第五章 人間の武器
第1話 準備は万端に
雪が降っていた。
大陸南方に位置する、このクックハンでは珍しいことだった。
「巡り合わせだな」
舞い落ちる雪を、右の手のひらで受け止めながらリコウトがそう呟いた。
その姿はいつもの通りにビロードの上着。お飾りの細剣を吊るし、相変わらず偽物貴族そのままの出で立ちだ。
ただ、その表情だけはいつもとは違う。
口元に笑みはなく、緑の瞳には強い感情が揺らめいていた。
「覚えているかシャング」
リコウトは、目の前に立つ男にそう呼びかけた。
そう、今二人はクックハンの王都の郊外で対峙しているのだ。
リコウトの背後にはクックハンの城が控えており、それはまるで今のリコウトの持つ力を象徴しているかのようだった。
逆にシャングの背後にあるのは、ただ冬枯れした野原。それも今、雪が覆い被さり全てを無へと帰していくように見える。
そしてシャング自身もひどい有様だった。
もちろん、その装備に翳りはなかったが彼自身が憔悴しきっていた。
黒髪に艶はなく、目の下には墨でも塗りたくったかのように、じっとりとクマがこびり付いている。頬はこけ、ここ数日満足に休息も取っていないことは明白だ。
「お前は誰だ?」
シャングは短く尋ねる。
その質問に、リコウトは驚きの表情を浮かべ、ついでゲラゲラと笑い出した。
「そうか、そうだったなシャング。俺はここ数年お前のことばかり考えていたから、すっかり知り合いになったような気分になっていたよ。確かに俺とお前は初対面だ」
笑いを収めて、リコウトは親切に教えてやった。
「では説明してやろう。このクックハンでお前を追い回していたのは全部俺の手配だ。怖かったか、おい?」
そうリコウトが告げた瞬間、確かにシャングの顔に恐怖がよぎった。
「そして、ここ一年でお前の仲間達を一人一人はぎ取っていったのも俺だ。今度は逃がさないぞシャング。苦し紛れに教会に逃げ込んで勇者に祭り上げられた、最低のどチンピラが」
リコウトの緑の目が細められる。
「もうこの大陸にお前の逃げ場はない。じっくりと手を回させて貰ったよ。今度こそ妹の仇がとれる」
シャングが“白銀の太陽”を抜きはなつ。
「こんな雪の日にお前に犯されて殺された、スレイの仇だ」
シャングは犬歯を見せて笑った。
「お前を有史以来最も人の命を奪ってきた武器で平凡に殺してやる。光栄だろ、人類の救世主様」
シャングが“白銀の太陽”振りかざす。そしてその瞬間、
ドッカッーーーン!!!
凄まじい音が周囲に響き渡った。シャングの腕は振り上げられたまま止まり、その瞳は信じられない光景を捉えていた。
リコウトの背後の城が内部から爆発して、崩れ落ちていく。
その力はまるで――
「ラウハ……?」
かつての仲間の名をリコウトは呟く。
それに呼応するかのように、リコウトは肩をすくめて見せた。
破壊の限りを尽くしたシャングが、次の目的地をクックハンあるいはトルハランにしたのは当然の成り行きだった。
フーリッツがいなくなった今、彼にとっての敵はもうリコウトしかいなくなっていたのだから。
無論、リコウトもそれを読んでいる。
その道程には相も変わらず陰湿でしつこい嫌がらせが仕掛けられていた。
しかし、シャングはただひたすらに南を目指す。
追いつめられることで、逆にその行動は単純化していた。
そしてそれはシャングにとっても、あながち間違いではない。
シャングが追いつめられたというこの局面に置いても、彼がその剣の下にリコウトをねじ伏せれば、落ち着きを取り戻しつつある世界は再び混乱へと引き戻されることになるからだ。
各国のパワーバランスが崩れて今度は人間同士の大乱が起こる。
そうなってしまえばシャングの戦力は貴重だ。殺そうなどと思う者はどこにもいなくなるだろう。
つまり、リコウトを殺すことが出来ればシャングの前には自由な未来が広がる。
そういう意味では、確かにリコウトはシャングの敵だった。
そして敵がいる限り、自分は勇者でいられる。
――シャングはそう信じていた。
