第14話

         ※


 歩き始めるとすぐに、真っ白い壁でできた建物群が見えてきた。このあたりは、昔から変わっていない様子。だが、海岸線がやや前進したようにも見える。気候変動で、砂浜だった部分も波にさらされるようになってしまったのだろうか。岩が剥き出しになって、茶色い外観を見せている。


 そんな中、宇宙船ポートと陸地とを結ぶ一本道を、俺たちは日光に照らされながら歩いていく。


「へえ~、これが海の香りなのね。太陽は眩しいけど、風があって気持ちいいわ」


 しみじみと語るサオリ。クランベリーもまた、時々立ち止まったり、背伸びをしたりして、この環境を観察しているようだ。


「クランベリー、何か思い出すのにヒントになりそうなものはあるか?」


 試しに訊いてみると、クランベリーは顎に手を遣り、ううむ、と軽く唸った。

 

「仮に私に地球への渡航歴があったとしても、このあたりではないようです。思い出せることは、残念ながら何もありません」

「そう、か」


 これには俺も肩を落とした。

 マスコミから逃れるためとはいえ、せっかく地球に降り立ったのだ。何かしらクランベリーの記憶の鍵になるようなものがあれば、と思っていたのだが、楽観的過ぎたか。


「ねえねえ、皆で写真撮りましょう!」

「何言ってんだよ、サオリ! 遊びに来たんじゃねえんだぞ!」

「えーっ、カイルくんのケチ! ハヤタ、あなたはどう?」

「いいね、せっかくだし一枚撮ろうか」


 俺はがくっと膝を折った。


「ハヤタ、お前が乗るな!」


 そうこうしているうちに、俺たちは『あの人』のいる建物の前に到着していた。


「ここが、あなたやハヤタさんの恩人の……?」

「ああ。DFの前船長、マリ・ナナミアの家だ」


 俺の言葉に、クランベリーは目を見開いた。ハヤタもサオリも静かに立ち尽くしている。

 俺が立っているのは、教会の木製扉の前。教会といっても、マリが熱心な宗教家かと言えば、そういうわけでもない。居心地がいいというので、小部屋の一角に居候させてもらっているのだ。


 今のご時世、どんな建物であるにせよ、入り口に監視カメラやインターフォンがついているのが普通だ。しかし、残念ながらこの教会にそんな設備はない。

 俺は一応、扉の隅から隅までを見渡したが、やはりカメラもマイクもなかった。

 極々久しぶりに、俺は扉をノックするという行為に出た。鈍い反響音が、扉の向こうで木霊する。


「はーい」


 聞こえてきたのは、若い男性の声だ。扉が向こうから開かれると、そこには黒い宗教服を身にまとった長身の人物が立っていた。


「あっ、カイルさん! ハヤタさんも、お久し振りです!」


 ぱっと花が咲くように、顔を綻ばせる人物。


「やあ、クリス。何の連絡もできずに済まない」

「いえいえ! どうぞ入ってください! 後ろの皆さんも、ご遠慮なく!」


 クリス――クリストファー・パトリックは扉をより大きく開き、協会の中へと俺たちを促した。


 教会の中に入ると、正面のステンドグラスから七色の光が差し込んでいた。わきの小窓は綺麗に並んでおり、そこからも穏やかな日光が差し込んでいる。アーチ状の天井の下、長椅子が整然と並べられていた。


「クリス、訊いてもいいか?」


 俺たちを先導しているクリスに、そっと声をかける。するとその内容を察したのか、クリスは先回りして答えた。


「マリさんはお元気ですよ。昨日は車椅子で、海岸近くまで行ったんです」

「そうか」


 短く応じる俺。その時に気づいた。クリスは明るく対応しようとしているが、やや無理をしているらしい、ということに。


「どうぞ。声をかけてあげてください」


 そう言って、クリスは小部屋の扉を引き開けた。


「それでは、ごゆっくり」

「ありがとう、クリス」


 その小部屋は、不思議な空間だった。今は窓から日が差さないため、暗い印象を与える。だが、室内は適温に設定され、涼しい風が吹き抜けてくる。まるで気遣いと優しさに溢れているように感じられた。


 そんな部屋の中央のベッドに、マリ・ナナミアは横たわっていた。豊かな白髪に、健康的な顔色。微かに腹部が上下して、しっかりと自力で呼吸しているのが分かる。

 これだけ見れば、健康的な老婆が昼寝をしているようにしか思われないだろう。確かに、健康体ではあるのだ。三年前から、意識を失ったままでいることを除けば。


「久しぶりだな、婆さん」


 俺はマリの頬に手を遣りながら、そっと声をかけた。


         ※


 三年前、国際月面基地近傍宙域。DF内にて。

 

