンあたりが見れば、
「まるでリコウト様だ」
とでも言い出しそうな雰囲気である。
「そんなに驚かれた顔を見るのは初めてです」
とリリィは続けて言った。ますますリコウトじみた言動だ。
「確かに驚きました。そして少しばかり混乱しています。貴女がここに現れる方法が想像できません」
「エリアン殿に連れてきて頂きました」
「それはあり得ない」
言下に否定するリコウト。その部下への信頼に、リリィは一瞬油断した笑みを見せるが、すぐに表情を引き締める。
「貴方から求婚され、それに応じるつもりがあると――そう告げてからお願いしました」
一瞬、リコウトの視線が泳ぐ。
「……どこまで本当ですか?」
視線をリリィに戻しながらそう尋ねる。
「本当にするための質問があります」
リリィは逆に切り返してきた。リコウトの手にはそれを切り返すだけの材料がない。いや、あるのかもしれないがそれを探しているだけの余裕をリリィは与えてくれないだろう。
「……伺いましょう」
「エーハンスにシャング達が攻め込んだのは、貴方の画策によるものなんですか」
その質問自体は、否か応かで答えることが出来る簡単なものであった。
ただ、難しさは別のところに潜んでいる。
否と答えるしかない状況というものがある。逆に応と答えるしかないという状況もあった。現状は恐らく“否”と答えるしかない状況なのだろう。
それが相手に信じてもらえるかどうかは別として。
さらに言うと、こういう質問を発することが出来る相手というのは、もうそれだけでリコウトの驚異だった。
「違います。もう少し説明させて頂けるなら、アレは私にとっても実に迷惑な話でした」
おおよそ、今までの人生の中で一番正直にリコウトは答えた……が、自分でも笑ってしまうほどに、言葉に真実味がない。
これは困った、とリコウトは他人事のように考えた。
「信じましょう」
しかし、意外と言うべきかリリィはあっさりとリコウトの言葉を受け入れた。
「検討の結果、貴方が画策していない――と考える方が今の状況にしっくり来ると思いますし」
それを聞いて、リコウトは肉食獣の笑みを見せる。
「すると今の質問は、私が嘘を付くかどうか試したんですか?」
「もし、シャング達が普通にこの大陸に帰還していた時には、貴方の頭の中の絵図面はどういう具合だったんですか?」
しかしリリィは一向に感情を動かした様子も見せずに、リコウトにさらに質問する。
リコウトは、獰猛な笑みを引っ込めて即座に答えた。
「シャングを殺して、貴方と結婚する。ついでに付いてくる爵位やら領地やらの面倒ぐらいはみようと思ってましたよ。これ、本当」
リコウトはおどけたように肩をすくめる。
「絵図面と呼ばれる程、大したものではないんですよ。やりたいことと、しなければならないことを並べただけ。楽な話です」
「私と結婚するのも楽な話なんですか?」
リリィが、思わず感情を見せる。
「貴女は貴族のお姫様だ。つまり政略の道具としての側面が強い。力を付けて外交交渉という名の脅迫を行えば、私の腕の中へと熟れた果実のように飛び込んでくる」
「それって、かなり大変なことのように思いますけど」
「私には困難だからやめても良いなどという自由はないんですよ」
それを聞いて、リリィは悲しげな表情を浮かべた。
「だから、こんな大きな戦略を大陸で行っているんですね。シャングを殺したい、というその一点のために。そして、私と結婚することもその戦略に組み込まれてしまった」
リコウトは、リリィが自分のいる場所にまでたどり着いたことを悟った。
エーハンスは北の大国である。後背に敵がいないこの大国は大陸に睨みをきかせていたと言ってもいい。
それが崩壊した。
いわば大陸を押さえつけていた“重し”がなくなったのだ。
しかし大陸の人間は未だその危機には気付いていない。なぜなら現状として、シャング達というエーハンスの圧力以上にわかりやすい脅威があるからだ。
しかしシャングの抹殺を目論むリコウトにはその先の世界が見えてしまった。見えぬほどに、リコウトは愚かではなかった。
「貴方がその先のことなど知らない。ただ、妹さんの復讐のためにシャング達を殺すという、という考えの持ち主であれば、あるいはエーハンスを襲わせることを画策したかもしれません。その方が各国の協力は得やすくなりますからね。しかし貴方は明らかにその先のことを考えて動いている。それが貴方がエーハンスを襲わせたのではないと、私が信じる根拠です」
あるいはリリィは賞賛したのかもしれないが、リコウトの表情は苦い。
妹のための復讐――そこまでは見抜かれるかとも思っていたが。
エーハンスという重しのなくなった各国は軍事的なばくちに乗り出す危険性を軽視する可能性がある。予測可能な未来として、ツジョカとザマなどは近隣の諸国を巻き込んで、大陸中に戦火を拡大する可能性は極めて高いと見るべきだろう。
リコウトがシャングを殺そうというのならば、まずその驚異を除かねばならない。
なぜならリコウトはスラム出身で、そのスラム拡大の最大の要因が戦禍であることを何よりもよく知り抜いていたからだ。スラムの拡大は、彼の妹に起こったような悲劇が幾たびも繰り返されることになりかねない。
それこそ、リコウトにとっては耐え難い悪夢で、夜に寝台の中で見る過去の投影などは何ほどでもない。
そこでまず、ツジョカとザマの軍事力を削る。
そのために勇者達の中で一番籠絡しやすいラウハを手中に収めた。その事実を持って両国を刺激して、シャング達に向けて無謀な出兵を行わせるのが目的である。
そして、それは成功しさらにドッペもまたリコウトの手中にある。
リコウトがかつて口にした「理想的、かつ現実的な順番」とはこういう意味があり、昨日「盾と真珠」でリリィが「両国を焚きつけたのではないか」と言ったのは、計らずとも正鵠を得ていたのである。
そのためにリコウトとエリアンの主従は一瞬戸惑い、そのためにリリィの目前で、計画の再確認をしてしまった。
この計画について、どれほどの人間がリリィのような推測を立てるかどうかは、かなり重要な要素だったからだ。
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