第13話


         ※


《全員、シートベルトは締めただろうな? 突入まであと三百秒だ!》

「心配するな、大丈夫だよ!」


 ハヤタの確認事項に、俺はすぐさま応じた。

 このダーク・フラットが他の船より優れているのは、熱光学迷彩が施されている、という点だけではない。大気圏への突入、及び脱出が自在に可能だということもあるのだ。

 ハヤタの言う『突入』とは、まさに大気圏突入のことである。


 グンジョーを経由して、ハヤタがクラック大佐と連絡を取っていたことで、俺たちは地球の防衛圏内への進入、及び着陸を許可されていた。先ほどハヤタの言っていた『根回し』とはそういう意味だ。

 念のため、二機のSCR、すなわちダブル・ショットとサムライは、地球の大気及び重力下での活動を念頭に微調整が施されている。まあ、出番がないに越したことはないのだが。


 さて、問題は、地球に身を寄せる場所があるかどうか、ということになる。それについて、心配はなかった。マスコミの捜索を避けて、しばらくの間匿ってくれるであろう人物に心当たりがある。これ以上、『あの人』の世話になるのは気が引けたが、クランベリーの件もあるし、仕方がない。


《カウントダウン、始めるぞ。二十、十九、十八――》


 二十秒前からカウントするとは、ハヤタも律儀な奴だ。などと思って気を逸らそうとしたが、なかなか上手くはいかなかった。

 大気圏突入時には、毎回ガタガタと不穏な振動が走る。DFの性能を疑うわけではないが、この強烈な重力下で、平静でいろというのも無理な相談だ。


《三、二、一、突入!》


 ああ、やっぱり来た。ガタガタだ。

 この強固な装甲板で覆われたDFが、摩擦熱で燃え尽きるはずがない。姿勢制御も上手くいっているようだ。

 が、そんな理屈で得られる安心と、胸中に溢れる不安とは、全くの別物だ。ポジティブ・シンキングで相殺できるような不安ではない。もっと本能的な、心をえぐるような不安だ。


「ね、ねえ! あたし、地球に降りるのって初めてなんだけど、いっつもこんな感じなの?」

「馬鹿、喋るな!」


 不安げなサオリの弱音を、頭から叩き潰す。振動で舌を噛んでしまうことがないようにするためだ。決して、俺が恐怖感を煽られるからではない。多分。

 その点、クランベリーは落ち着いたものだった。目を閉じて、あたかも眠っているかのような安らかな表情で、指先一つ動かさない。

 こんなに安心していられるのも、まだ戻っていない記憶の範囲で、彼女が大気圏突入に慣れているからなのか。


 そうこうするうちに、唐突に振動は止んだ。念のため、俺は身動きせずに事態の変化を見守る。

 すると、ハヤタから通信が入った。


《大気圏突入成功だ! ふう、やれやれ》


 俺は短くて太いため息をついた。


《念のため聞くが、負傷者はいるか?》

「いねえよ。大丈夫だ」


 と言って横を見ると、


「あ」


 サオリが気を失っていた。そんなに怖かったのか、大気圏。帰りも同じようにしなくちゃならないんだがなあ。

 ふと、俺は不思議な感慨に囚われた。地球に戻ることと、地球を去ること。どちらが『帰る』ということになるのだろう?

 無論、地球を去って宇宙に出なければ、賞金稼ぎはやっていられない。そういう意味では『帰る』とは地球を去ることだ。

 だが、地球には『あの人』がいるし、何より地球は、俺とハヤタの生まれ故郷だ。やはり『帰る』とは、地球に降りることなのか?


 まあいずれにせよ、この船がある限り、俺たちは安心していられる。銀河系のどこにいようと、DFこそが我が家。それでいいじゃないか。


         ※


《大気圏突破。繰り返す。大気圏突破。皆、もうベルトを外していいぞ》


 そのハヤタの声に、俺はすぐさま席を立ち、すっと深呼吸をした。もちろん、外気が流入しているはずがない。もしそうならDFは大気圏突入中に燃え尽きてしまう。

 それでも、生まれ故郷に帰ってきたという実感は、空気を通して俺の胸いっぱいに広がった。


「おい起きろ、クランベリーもサオリも。もう安全だぞ」

「ん、むにゃ?」


 間抜けな声を上げるサオリ。そう言えば、地球に降りるのは初めてだと言っていたな。


「ハヤタ、この部屋の壁面を透明化できるか?」

《大丈夫だ。任せろ》


 すると、すぐさま地球の光景が俺たちの視界に入ってきた。

 一言でいうと、真っ青。ただし、その青は一色を意味しているのではない。円形に沿った境界線、すなわち海岸線に接するように、やや淡い青が広がっている。空だ。


「おい、起きろよサオリ。俺たちの故郷だぜ」

「こ、故郷……って、地球!?」

「うおっ!」


 サオリは勢いよく立ち上がった。そのままスタスタと壁面に近づき、両手を着く。

 

