第19話


         ※


「あいててて……」

「だからお前は休んでりゃよかったんだよ、カイル」


 ハヤタは包帯ぐるぐる巻きになった俺の右腕を見て、呆れたため息をついた。

 しかし、この場にいなければならない、という義務感が俺を駆り立てている。


「ハヤタ、アルバの野郎はどうした?」

「取り敢えず監禁室にぶちこんである」

「そうか。で、『ブツ』の方は?」


 俺が問うと、ハヤタはその『ブツ』に背を向けながら、親指を立ててぐいっと背後を指差した。そりゃあそうだ。誰も好き好んでこんなものを目にしたくはあるまい。


 俺たちがいるのは、DF内の簡易応急手術室だ。宇宙船の中で大した処置ができるはずはないのだが、患者は既に絶命している。だから『ブツ』だ。

 ハヤタのわきを通り抜け、手術台を覗き込むと、そこにはジードの死体が横たわっていた。防弾ベストは何の役にも立たなかったらしく、全身がズタズタのハチの巣状態である。


 そんなものに熱い視線を注いでいるのは、クランベリーとサオリの二人。こいつら、本当によく見ていられるな。


 サオリは古風なカメラを構え、パシャパシャと写真を撮りまくっている。そこから一歩引いたところで、クランベリーは難しそうな顔をしていた。


「サオリ、こんなもん誰も見たがらねえぞ? 編集長に没にされるんじゃねえの?」


 俺の言葉に耳を貸さず、というより聞こえていないのか、サオリはシャッターを切り続ける。


「先輩、サオリさんは記事にしようとしてるんじゃありませんよ。ハヤタ船長と相談して、この死体の詳細な写真を軍に引き渡すつもりなんです」

「軍に?」


 無言で頷くクランベリー。

 

「公安よりは信用できるんでしょう? クラック・ドルヘッド大佐もいらっしゃいますし」

「まあ、そうだが」


 俺もクランベリーの隣で腕を組み、手早くカメラを操作するサオリの所作に見入った。


「でもいいのか? 軍は現物を出してくるように要求してくるぞ。そうしたら、またお前がマスコミに囲まれることに……」

「私が報道関係の皆さんに、無礼を働いたのは事実です。せっかく地球にまで逃げてこられて、正直安心していました。でも、この生物の死骸は精査されるべきものです。その過程で私が世間に晒され、叱責されるなら、それは仕方のないことです」


 なるほど、彼女には覚悟ができているわけか。

 しかしそう考えると、俺には腑に落ちないものがあった。心の中に小骨が刺さったような。


 俺は、マリが意識を取り戻した時、喜んでくれるものと信じてマスコミやジャーナリストたちの前に立ってきた。だが、そうやって人を取り上げることは、無造作に人を傷つけることもありうるのだ。

 よくよく考えてみれば、俺が銀河の中心、賞金稼ぎの星として存在できたのは、運が良かっただけかもしれない。たとえそれが、マリに俺を見てもらいたい、そして喜んでもらいたいという、前向きな理由に基づくものだとしても。


「ふう、撮影終了ね」


 サオリの声で、俺は顔を上げた。


「どうする、ハヤタ? このデータ、もう軍の情報部に送っちゃっていいのかしら?」

「ああ、構わない。恐らく途中で傍受されて、このDFの場所がマスコミに割れちまうだろうが、止むを得んだろうな。すぐに現物を持って出頭すると、メッセージを添えてくれ」

「了解」


 すると、サオリはカメラを抱き締めるようにして出て行った。通信室へ向かったのだろう。

 それはいいとして、クランベリーが浮かない顔をしているのはどういうわけか。


「おい、何やってんだ、クランベリー? こんな死体なんか、見たくないなら見なけりゃいいじゃねえか。吐いちまうぜ」

「そ、そういう……では……」

「あん?」


 俺が無造作に訊き返すと、クランベリーは珍しく顔をしかめながら『そういうことではありません』ときっぱり言い切った。

 その目に宿った光を見て、俺は思わず息を飲んだ。こいつ、こんなに強い瞳をしたことがあっただろうか?