心ならずも秩序の代表者となってしまったリコウトの仕事は複雑化する一方だった。
結局のところ、ショウの再興計画もほとんどリコウトが練ることとなったのだから。
ターロは全くの口だけ男で、あの最初の会議で見せた知性の片鱗というのはつまり、強者へおもねる才能だったということを、リコウトはイヤでも思い知ることとなった。
そして足元を固める仕事。
数年に渡って工作を続けてきたトルハランの宮廷は、すでに骨抜きだ。
第一、その首魁たる王自身が、もはやリコウトの顔色をうかがいながら日々を過ごしているようなモノなのだから。
それでも、時折思いついたように刺客を送ってくることもあるのだが、リコウトはそれをことごとくかわし、あるいは撃退してきた。
そのため逆にドンドンと立場を無くしていっているような有様で、むしろ哀れですらある。
その間リコウトはといえば、シャング達の問題を解決してゆき、ジレル伯爵の後ろ盾も得て、国家間の調停にも手腕を振るっている。
そうやって国外でのリコウトの評価が上昇してゆくに連れ、もはやトルハラン王のリコウトへの王位譲渡は時間の問題とも言われ、そういった噂話のボリュームが大きくなるに連れて、有象無象からの刺客の刃の数が減少していった。
この新しい大陸の支配者におもねろうという意図が見え隠れして、リコウトにしてみれば苦笑を浮かべるしかない。
もっとも、それだけに未だに伸びてくる暗殺の刃はより深刻化していることになるのだが、とにかく今までは無事だ。噂通りトルハランの王位継承は時間の問題だと考えてもいいだろう。
問題はクックハンだ。
リコウトがクックハンの宮廷に乗り込んだ時、当たり前の話だが、古くからこの国に巣くう貴族達からは、いい顔はされなかった。そして若い貴族からはリリィという美しい花を独占していると言うことで、露骨に嫌われた。
リコウトとの婚約が決まった後、リリィは社交界にもほとんど姿を見せることがなくっていたからだ。
リコウトとしては出し惜しみしているわけではなく、むしろその美貌でこちらの活動を助けて貰いたかったのだが、リリィはむしろリコウトの裏方に徹することに価値を見出しているようで、そうなるとリコウトとしても無理強いは出来ない。
事実、これだけ仕事が多岐にわたると、リコウトには持ちようのない、生まれながらの貴族が持つ独特の感覚が不可欠で、リリィにはその方面で実に助けられているのも確かなのだから。
そんなリコウトが、クックハンの宮廷で執った作戦は実に単純極まりないモノだった。
ごく普通の貴族でも思いつくような、ありふれた手口。
つまり、クックハン王に気に入られる――寵臣になることだった。
ただ、リコウトの手持ちの武器はありふれたモノではなかった。
まず、その身分が小国とはいえ王弟であり、また王位につくことが確実化しているということ。クックハンの宮廷でのリコウトの身分は、あくまでジレル伯代行であるので、こういった現象が起きるのだが、クックハン王にしてみれば、他国の王が自分に跪いているようで大いに気分がいい。
次に、名目上とはいえ大陸の盟主とも言うべきショウの後ろ盾を得ているということ。
それは他の貴族達がどんなに家柄を誇ろうとも叶わない、強力な格式の保証だった。これもまたクックハン王の気をよくさせるには十分な事柄だ。
そしてなんと言っても大きいのは、シャング達を実際に捕らえているのは、リコウトだという事実だ。
クックハンはシャングという勇者を世に送り出したが、その勇者は今、人類に牙を向いている。クックハンは再び各国から非難されてもおかしくないところを、このリコウトの出現によって、再び国際的な評価を高めつつある。
この三つの武器を持って、リコウトは積極的にクックハン王に接触した。
もちろん、あくまで腰は低く慎重に丁寧に。
そして今日も、新たに二つの武器を持ってリコウトはクックハン王に面会していた。
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