《ハヤタ、カイル! 飯はまだかい!》


 年嵩の、しかし生気に満ちた女性の声が響き渡る。


「ちょ、ちょっと待ってください! 俺、料理なんてやったことなくて……」


 弱音を吐く俺とは対照的に、ハヤタは抗弁する。


「月面基地で食えばいいじゃないっすか! わざわざDF内の食糧を使うこともないだろうに」

《あたしゃたった今、腹が減ってるんだよ! 『腹が減っては戦はできぬ』って言葉を知らんのかい、お前たちは!》


 不器用に包丁を扱う俺。同じく不器用に具材を煮詰めるハヤタ。


「な、なあハヤタ、『みじん切り』ってこれでいいのか?」

「ああ? 馬鹿野郎、それじゃあただの乱切りだ!」


 DFのキッチンで、俺たちは朝食(地球時間準拠)の準備をしていた。

 普通、宇宙船を持つ賞金稼ぎたちは、栄養補給のほとんどを宇宙食で済ませてしまう。今の俺たちだってそうだ。

 だが、マリは違った。この深く広大な虚無空間にあって、『食事を摂ること』こそが最も人間らしい行いなのだという信念を抱いていたのだ。


 俺とハヤタが、どうしてマリの船に乗っているのか? 理由は二つ。

 一つ目は、このDFを運用するのに人手が足りないと、マリが考えていたから。

 二つ目は、俺とハヤタの身柄をマリが引き取ってくれたからだ。折しも、俺たちは親戚中をたらい回しにされ、孤児院行きになりかけていたところだった。


 俺とハヤタは地球に住んでいた頃からの親友だ。その縁で、家族と共に宇宙エレベーターに乗っていた。だが、突如発生した事故により、両親は真空中に吸い出され、亡くなってしまった。

 幸いだったのは、俺やハヤタが根っからの機械好きで、喧嘩が強くて、冒険心に溢れ、要するに賞金稼ぎに向いていたということだ。

 たまたま俺たちの噂を聞きつけたマリがやって来て、こう尋ねてきた。『あたしと一緒に宇宙に出ないか』と。


 既に述べた通り、孤児院で惨めな生活を強いられることに絶望を感じていた俺とハヤタは、二つ返事で了承した。雑用でも何でもいい、地球に縛りつけられるよりはマシ。そう思ったのだ。

 孤児院になど通わなくても、俺もハヤタも就労可能年齢には達していた。それでも、唐突に沸いた『宇宙に出る』という選択肢に、目が眩んでしまっていた。


 実際、聞くと見るとは大違いだった。俺たちは毎日床磨きや壁の清掃、トイレ掃除に管制システムの整備まで任されることになった。しかも、今日は食事の準備までやれと言われている。


 マリの指導は容赦がなかった。手加減されているとはいえ、蹴っ飛ばされるわぶん殴られるわで、とてもスリリングな日々を送ることになってしまった。


 しかし、恐怖を覚えることはなかった。不思議なことだが、俺とハヤタは、自分たちの仕事が増えること、すなわち任せてもらえる役割が増えることが、嬉しくってならなかった。料理もその一環である。


 しかし、それよりも遥かな重責が課されることになったのは、僅か十分後のことだ。


《ハヤタ、カイル! この先の月面都市に、宇宙クラゲが向かってる! しかも妨害電波を発する奴だ! あたしゃ脱出ポッドを使って、この危機を街に知らせに行く。お前らはダブル・キャノンとサムライに乗って、クラゲ共を蹴散らしな!》


 その命令に、俺とハヤタは手を止めた。


《おい、お前ら! 分かったのか? 応答しろ!》

「了解!」

「了解!」


 言うが早いか、俺たちはすぐさまエプロンを脱ぎ捨て、SCRのデッキに走った。コクピットに乗り込むや否や、各パーツとコクピット内のコネクションを確認する。


「ダブル・ショット、出るぞ!」

《了解、サムライは二十秒後に出る!》


 最早、マリの声は聞こえない。妨害電波の影響だ。だが、光学映像でクラゲを捕捉するのは容易だった。

 ゆったりと真空中を移動していく、大きなクラゲ。その中央にいる最大級のクラゲを俺が消滅させ、ハヤタが取り巻きのクラゲ共を斬り捌いていくというのが俺たちの作戦だ。

 かなりアバウトだが、クラゲ退治なんてそんなものだという認識、一種の油断が俺たちにはあった。


 俺は逃げも隠れもせず、背部スラスターで自機の位置を調整しながら、二連装電磁砲を構えた。出力は、思い切って一〇〇パーセントだ。


「電磁砲発射、五秒前! 四、三、二、一!」


 凄まじい振動が機体を揺らし、同時に流星のような、それにしては眩しすぎる光が宇宙を貫いた。

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