第10話 〇〇タイムというものを知っていますか
人間の男というものには、変わった時間がある。
これを読んでいるみんなは『賢者タイム』というものをご存じだろうか。
賢者タイムとは一般的に男がオーガズムに達した後、急速に冷静になり、性欲が減退する現象のことである。
現代においては、それを有する男はほとんどいない。
なぜなら相手方の女性が、賢者タイムを有する男性を忌避する傾向があるからだ。
当初、男性は服薬や催眠、手術などによってその時間を排していたが、現代世界の人間たちはいつの間にか起こったホルモンバランスの変異によって、もはやその治療、まあ病気じゃないから治療というのもあれなんだが、も必要なくなっている。
ただし、まあ、あれだ。
何事にも例外はいるし、ほとんどいないだけで突然変異でなるやつもいる。
うん、勘のいいみんなにはもうわかったよな。
俺には賢者タイムがある。
「こんばん、わ」
俺がダイニングに顔を出すと、マキとヒメが大きなテーブルで食事をとっているところだった。
近くにはメイド型ロボットが控えていて、俺の到着を見るや、にこりと笑って問いかけてきた。
「イチロー様も夕食をお食べになりますか?」
「あ、ああ」
俺がうなずくと、メイドは一瞬どこかへ通信したようで目の焦点が合わなくなっていたが、すぐに戻ってきてにっこりとほほ笑む。
「さあ、こちらへ」
メイドが俺を席へと案内してくれる。
そこは旧日本的に言うと、上座と呼ばれる席で部屋全体を見渡せるようになっている。
右手にはヒメ、左手にはマキ。
二人とも俺を気にせず、もくもくと食べている。
ちょっとその様子はさみしい。
「お飲み物は何にいたしますか?」
メイドが俺に問う。
「えっと、日本茶で」
かしこまりました。メイドのおなかから湯呑が出てきて、彼女の手からお茶が注がれる。日本茶に対応しているロボットなんてほとんどいないから、俺は少し感心してしまう。
って、いやちょっと待て俺。
マキと仲直りしに来たんだろ。
うかうかしてると、大事な大事な賢者タイムが終わってしまうぞ。
で、でも緊張するなぁ。
ヘタレな自分に対して小さくため息をついた俺は、お茶をすする。
「なにこれ、うまっ」
人間の飲みやすいように調整されたその日本茶は、絶妙な甘みと深みで俺を包み込み、体を固まらせていた緊張をどこかにやってくれる。
これなら話せそうだ。
そう思った俺の耳に。
「ふ、ふふふふふ。あははっ」
誰かの笑い声が響く。
声の方向を見ると、マキが声を上げて腹を抱えて笑っていた。
え、何? 俺そんなおかしいことした?
「どうして、久しぶりに会ったと思ったら一人でお茶飲んで和んでるの! イチ兄!」
マキが笑いながら言う。
おかしいのか俺、変人か! オールディーだから他人に変人と思われるのちょっと気にしちゃうぞ!
というかマキを見ても反応しない俺の下半身。
賢者タイムはんぱねぇ! 賢者タイム最高!!
「いや、あまりにお茶おいしいからさ」
いろいろほっとした俺の口からそんな言葉が漏れる。
「あー、おっかしい」
マキはひとしきり笑うと、立ち上がり俺のほうに歩いてくる。
笑いすぎで目からこぼれた涙を拭き、マキは俺に向けて手を差し出す。
「仲直りしよう、イチ兄。イチ兄が何を気にしてるかは大体わかる。でも、俺もイチ兄の事殴って気絶させたし、おあいこってことにしない?」
魅力的な提案だった。そして俺は、マキに殴られたことなどすっかり忘れていた。
いやもう、己のセクハラに悩みすぎて、ねぇ。害された記憶なんでぶっとんでましたとも。殴り方が上手かったのか、気絶しただけでどこも痛くないしね。
「うん、じゃあ、それで」
俺はマキのその魅力的な提案に乗ることにする。
これで、マキと俺はあとくされなく同居人になれる。
「でもさ……」
俺の手を握りグイっと引き寄せたマキは、俺の顎をくいっと持ち上げて瞳をまっすぐ見つめてくる。
「俺、イチ兄の女装気に行っちゃったから、今後要求しちゃおうかな」
「へ?」
自信満々に笑うマキの顔を見た俺はなぜか、あることを思い出す。
がたん
右手から大きな音がした。ヒメが座席から立ち上がった音だった。
ヒメの顔にはいつもの笑顔はなく、暗く、どんよりとした空気をまとっていた。
「ごちそうさまです」
ヒメはそう呟くと、顔を伏せたままダイニングを後にする。
部屋には、俺とマキだけが残った。
俺の頭の中では、もう2度と女装は手伝わないと暗い顔をしていたヒメの様子がぐるぐると回っていた。
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