第8話 時代の変わり目

 春の夜空に星が輝く。

 人は世界を獣たちに譲り渡し、自らの知恵で築いた隠れ家に立て籠もる時間だ。


 伯爵家の屋敷にもそうやって立て籠もる連中がいた。

 暖かい暖炉の前に佇む三つの影。


 一つは背もたれの高い椅子に腰掛けたジレル伯爵。もう一つはほぼ暖炉の真っ正面。背もたれのない椅子に姿勢良く腰掛けるリリィ。

 そしてもう一つが、暖炉の炎が作り出す影の中に潜むように佇むリコウト。


 リコウトはこの屋敷に来てから、一度も腰掛けようとはしない。

 食事にも、お茶にも手を付けない。


 飲まず食わずで半日を過ごしながら、リコウトはそれでも笑っていた。

 そんなリコウトの態度を、リリィは残念だと思うと同時に、どこか誇らしい気持ちも感じていた。


「……リコウト殿下……」


 椅子に腰掛けたままの伯爵が、実に深いところから声を出した。


「閣下。いきなり“殿下”呼ばわりはやめて下さい。計画書には目を通して頂けましたか?」

「うむ」


 伯爵は重々しく頷いた。そして、自分の娘へと目を向ける。


「リリィ。お主もこれには目を通したのだな」

「は、はい」


 これ、というのは今日小屋の中でスーリがラウハに向けて語った内容である。あれはもちろん、スーリ自身の言葉ではない。


 あれには最初から最後までリコウトが作り上げた、いわば“台本”があるのだ。


 伯爵はその台本に目を通していたというわけである。


「どう思った?」

「そうですね……こんな方式だと、さほどの利益はでないのではないかと推測します」


 端的に言うと、鉱夫達への待遇が良すぎるのだ。クパワ鉱山ほどの良質の鉱山でなければ、多分利益は出ていないだろう。


「ふむ」


 正解だというように、伯爵はうなずいてみせる。


「その先はどうじゃ?」

「先……というと、掘り出した金で食料を買い付けてスラムで配布するという部分ですか? 良いことだと思いますが」

「それだけかの?」


 白い髭を振るわせながら、さらに尋ねる伯爵。


「ええと、安易に助け船を出すことは当人達のためにならない、と、そういうことですか?」


 娘のその言葉に、伯爵は複雑な表情をして見せた。


「リリィ」

「はい」

「そんなことでは、将来リコウト殿下に浮気のされ放題じゃぞ」

「な!」


 と声あげるリリィの背後で、


「アハハハハハ」


 とどこか芝居じみた笑い声をあげるリコウト。


「リコウト殿下。どうにも良い娘に育ちすぎたようだ。これではラウハの小娘と変わらん」


「何を仰います。私のようなひねくれ者からしてみると、リリィ殿の健やかさは貴重なものに思えますよ……ところで“殿下”はやめてもらえないんですね」

「ど、どういう事なんですか?」


 伯爵とリコウトはそれぞれの表情で、リリィを見つめる。


「王弟いうことなれば、殿下という呼称が適当であろうが」

「ところが私は偽物ですから、やめてくださいと申し上げているのです」


 二人揃って、あさっての返事をする伯爵と王弟。

 リリィは視線を落とし、肩を振るわせる。


「それで、リコウト殿。真面目な話だが、リリィを貰ってくれぬか?」

「は?」

「お父様!」


 声をあげる二人を無視して、伯爵はさらに続ける。


「この計画書を読んで決心した。このままでいけばリリィは王宮の馬鹿共に嫁がねばならん。それなら、リコウト殿に面倒を見て頂いた方がいい。娘のためにも、この伯爵領のためにも」

「閣下には、かないませんな」


 置いてけぼりのリリィを飛び越えて、リコウトは伯爵への追従を口にする。ただ、その表情は笑顔に変わりはないものの、肉食獣のそれだった。


「何を言うか。そもそもこのような危険な計画書を儂に見せること自体が問題なのだ。これは我が伯爵領への野心を公にしたのと変わらんぞ。これにはリリィを寄こせという意味も含まれておるのか?」

「今日、ひっぱたかれました」

「お父様、どういう事なんですか?」


 たまらず、リリィが声をあげる。


「これはな、一種のクーデター計画書じゃ」


 伯爵は、計画書の束を軽く手ではたく。


「金銭を惜しまず人材を集め、さらに残された財力で王国の心臓部、首都に我が伯爵家の親派を作りだす。実に大雑把な物だが、外に漏れれば反逆罪適用の可能性もある」


「そんな……」


「じゃが、おそらく王宮にこの計画の真意を見抜く者などおらんじゃろ。それほどに我が国は疲弊しておる」


 クックハンは、魔族から受けた被害が最も少なかった。恐らくは、ただ単に運の問題だろう。魔族の侵攻に法則性はない。クックハンは魔族に対して特に有効な手段を講じていたわけではないのだから。