「これが、私たち人間の生まれた星なのね……」


『うわぁ』とか『すごい』とか、感嘆の言葉を繰り返すサオリ。俺はもう一人、クランベリーを起こしにかかった。


「おい、クランベリー。大気圏は突破したぞ」


 軽く肩を揺すると、ゆっくりと彼女は目を開けた。


「地球に着いたんですか、先輩?」

「ああ。見てみろ」


 俺はクランベリーの前からどいて、壁面へと促した。しかし、クランベリーには安堵感のようなものは見られない。

 やはり、記憶を失っているからなのだろうか? それとも、自分の出生にさほど興味のない性格なのだろうか?

 焦っても仕方がない。彼女には、ゆっくり外界に触れてもらって、少しずつ記憶を呼び戻してもらうしかないのだろう。


「ハヤタ、軌道には乗ったか?」

《ああ。あと三十分ほどで目的地に――モロッコに着くぞ》


 アフリカ大陸北西部に位置する国、モロッコ王国。そこが、俺たちの地球での補給基地であり、『あの人』のいる場所でもある。


「皆、聞いたな。サオリもクランベリーも初めて会う、っていうか、遭遇する人物だと思うが、まあ俺とハヤタの恩人なんだ。紹介させてくれ」


 二人にも異論はないらしく、首を縦に振った。


「よし、いいぞハヤタ。このまま進んでくれ」

《了解。空軍に連絡して着陸許可を取る。しばらく待って……って、何だ、これは?》

「どうした?」


 俺はブリッジ直通のマイクに顔を寄せた。


「ハヤタ、何があったんだ?」

《いや、もういなくなったんだが……。小型の航空機が、この船に急接近してきたんだ。無人偵察機の類だろう。俺たちの無事を確かめるために、軍が手を回してくれたんじゃないかと思うが》

「そう、か」


 俺は、ハヤタの説に半信半疑だった。

 普通、安全を確認しに来た航空機なら、こちらとのコンタクトを取るはずだ。それがないということは、俺たちの行き先を探る目的があったのかもしれない。それも察知されないように気をつけながら。

 目的は何だ? 俺は背筋に、一筋の冷たい汗が滴るのを感じた。


《何を考えてる、カイル?》

「いや、何でもない」


 ハヤタなら、俺と同じくらいのことは考えているはずだ。ゴタゴタのあった後だから、今はそういうイレギュラーな事態が発生しているのかもしれない。

 俺の気にし過ぎなのだろうか?


《降下地点まであと十分。サオリ、重力酔いに気を付けろよ。人工重力とさして変わらないはずだが》

「ええ! 大丈夫よ!」


 そう言うサオリは、手早くカメラを手にしている。カメラと言っても、立体映像の撮影器具だから、それなりの大きさと重量がある。そんなものを取り回せるのだから、確かに重力酔いはないようだ。


 一般の航空機を遥かに上回る速度で、高高度を飛行するDF。しかし、徐々に高度を落とし、五分後にはもう眼下に広がる砂漠や市街地が見えるようになってきた。

 こんなところまで砂漠化が進行していたとは。俺は前回、地球に戻ってきた時のことを思い出さずにはいられなかった。


 俺たちが降下したのは、宇宙船専用の超大型ポートだった。海面に浮かぶポートから、海底トンネルを通ってモロッコ本国へ。以前世界中で使われていたパスポートやビザといったものは、もはや無用の長物である。


「ここが、地球……」

「ああ。そうだよ、サオリ」


 なにやら親密なムードを高めているハヤタとサオリから目を反らした時、ちょうどクランベリーの姿が目に入った。


「大丈夫か? 地球に来て、何か思い出したことはないか?」

「あっ、えっと、私、身体は大丈夫です。ただ、初めて降り立ったわけではないようですね、地球には。この青空とか、海の香りとか、風当りとか」

「ほう?」


 もしかしたら、彼女の記憶を取り戻すいい機会になるかもしれない。


 何はともあれ、『あの人』の元に辿り着くのが先決だ。俺たちは必要最低限の武装をして、真夏の北半球へと足を踏み出した。

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