第12話
脱衣所のドアが開くと同時、向かい合うような形で、浴室のドアがするするとスライドした。そしてそこにいたのは、生まれたままの姿のクランベリーだった。
俺は自分の馬鹿さ加減を呪った。そうだ。この脱衣所に入るドアのランプは壊れていたのだった。
中に人がいるのかどうか、知らせてくれるはずのランプの故障。各人の個室とバスルーム(脱衣所と浴室の両方)には設置されていたのだが、配線の不調が見られると、以前ハヤタが言っていた。
まさかその故障で、こんな事故が起きるなんて。
呆然自失の俺に対し、クランベリーは慌てることなくじぶんのバスタオルを身体に巻いた。しかしその頃には、肩から上、視認できる範囲は既に真っ赤に染まっていた。
恥ずかしさからか怒りからか、その両方か。確かなのは、高速で接近したクランベリーの拳によって、俺の意識がブラックアウトさせられたということだけだ。
※
「ん……」
「気が付いたか、ロリコン」
「俺はロリコンじゃねえ! って、いてぇ……」
どのくらい時間が経過したのだろうか、俺は自室のベッドに横たわっていた。左側頭部が鈍痛を訴えている。脳震盪でも起こしたか。
当然ながら、俺の看病にあたっているのはハヤタである。看病というより、俺の意識が戻り次第、からかってやろうという心づもりでいたんだろうな、どうせ。
ブリッジと同じ、艶のない金属剥き出しの部屋。ベッドは部屋奥に置かれており、左右の壁面には、俺が自分で収集した賞金稼ぎの活躍記事(特に俺の)や活躍映像(特に俺の)、それに軍から表彰された際のトロフィー(やっぱり俺自身の)などが並んでいる。
「ハヤタ、俺はどのくらい寝ていたんだ?」
「二時間半、ってところだ。それより、見ろよ」
タブレット上の映像端末を、俺に向けるハヤタ。そこに映っていたのは、記者会見場の様子だ。向かって左から、クラック大佐、グンジョー、それにあいつ。
「はあ!? どうして俺じゃなくてクランベリーがいるんだよ!?」
「仕方ねえだろう、お前は寝てたんだからな」
俺はがばっと上半身を持ち上げた。怒り心頭の俺に対し、ハヤタは飄々とした態度だ。
「今回の一件、軍と公安局の対立が浮き彫りになった、ってもんだからな。賞金稼ぎ共は、早速情報収集にあたってる。それなのに当事者が報告しない、あるいはできない、って道理は通用しねえだろ? だからうちからクランベリーを出したんだ」
「あんにゃろう!」
俺の怒りは最高潮に達した。その矛先は明確。ハヤタではなく、クランベリーだ。
嫉妬心ゆえに、ということになるのだろう。そうでなければ、責任者であるハヤタに八つ当たりするはずだからな。
《つまり、今回の事案は公安局の行き過ぎた管理体制にある、と?》
《私はそう考えています》
記者の言葉に、大佐が淡々と答える。グンジョーは完全に対応を大佐に任せっきりにするつもりらしい。あの厳つい相貌のグンジョーに、好き好んで質問する記者も珍しいのだろうが。
やがて俺の予想通り、質問の焦点はクランベリーに向けられた。
《クランベリーさん、今回もお手柄でしたね! ダーク・フラットの皆さんもお喜びでは?》
《ハヤタ船長も鼻が高いでしょうね!》
《次はSCRでの活躍を期待しています!》
全く、好き勝手言ってくれる。お前らは記者、というよりクランベリーのファンなんじゃねえのか。
そう思いながら画面を見ていたが、俺は違和感を覚えた。クランベリーは、にこりともしないのだ。いつも笑顔を絶やさなかった彼女が。
《クランベリーさん、顔を上げてください! 是非お写真を――》
《ふざけないでください!!》
「え……?」
俺は今日何度目かの、そして一番の驚愕の念に襲われた。
クランベリーが、キレた? あの、いつもの主人公ポジションにあって、謙遜を大事にしていたクランベリーが?
ガタン、と椅子が倒れる音が響く。次には掌をテーブルに打ちつける鈍い音。クランベリーは、誰もが今まで見たことのないほど激怒していた。
ハヤタまでもが、無煙煙草をぽとり、と床に落とす。記者たちの焚くフラッシュも、一瞬で沈黙した。
そんな周囲の状況など気にも留めずに、クランベリーは叫んだ。
《多くの人が亡くなったんですよ? 大怪我を負ったんですよ? それなのに……それなのに、あなたたちは何も感じないんですか?》
彼女の言葉に、誰も対応できない。画面の向こう側から、記者たちが抱いている緊張感、いや、恐怖感までもが滲み出てくる。
しばし前方を見渡した後、クランベリーはぐっと制服の袖で目を拭い、誰の答えも待たずに記者会見場をあとにした。
「ちょっとちょっと、マズいわよ、これ!」
「どういうことだ、サオリ?」
俺は尋ねずにはいられない。クランベリーの身に何が起こるというのか?