 クックハンは運が良かったのだ――いや、結果から見ると運が悪かったのかも知れない。


 多くの国々が犠牲になる中、クックハンの大多数の貴族、そして王族達は相も変わらず遊び呆けていた。


 だが、それは当然の事ながら各国の非難を浴びることとなる。


 そこでクックハンは非難をかわすために、対魔族の対策を打ち上げることにした。


 国を挙げて神に祈り、勇者の出現を待つ――到底、正気とも思えぬ、ふざけた対策だ。

 しかし、勇者は現れた。


 シャングという若者が、勇者を待つという、その教会に飛び込んできたのだ。

 そしてシャングは本当に魔族を駆逐してしまった。


 クックハンはこうして各国の非難をかわし、それどころか称賛を浴びることとなった。そして貴族達はさらに緊張感を喪失してゆく。


 各国が魔族という外敵に対して団結してゆくのに対して、クックハンは逆に弛緩していったのだ。


 トルハランとの国境線が緊張していったのは、リコウトの政策だけでなく、クックハン側にも要因がある。

 実際に国境線を管理する伯爵は緊張せざるを得なかった。


 今、トルハランに攻め込まれれば、きっとクックハンの王都は簡単に陥落する。

 そう思えばこそ、伯爵は懸命に王宮を建て直そうと努力してきた。


 しかし今、伯爵の前には別の道が開かれている。


「恐らくは時代が変わろうとしているのだろうな。シャング達の今の暴挙は、きっと魔族時代の最後の一幕じゃ。この一幕が過ぎれば、新たな人の時代が始まる。そして、わしは今その岐路に立っているというわけじゃ」

「閣下……」


 リコウトは、老政治家に恭しく一礼。その表情からは笑みが消えていた。


「後は任されましょう。ただ、今はあの四人の始末です」

「そうじゃの。これから先はどうなる?」


 リコウトの顔には再び笑みが浮かぶ。


「ラウハは今、己の持っていた価値観が揺らいでいます。しかし、それを打ち明ける相手がいない。あの三人では、ラウハの相談に乗ることは無理です」


「無理?」


「ドッペは言うに及ばず、シャングなどにそんなことが出来るはずもありません」


 吐き捨てるようにリコウトは決めつけた。その口調、表情も今までに見せたことがないほど厳しいものがあった。


「ふ、フーリッツはどうなんですか? 神官ですし」


 その表情に怯えながらも、リリィが尋ねる。


「名目上はね。しかし彼は狂人です。相談相手としてはもっとも不適当な人間ですね」

「すると、どうなる?」


 伯爵が尋ねる。


「恐らくは、過去の知人を頼ります。しかも、つい先日再会したばかりです」


 父娘は同時にうなずいた。


 確かにその流れで行けば、スーリを頼ることは間違いない。

 そして、スーリの居場所はと言えばあの鉱山横の小屋だ。


「近いうちに、いやもしかすると今にもラウハはあの小屋に向かっているかも知れない。そこで私はあの小屋でラウハを待ちます」


「そんな、危険では?」


「大丈夫。今の彼女は自分の持つ力に疑問を感じています。そういう相手を籠絡することはさほど難しいことではない。というか、策はすでに成っています。あとはもう事後処理のようなものですよ」


 にこやかに答えるリコウト。

 その自信あふれる言葉に、思わず頷いてしまうリリィ。

 しかし、その表情がすぐに曇る。


「どうかしました?」

「もし、ラウハがすぐに現れなければ?」

「まぁ、あの小屋で待機ということになりますね。一週間もかからないとは思いますが」

「それじゃ、食事は……」

「何とかなるでしょ。あの小屋には竈もありますし、適当に……」

「私が届けます」


 少し首を傾げるリコウト。そして、実に晴れがましい笑顔を浮かべる。


「どうしてもそれを為さるというなら……」

「どうしてもです!」


 リリィは力強く宣言する。


「最初から最後まで貴女が作ったものをお願いしますよ。私はこの髭ジジィを全面的に信用していませんから」


 ワッハッハッハッハ!


 伯爵が笑いの発作を起こす。

 そんな中、ろくに料理も作ったことがなかった伯爵令嬢は、


「……ど、努力します」


 と小さく答えた。





 ――それから三日後。


 人々は勇者達一行の中から、魔法使いラウハが欠けていることに気付いた。

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