 そりゃあ、出会って精々一ヶ月、俺が彼女の全てを理解しているはずがない。それでも気圧されてしまうくらい、クランベリーの眼光は鋭かった。自分の脳髄が貫通されるのではないかと思うくらいに。


 俺はさっと目を逸らし、何事か呟いて手術室を出た。この場でクランベリーに問いを重ねることはできたかもしれない。だが、記憶喪失である彼女の回復を阻害する恐れがある。いずれにせよ、彼女が何か重大な事項を抱えているのは間違いない。


 自分の背後でドアが閉じたのを感じたのと、廊下の向こうから足音が響いてくるのは同時だった。


「サオリ、もう軍との連絡はついたのか?」


 顎に手を遣って顔を上げた俺に向かい、サオリは『一応ね』と一言。


「それと、思った通りだったわ」

「思った通り、って何が?」

「マスコミよ。あたしが軍の情報部にデータを送ったら、ものの三十秒で逆探知されたわ。この船の位置がね」


 俺は再び、大きなため息をついた。ふーん、と唸りながら後頭部をガシガシと掻きむしる。


「取材対象はやっぱりクランベリーか」


 唾棄するように言葉を呟く俺。連中は、一度クランベリーに記者会見を台無しにされている。そのことを根に持っているのは間違いない。

 しかし、サオリは『あら、違うわよ?』と言いながら俺の顔を覗き込んできた。


「へ?」

「あなたに質問事項が集中してるわ、カイル。きっと、あなたのSCRが起動していたことがバレたのね。さっき操縦していたのはクランベリーちゃんだけど、外見上あなたが操縦しているように見えたのよ。だから、ここ、つまりモロッコの大西洋岸での事件について対応義務があるのはあなたってわけ」


『カイル、お分かり?』といって肩を竦めてから、サオリは俺のわきを通り抜け、再び手術室に入っていった。軍やマスコミとの通信について、ハヤタにも伝えておくつもりなのだろう。

 これ以上俺たち、つまりDFの乗員が、マスコミを蔑ろにするわけにはいかない。俺が矢面に立たなければ。全く、妙なところで目立つ羽目になっちまったな。

 俺は再び、今度は額に手を遣りながら、大きなため息を床に落とした。


         ※


 翌日。

 クリスに世話になった礼を述べてから、俺たちはモロッコを発った。

 記者会見は、宇宙船の間での立体映像通信がクリアになる宙域に設定されなければならない。俺たちに告げられた会見場は、ラグランジュ・ポイントの一つ。すなわち、地球と月の間での、重力の安定する宙域だ。

 

 地球の重力圏から宇宙に出る際も、大きな振動と加重が俺たちを見舞った。俺の背後の席でサオリがゲーゲーやっていたが、しかしそれを心配してやるだけの心の余裕はない。

 ちゃっかりシートベルト席に収まったアルバも、すっかり敵意を喪失したらしく、ぼんやりと振動に身を任せていた。


 俺の右腕の骨折は、大したことはなかったらしい。痛み止めを打ってから固定し、記者会見に臨むのに支障がない程度にはなっている。だが――。


 俺が気にしているのは、代表して答弁にあたる自分のことより、クランベリーのことだった。ポイントは二つ。

 第一に、今回の会見で彼女が詰問されたり、糾弾されたりはしないか、という心配だ。賞金稼ぎは、犯罪に触れるギリギリのところで日々戦っている。それを軍や公安に黙認してもらっているのだから、一般人を含め、彼らの納得のいく回答をしなければならない。今の彼女に、それができるか?

 第二に、極めて個人的懸念だが、クランベリーの傷の治りの早さが気にかかっている。確かに、痛覚を麻痺させる薬や、身体の一部の細胞分裂を助け、傷の回復を早める処置は存在する。しかし、そんな薬や処置器具はDFには搭載されていない。

 そして銃撃を受けながらの出血量と、ダブル・ショットを操縦できるようになるまでの間の回復力。影の連中ほど、とは言わずとも、似たような部分はあったのではなかったか。

 クランベリーは、何らかの身体改造を受けているのではないか? もしそうだとして、誰のために? 


 俺はぶんぶんとかぶりを振った。あまりにも想像したくない内容だな、クランベリーが人造人間、あるいは改造人間だなんて。

 俺はクランベリーを目の仇にしてはいるが、それはどちらが目立つことができるか、ということ、その一点においてだ。彼女の人間性を否定したいとは思わないし、命を救ってもらった恩もある。それに……ちょっと可愛いところもあるし。


 って何を考えてるんだ、俺は。

 そうこうするうちに、俺たちは目的地、ラグランジュ・ポイントに到達した。そこには既に多くの報道陣の乗った船が集まっており、アンテナを展開したり、パラボラの確度を調整したりしていた。

 

 所定の時刻まであと三十分。まだ時間はある。だが、思いつめた表情のクランベリーにかけられる言葉を、俺は持ち合わせていなかった。

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