そんな俺の心配を汲んだように、サオリは一瞬俯き、語りだした。
「クランベリーちゃん、報道関係を相手に喧嘩を売ったのよ? これからどんなバッシングを受けるか分からないわ!」
青ざめた顔で告げるサオリ。
そんな、馬鹿な。クランベリーは当然のことを言ったまでだ。それが、バッシングを受ける、だって? ふざけるな。
しかし、俺は自分の中の矛盾した感情に気づいた。
クランベリーが叩かれれば、また俺の活躍がメディアに取り上げられるようになるかもしれない。
俺は一体、何をしたいんだ? 自分が目立ちたいのか? クランベリーを助けてやりたいのか?
「くっ!」
「あっ、おいカイル!」
俺はハヤタに引き留められるのにも関わらず、自室を出て行った。ニュースに背を向けたかったのだ。
怒りで茹った脳みそをフル回転させ、何ができるかを考える。
まず、賞金稼ぎたちはクランベリーを支持するだろう。俺たちに代わって、正当なことを述べてくれたのだ。世間のはみ出し者たちからすれば、クランベリーは眩しい存在なのである。
だが、世間一般はどう思うだろうか。当然ながら、賞金稼ぎやその支援組織は、社会ではごく一部の存在にすぎない。
やはり、クランベリーは糾弾されざるを得ないのだろうか。
俺がぎゅっと拳を握りしめた、その時。
「二人共、地球に下りましょう。もちろん、クランベリーちゃんを連れて」
「何を言ってるんだ、サオリ?」
俺の代わりに反問するハヤタ。
「妙な話だけれど、地球って今はあんまりネタになるようなことがないのよ。あたしたちの生まれ故郷なのにね。それでほとぼりが冷めるのを待つ」
「待つ、って、一体どれだけ待てばいいんだよ?」
未だに落ち着きのない俺に、『ざっと一週間くらいかしらね』とサオリ。なんだ、思ったより短いな。
すぐさま頭の中でそろばんを弾いたのだろう、ハヤタは一つ、大きく頷いた。
「今回の作戦に参加した賞金が入る。グンジョーが取り計らってくれるはずだ。地球に降りても金の心配はいらない」
「でも、この船の熱光学迷彩については秘密にしておきたいだろ? どうやって、地球軌道艦隊の輪をすり抜ければいい?」
という俺の質問に、ハヤタは説明を加えた。
「地球に出入りする船を見張ってる軌道艦隊のほとんどは、軍の統制下にある。クラック大佐には、俺から話をつけておく。見逃してくれるようにってな」
「で、地球に降りてからはどうする?」
すると、ハヤタは眼球だけを動かして、じろり、と俺を睨んだ。
「絶好の隠れ家があるじゃねえか」
「隠れ家、って……。『あの人』のところか?」
大きく頷くハヤタ。
「ちょ、ちょっと、『あの人』って誰のことよ?」
サオリの疑問はもっともだ。俺でさえ、自分で答えに至ったといっても、驚きを隠せないでいるのだから。
「会えば分かるさ。だが、地球での取材活動は自粛してくれ。いいか、サオリ?」
「え、ええ、それは構わないけど」
「決まりだな」
ハヤタはぱちん、と両の掌を打ち合わせた。
「今から手続きを取る。クランベリーが帰ってくる頃には動けるはずだ。いいな、二人共?」
俺とサオリはこくり、と頷いた。
※
軍の船でDFに帰ってきたクランベリーは、疲れて、というよりやつれて見えた。報道関係の船を回避して帰ってくるのに苦労した、ということは当然あるだろう。が、あれだけ激昂したことを思えば、精神的疲労の方が致命的なのかもしれない。
「カイル先輩、サオリさん、ごめんなさい。私、記者たちに追いかけ回されるのがこんなに大変だなんて思わなくって……」
「気にするなよ、クランベリー。お前は正しいことを言ったんだ」
俺はなるだけ自然体を装って、彼女に声をかけた。サオリも加勢する。
「そうよ! あれであなたを非難するような輩は、あたしが必ず弱みを握ってあげるから!」
って、そういう問題かよ。
すると、しばし通信室に籠っていたハヤタが、自分で自分の肩を揉みながらブリッジにやって来た。彼に対してもクランベリーは頭を下げたが、ハヤタは鷹揚に『気にするなよ』と一言。
「よし、準備と根回しは完了だ。二時間後に、俺たちは地球に降りる。大気圏突入のことは心配しないでくれ。少し飛ばすから、皆は隣の部屋の座席に就いていてくれ」
俺たちは船の操縦をハヤタに任せ、『了解』と告げた。
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