第19話 日常を紡ごう①
早朝。
草木が湿気を帯び、太陽をいまかいまかと待ち望んでいる空気を感じる。
庭園全体に薄く霧がかかっている。
俺は、それを開け放した自室の窓から眺めていた。
そんな俺の目に、一人の少女が庭を歩いてくるのがうつる。
美しい顔のその少女は、自室から庭を見つめる俺を見つけると、ぱっと顔を輝かせて手を振ってくる。
俺が手を振り返すと、彼女はおいでおいでをしてきた。
「仕方ないなぁ」
実際俺もそんな雰囲気の庭に出たいと思っていたところだったので、素直に少女の誘いにのる。上着を羽織って、屋敷の階段を降り、庭園へとつながる通用口を通った。
「来てくれるなんて嬉しいですわ、お兄様」
「そこまで薄情じゃないさ。それとも来ないほうがよかったか?」
俺がからかい交じりに問うと、ヒメはもう、と言って笑った。
ヒメの今日の服装は水色のフリルドレス。いつも大体フリルのドレスだ。こだわりがあるのかもしれない。
「お兄様、東屋にでも行きましょうか」
「あ、ああ」
彼女の服を見つめていた俺はちょっとだけ気恥ずかしくなってどもってしまった。
俺とヒメは庭園を静かに歩き出す。
朝の空気が冷たくて気持ちがいい。
昨日俺がヒメとマキにした提案。
それはお互いを知るために、しばらく落ち着いてそれぞれと仲良くなる時間を設けたいというものだった。
お前らも結婚するかもしれない相手についてわからないままじゃつらいだろう、と言うと、二人とも承諾してくれたのだ。
俺は日替わりでヒメとマキと一緒に過ごすことになっている。
そして初日である今日はヒメの日。
「くじ引きで勝ててよかったですわ。今日はお兄様を独占できるんですもの」
「じゃんけん、20回あいこはさすがにビビったぞ。手品か何かかと思った」
俺がそう言うとヒメはふふっと笑った。
「私とマキはこれでも双子ですから」
これでもという言葉になんだかとげがある気がしたが深くは突っ込まないことにする。
「ま、日替わりで一緒にいられるんだから、最初がどっちかなんて関係ないだろ」
頭の上で手を組みながら俺が言う。
「そう、ですかね?」
言葉とともにヒメが立ち止まる。
お、なんかあったか?
「初日のうちに既成事実をつくるというのはいかがでしょうかね、お兄様」
「お、お前何言ってるんだよ!」
俺はあまりのことに反射的に怒鳴る。
おっといけない、これじゃ犯罪者のようだぞ。
性的なことに敏感になってしまうのは、俺の悪い癖だ。
「冗談ですわ。そんなに怒らないでください、お兄様」
ヒメは俺の怒鳴りなど気にしていないかのように微笑みを崩さない。全く、こいつは女装とマキのこと以外では感情が動かないのだろうか。
「さ、お兄様立ってないで、東屋の中で休みませんか?」
なぜ立ち止まったのかと思ったが、すでに東屋に到着していたらしい。
ツタの這うその建物は、いかにも”自然そのまま”って感じでとても好感が持てた。最近の世界の自然では、樹木も草花も遺伝子操作されたりAI管理されていたりで、なんだかエネルギーがない。俺は正直言って、嫌いだ。
「お兄様、何考えてるのですか?」
東屋をぼーっと見つめていた俺をヒメが覗き込んでくる。
「ああ、いや。ちょっと自然のことを、ね」
「自然ですかぁ」
そう言ってヒメが東屋のベンチに座った。
俺も彼女に倣って反対側に座る。
二人の間には机が一つ。それが今の俺たちの距離かもしれない。
東屋に沈黙が訪れる。
鳥の鳴き声や、遠くで噴水が流れる音、それらが俺を包んでいたので全く不快ではなかった。
ただ、お互いを知るという名目のこの提案。
なにか話さねばと俺は必死に考える。
「ヒメは自然が好きか?」
ああ、俺なんでこんな質問しちゃったんだ。たいていの奴は好きって答えるだろ。
今の時代の自然は、何も危険でもないし、人間の都合の良いように作られてるんだから。
そう、思った。
「難しい質問ですね」
だから俺はヒメが、急に笑顔を引っ込めて真剣に考えだしたから、ちょっと驚いた。
「難しい、か?」
「ええ、難しいです」
考えるために下を向いていたヒメは顔を上げる。
「何を自然と定義するのかって話ですよ、お兄様」
そう言ってヒメは立ち上がる。
「今の時代の自然は、お兄様が嫌う世間一般的な自然はすべて人間の都合のいいように作られたもの。この自然のことはたいていの人が好きでしょう。でも、果たして、この作られた自然が本当の意味での自然なのか。今の人々は、手が入ってようと入ってなかろうと人間以外の生物が生きるさまをすべて自然と呼んでいます」
東屋の中をぐるぐると歩き回るヒメ。
「自然というのは、ありのままととらえることもできます。でも、現代の自然はまったくありのままじゃない。それにお兄様、自分にとって自然な状態が相手にとって自然である必然性はない」
ヒメはふっと空を見上げる。
大分夜が明けてきて、先ほどよりも世界が明るい。
「私やマキにとって、この格好が普通でも、みんなにとっては自然ではない。それはお兄様にとっても。人によって違う自然を、私は好きかどうかなんて定義できない」
ヒメは俺の目をじっと見つめてくる。
綺麗な目に、とらわれる。
けれど、瞳の奥、ずっと奥のほうで濁り、淀み、渦巻く闇に俺は声も出せなくなった。心の奥底まで彼女に見透かされ、溶かされ、ぐちゃぐちゃになりそうだった。
「お兄様は、マキのことが好きな私が、自然だとそう言ってくれますか?」
少しずつ、俺の頭に彼女の言葉が沁みてくる。
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