第4話 痛みを知っている者 3


「おい……」

「な、なんなんだよ、お前! さっきから踏まれても刃を持っても表情がピクリとも動きやしない。 気持ち悪い」


 私の声を遮って少年は私が流す血を見て動揺したように一歩二歩と後退する。

 私は少年の言葉に眉を潜めた。 そうは言われてもこれが私なのである。 おかしいところがあるのだろうか。

 少年は私に恐怖していた。 けれど、なぜ恐怖しているのかが分からない。


「お前、痛くないのかよ。 本当に人間なのか……?」


 私はピクリとその言葉に反応する。

 それはここに来てから何回か聞く言葉であった。

 言葉の意味はわかる。 私だってその言葉を使わないわけじゃない。

 けれど、皆その言葉を使うときの状況が違うのだ。

 私の知っている言葉と意味が違うような気がしていた。


「人間だよ」


 形も見た目も一緒だろう?

 何か考えるところも悩むところも、怒るところだって。

 私は彼の質問が少し悲しかった。

 『痛い』を理解出来なかった自分が、ちょっとだけ悲しかったのだ。


「……少年、痛い、ってなんだ?」


 私は少年に問いかけた。

 ダンに聞いてもよかったが、もし知らないことがおかしいこととされ、これ以上旅の同行を拒否されるのは得策ではなかった。

 私が知っている人は少ない。

 だから、名も知らない他人である彼に問いかけた。


「この傷と関係があるのだろうか」


 私は赤く濡れた自分の手を見る。

 ナイフの刃を握ったせいでパックリと切れてしまっている。 ナイフの切れ味はそれなりによかったらしい。


「はあ? あんた本当に痛みがわからないってのか?」


 先ほどまで怯えていた彼は今は理解が出来ないとでも言うように顔を歪ませていた。


「痛みってのは、あれだよ。 怪我したら痛いもんだろ?」


 少年は律儀に教えてくれた。 悪い奴だとは思っていたがそこまでなのかもしれない。


「よく、わからないな。 痛いという言葉は心に対して使うものじゃないのか?」


 それは私の知っている痛いだった。


「たとえば、仲間が死んだ時、心が痛いものだろう?」

「いや、それは……うーん……」


 少年は困ったように悩み出し私は更に困惑する。

 そして、少年と話をした。

 『痛い』というものがどんなものなのか、お互いに話した。

 話してみると彼は結構良い奴で仲良くなれる気がする。

 私の口述はこうだ。

 痛みとは、心に表れるもの。

 知っている者が死に絶えた時や悲しい時に使う言葉。

 しかし少年の言う痛みは意味が違う。

 体に傷や病気で体に肉体的な苦しみが負った時に使う言葉。

 でもこちらの世界では私の言う痛みの意味でも『痛い』を使うらしい。

 新たな言葉の意味は文化の違いを表しているようで私にはとても勉強になる。

 冒険者ギルドで怪我を負い『痛い』と言っていたのは肉体的な苦痛であったのだろう。

 しかし、私にはその『痛い』がわからない。

 怪我を負ったときの肉体的な苦痛? 例えばナイフで切れたときはただ切れただけだ。 ただそれだけの事実があるだけで何も感じない。 肉体的な苦痛など皆無だ。 ただ怪我を負って肉体に負担をかけているのは確かであるが……。


「多分だけどそれって、痛覚がないんじゃないか?」

「痛覚?」

「そう、痛みを感じられないってこと。 怪我をした時に感じる肉体的なものって言えば大体の人は痛みを理解出来ると思うぜボクは」

「なるほど」


 確かに少年の言うことは理解出来る。 もし本当に肉体的な苦痛が走るのであれば、故郷で似たような言葉が使われていたはずだ。 しかしそのような言葉は思い浮かばない。 私と故郷の者は皆『痛み』というのを感じることが出来ない、と考えた方が適しているかもしれない。


「痛みはさ、自分の身の危険を感じるのに必要なものなんだよ。 だから痛いという感覚は辛いし怖いんだ。 痛みがないアンタは永遠に戦い続けることが出来るけど、すぐ死んじまうかもな」


 永遠に戦い続けることが出来るなら、それはいけないことなのだろうか。

 けれど私は生きるのだった、とふと思い出す。

 生きねばならないのだ、生き残った者として、生きようとするのだ。

 そう、決意したのだった。

 だから死はいけないことである。 かつてのように、いつ死んでもいいという考えは変えなくてはならない。


「じゃあ、ボクはいく。 ほら返せよ」


 もう終わりだ、と少年は手を差し出した。


「ああ、ありがとう」


 そして私もその手に彼が購入した果物が入った紙袋を手渡す。 お互い名前すら名乗ることはなかった、それはこれでもう会うことはないだろうと二人とも分かっていたからだ。

 私は去る少年の背中を見送った後、怪我をした自分の手を見つめた。

 そういえば少年は怪我をさせたことを一度も謝ることは無かった。 盗みをしたことも。 確かに気持ちがこもっていない謝罪は意味を成さないが、それでもイマイチ何とも言えない気分である。

 それにこの手をどうにかせねばならない。

 帰ればダンに一瞬でバレてしまうであろうし、それに、二度目の使いも失敗だ。

 前回ほどではなくても長話をして時間が遅くなってしまった。

 私はなんとなく怪我をしてない方の手で傷口の中を触ってみる。 少年の言うことが正しいのならこれで『痛み』というのが分かるはずである。 しかし一向に触っても何も感じることはない。 やはり、わからない感覚である。

 私は鞄の中から包帯を取りだした。 巻くことしかできないが、傷が剥き出しよりはマシだろう。

 そして漸く私は帰路につくのであった。



「遅い」


 それは、以前にも聞いたことがある。 気のせいかもしれないが、そんな気がする。

 ダンは再び眉間にシワを作って待っていた。

 前よりは早く帰ってきたさ、それに買ったものを落としたりしていない。

 そう、言おうと思ってダンの瞳を見る。

 大地の色をした瞳だ。 透き通っていて静かな瞳。

 その瞳は何故か私を落ち着かせる。 好きで言うのなら赤のほうが好きである筈なのに。


「お、おいっ?」


 何かが頬を濡らした。

 まるでずっと張り詰めていた糸が切れるような。

 大物の敵と対峙して倒した時のような。

 弱いところを見せてしまう。

 ダンは私を見て狼狽えている。

 何でも無い、と涙を止めなければいけないのに。


「ダン、私は……気持ち悪いか?」



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