第3話 独りではない者 4

 

 そして音の雰囲気が変わると踊っていた者たちは手に丸い玉をいくつか持つとポンッと上に投げる。 その玉は特殊な作りになっているのか雨色に灯っている。

 その玉を順番に投げ、また手で受けて、投げる。

 単純なものに見えるソレは、決して簡単には出来ない芸となっていて、沢山の練習を積んだのだと想像することが出来る。


「素敵でしょう」


 隣りに立つネリネが微笑んで言う。 穏やかな笑みだった。


「ああ」


 私は頷いた。 興味が無いと言っていたダンもしっかり見ているようだ。

 そして音楽がまた変わった。 身体に振動が伝わってくるような低い音の連続。

 すると芸者は手に木の棒を持ち、大きな口を開けて火を噴いた。


 その瞬間である。


 私の脳裏に映るのは炎。

 すべてを燃やし尽くす炎に、逃げ先を探してやってきた沢山の魔物たち。

 倒れている仲間、逃げ惑う仲間、諦める仲間。

 そう、故郷を失う瞬間の過去の記憶が頭の中いっぱいに流れ出したのだ。


「う……あ……」


 芸者の出す炎に観客は皆歓声を上げ場は更に盛り上がる。

 しかしその炎は私を襲う。

 過去の記憶を呼び起こし、私たちにとって神聖なものである炎が、怖いと感じる。

 立っていられず、私はついにしゃがみ込んだ。

 炎、炎、炎。

 故郷を燃やした炎、仲間を燃やした炎、私の世界を奪った炎。

 私たちの存在を示す赤、私たちの武器である赤、私たちの大切な、赤。


「ランシェさん?」


 私の様子に気付いてネリネが声をかけてくるが返事をする余裕がない。

 頭の中に思い浮かぶいっぱいの赤、炎。

 呼吸が苦しい。

 生きるためには呼吸をせねばならない。

 息を吸わねば、吐かねば。

 ……生きる意味はあるのだったか?

 まるで呼吸の仕方を忘れたかのように息が出来ず苦しい。


「おい、どうした」


 ダンはそう言って私の様子を見て暫くすると抱き上げて人波をかき分けていく。

 私は荒い呼吸をたてながら涙を流していた。

 よく考えてみれば、故郷を無くしてから初めての涙だった。

 炎が目に映らなくなってもずっと頭の中では燃え続けている。

 この時私は思ってしまうのだ。

 あれだけ誇り高く愛した赤を。

 怖い、だなんてそんな。

 情けない感情に飲み込まれてしまうのだ。



 ―― 生きなさい。 それが、最後まで生き残った君のやるべきことだ。



 少年の声が聞こえる。 ああ、そんな事言わないでくれ。

 生きているから生きてきただけの私に、その言葉は重すぎる。

 私も死んでしまいたかった。 あの時、皆と同じように炎に抱かれて燃えてしまいたかった。

 そんな風に思ってしまうくらいに私は生き残るのに適していない人間だった。




 瞼がふるりと震えて、意識が浮上する。

 ああ、起きたくないな。 目覚めてしまえば、また現実と向き合わねばならない。 生きなくてはならない、生きるということは難しい。

 私はゆっくりと瞼を開くと木材で出来た天井が目に映る。

 何者かがいる気配がして横を見ると、椅子に座り眠っているダンがいた。

 どうやら、迷惑をかけてしまったらしい。

 この間にダンは私を置いて行くことが出来たのに、そうはしなかったのだ。

 私は再び天井を見つめた。

 ――ああ、私は怖かったんだ。

 生きるということも、ここに来たということも、そして炎も。

 だから、最初に知り合ったダンに縋り付いた。

 ここは私が今まで住んでいた森とあまりにも違う。

 石で出来たとても高い建物に固い地面。 そして初めて見る容姿の者たち。

 それはすべて未知のものとして、まるで私の住んでいた場所が嘘かのような、ここが異世界であるような感覚を味わった。

 しかし、ここは確かに人間の住む場所だ。

 街行く人々、騒がしく食事をする人々、笑って、怒って、素晴らしいものに目をキラキラとさせる。

 ここは私の知らない場所。

 私ではない、知らない人間たちが集った場所、誰かの故郷だ。

 私は腕を上げて自分の身体にあるプルーフを見つめた。

 自分が持つ、確かな証、赤。

 次に炎を見た時、私はまた呼吸が苦しくなってしまうのだろうか? 怖いという感情に飲み込まれてしまうのだろうか?

 それはあまりにも不便。 それに炎が怖い自分など許しがたい。

 身体を起こすと、その気配でダンが目を覚ます。


「すまなかった」


 ダンが何か言う前に私は先に口を開く。 ダンの顔は見ないまま謝罪の言葉を述べた。


「……」


 ダンは何も答えなかった。 チラリとダンを見ると何か考えているようにも見える。 何か言おうと考えているが、言葉が思いつかない、そんな風に見えるのは私の思い過ごしだろうか。

 するとキイと静かな音を立てて扉が開く、顔を出したのはネリネだった。


「おっ、ランシェさん起きているじゃないですかあ。 体調はどうですか?」


 ネリネは私が身体を起こしているのに気付くと静かに微笑んで言った。

 これまで何度も彼女の笑顔をみたがこの柔和な微笑みを見るのは初めてだった。 彼女はどちらかというと花が咲くように笑うから。


「身体が重い」


 私は正直に答えた。

 あれだけ涙を流したのは私にとって初めてのことだった。 泣くという行為は思った以上に体力と精神を摩耗させる。 今の私の気分は底辺だ。


「あーららら、ちょっと失礼しますよっと」


 ネリネはそう言って私の額を触った。 その手は柔らかく温かい。 今の私のとっては心をホッとさせるものだった。


「問題なしのなし! でも今日はゆっくりしてくださいねっ。 もっとお喋りしたいところなんですがお仕事があるもので失礼します!」


 手で目を擦る動作のフリをしてネリネは言うとあっという間に部屋を出て行った。 私はベッドから降りて自分の荷物を背負い出かける準備をする。 ネリネの言葉を守らないのは悪いと思うが、私にはやりたいことがあるのだ。


「おい、どこに行く」




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