第28話 練習しようかな
そして、俺は一つの重大な問題に直面している。
……背中のチャックが上げられない。
これさ、よく女の子とか自分で上げれるよね。
ん、いや、普通人にやってもらうの? わかんないんだけど。
とにかく俺がチャックと格闘し始めてからもうすでに5分ほどが経過していた。
マキはというと、いまだに後ろを向いたまま、格闘する俺にはなかなか気付かない。
「あのー、マキさん……」
あまりのうまくできなさに耐えきれなくなった俺は、恥ずかしさをこらえてマキの名前を呼ぶ。
「んー、着替え終わった?」
マキが振り向かずに言う。大丈夫、俺は露出狂じゃないからいきなり振り向いて全裸とかはないよ。
「まだなんですけど、背中のチャックがね」
「あ、そうだね。あげにくいよね!」
勢いよく振り返ったマキが着替え途中の俺を見て、頬を染める。
「……イチ兄、似合う」
やめてくれ、その反応は俺がどうしていいかわからなくなる。
「いや、いいから背中、閉めてくれ」
俺はマキのほうに背面を向け、彼の手にチャックを近づける。
「ほいほい、やりますよっと」
マキが手を伸ばして、背中のチャックをあげる。
うん、ちょっと窮屈だなこのドレスは体のラインがぴっちりでる。
胸がある人とかこれもう普通に着れないんじゃないかな。
俺が胸の部分の生地を見つめていると、マキの言葉が後ろから聞こえてきた。
「ああ、それイチ兄のために特注で作ったから胸の生地は少なめ。普通の女の子じゃ着れないよ?」
よく考えてることがわかったなとちょっとあきれつつ、俺はドレスを着た自分を鏡で確認する。
もともと毛が薄いお陰で、ヒメに剃られたあとまだ生えてきていない。足と手は見苦しくなっていない、っと。
んで、胸の部分なんだが、デザイン的におかしくないように少しだけふくらみが作られている。さすがにこのデザインで胸がないとバランスが悪くなりかねない。すごいな。
でも……
「イチ兄、綺麗だよ」
鏡の後ろに立つマキが満足げに言っているが、俺はやっぱり鏡の中の自分が気にくわない。
うん、問題は顔だ。
女物の服を着た中性的な人間。そんな感じ。
あのこの間見たようなはっきりとした美女はそこにはいない。
「イチ兄、なんか納得いってない?」
マキは俺の表情をしげしげと見ていう。全く、なんでそんなに鋭いんだよ!
「い、いや、そんなことないからな。さ、早くダンスの練習始めるぞ」
俺はこれ以上女装について考えるのを放棄し、強引に話を逸らす。
「う、うん。じゃあ、始めようか」
マキもドレスを着た俺に満足してくれたのか、逸らした先の話に乗ってくれた。
「イチ兄に女装してもらったのはね、まずダンスにおいて女の子の気持ちを知ることが大事だと思ったんだ。ドレスの裾を踏まれたらどうなるか、とか、どうしたら回りやすいか、とか」
ほう、一応理由があってのことだったんだな。
己の性癖もかなり、いや相当入っているだろうが。
「でね、女の子側で踊っておいて僕の動きを覚える。体で覚えたほうがいいからね、こういうのは」
「りょーか……うわああああ」
返事をしようとしていた俺をマキがくるくると回す。
そして腰に手を回され、体が反るううう。
そのあと、マキの掛け声とともに俺はくるくる回されたり、一緒にステップしたり、ポーズを決めたり。
とにかくダンスは忙しいらしい。
あちこちに神経を使わないといけないし、下手うったら余裕で裾も足も踏む。
怪我させかねないじゃないか、危ないな。
「まあ、ざっとこんな感じかな。イチ兄、できそう?」
「あ、ああ」
女性側で何回か踊った後、男側でのリードの仕方を学んでいるうちに、少しずつ空が白み始めていた。
本当に、寝かせてもらえなかった。
「ああ、もう朝かぁ」
目を細めて外を眺めるマキの隣で、俺はひたすら一人でステップを踏む。
レディーに恥をかかせちゃいけない、足を踏んじゃいけない、本当にそれはそうだと思うからだ。
俺がもくもくと動き続けている隣で、今度はマキはあくびをした。
「それじゃ、イチ兄。一通り教えたし大丈夫だろうから僕帰るからね」
明らかに眠そうな声になったマキが、部屋を出ていく。
一人になった寝室に俺のステップを踏む音だけがかすかに響く。
静かだ。
あまりの静かさに俺は足を止める。
もうかなり明るい。
マキが出ていくときに部屋の電気は消していったけれど、部屋の中がよく見えるくらいだ。
俺は周囲を見回し、鏡の前で目が留まる。
近づくと、中性的な人間が一人。
俺が笑うと、相手も笑う。
俺の頭の中には、先日の美女が浮かぶ。
ヒメにきれいにしてもらった、あの完璧な女の顔。
……化粧の練習してみようかな。
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