第30話
※
「脱出ポッドの射出は確認――」
「SCR自体は機体の八割が融解――」
「パイロットを集中治療室へ――」
周りの声が、くぐもって聞こえてくる。まるで、自分の周囲に薄い膜が張られたかのようだ。耳だけではない。足もおかしい。酒を飲んだわけでもないのに、ふらふらと危なっかしいのが自分でも分かる。それとも、記憶の飛んでいる間に飲んだのだろうか?
さらに言えば、視界もやたらと狭くなったように思われる。左右の幅がない。
それでも俺は、自分が真っ白な内装の、ややゆとりのある廊下を歩いていることは理解した。きっとこれは、公安直属の緊急医療船の中だ。
だがすぐに、『真っ白な内装』という認識は覆された。床を見下ろした時、目に入ってしまったのだ。強烈に赤い液体が、床に筋を作っている。誰かの血液であることに疑いはない。
では、誰の血液なのか? 賞金稼ぎたちも軍人たちも、大怪我を負うような戦闘にはならなかったはずだが。
その時になってようやく、俺は意識が鮮明になった。
「クランベリー……クランベリー!」
そうだ。クランベリーが、狙撃手の電磁砲から俺を守るべく、体当たりをかましてきたのだった。
俺は、閉じかけられた集中治療室のドアに向かって突進し、担架の上のクランベリーが無事なのかどうか、確かめようとした。が、しかし。
「ぐあ!?」
両脇を、屈強な男に掴まれていることに気づいた。右腕はグンジョー、左腕はアルバだった。
「はっ、離せてめえら! ぶち殺すぞ!」
「落ち着けよ、カイル!」
アルバはいつにも増して挙動不審である。すぐにでも逃げ出したいという思いが、その表情からありありと見て取れる。それほど俺の形相は殺気立っていたということか。
それに対し、グンジョーは巧みに俺を押さえつけた。右腕を軽く捻ったのだ。
「がはっ!」
あまりの激痛に、俺は身体のバランスを失って転倒しかけた。それを無理やり引き留めるグンジョー。姿勢を正さなければ、この激痛はいつまでも続く。俺は両膝で踏ん張って、なんとか姿勢を立て直した。
俺はグンジョーを睨みつけたが、彼の方は一瞥をくれる程度。俺のように、正気を失った人間を多数見てきたのだろうか。それとも、自身がそんな体験をしたことがあったのだろうか。
その時、大勢の人間が、背後から近づいてくる気配がした。そして、上半身を捻ってそちらを見た瞬間、俺の視界が真っ白になった。ああ、これはカメラのフラッシュか。何度も浴びてきたから、よく分かる。彼らはマスコミだ。
医師や看護師たちが止めに入るが、マスコミの連中の足は止まらない。人数にものを言わせて、俺たち、否、俺の方へと向かってくる。途中、医療キットの乗った担架が押し倒され、派手な音を立てたが、連中は気にも留めない。
そして無理やり俺たちの前に回り込み、マイクを突きつけてきた。
「カイルさん、よくぞご無事で!」
「目撃者の証言によれば、あなたは軍用機を人質に使ったとか?」
「非人道的だとは思わなかったんですか?」
カチン、と、俺の脳内で何かが弾けた。
『非人道的』だと? 現場にもいなかったお前らに、一体何が分かる? ああでもしなければ、軍用機の一斉射撃で死傷者はずっと増えていたかもしれないんだぞ。
という言い分を組み立てることはできた。しかし、脳から口元へ、そして全身へと循環しているのは、燃えるような怒りだった。
俺はさっとしゃがみ込み、グンジョーとアルバによる拘束を逃れた。そして、負傷しているはずの右腕を振りかぶり、思いっきり先頭の男性リポーターの鼻先にストレートを叩き込んだ。
「ぶわはっ!」
堪らずに、背後へ倒れ込むリポーター。鮮血が宙を舞い、カタカタという音が続いた。折れた歯が床に落ちたのだろう。俺は何故か、右腕の痛みを感じなかった。今さっきグンジョーに捻られた時は、吐きそうなほどの激痛を覚えたのに。
だが今は、俺よりも酷い痛みと戦っている人間がいる。そいつはクルーだ。仲間だ。そして、俺を慕ってくれている、大切な人間だ。
最早、人造人間だろうが何だろうが、俺には関係ない。
「クランベリーは必死に生きようとしているんだ! 邪魔をする奴は皆殺しにしてやる! とっとと失せやがれ!」
カメラのフラッシュの雨が止んだ。それからしばし、誰も口を利かなかった。だが、場が沈黙していたわけではない。マスコミ陣がジリジリと、俺から遠ざかっていたのだ。集中治療室側へ回り込んでいた連中も、すぐに壁に貼りつくようにして、元来た方へと戻っていく。
この時の俺の気迫の凄まじさには、グンジョーも唖然とさせられたらしい。後から聞かされたところによれば、だが。
俺はしばらくの間、息を荒げつつ鬼神のようなオーラで場を圧倒していた。メモ帳にペンを握った最後の記者が立ち去るまで、ずっと。
それ俺は、グンジョーやアルバに支えられることもなく、一人で廊下沿いの長いソファに座り込んだ。こうして、ようやく沈黙が訪れた。
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