第10話 狼の咆哮

 タイヤに巻き上げられた砂がフロントフェンダーに当たり、カラカラと嫌な音を立てている。ハンドルから伝わってくるバタついた感触は悪路走行時特有のモノだ。背中を流れ続ける汗が喉の渇きを呼び、柊悟は生唾を一度だけ飲み込んだ。


 ミラー越しに見える、白いカローラは徐々に距離を詰めて来ている。


「鳥飼君!」

 叫ぶ月野も距離を詰められているのが分かっているのだろう。先程から何度も後ろを振り返っている。


「勝負はこの先だ!」

 この林道を抜けてからの下りが勝負になる。それには、既に気が付いていた。


 車が前を走るバイクを止めるには、後ろからぶつけて転ばすか、追い越して進路を塞ぐかの二択しかない。狭い林道での選択肢は当然前者だ。

 排気量の差で一気にぶつけようと思えば、それを行える今の状態で、距離を保っていると言う事は、相手は広い公道に出てから進路を塞ぐつもりなのだろう。


「…… バイク乗りをナメやがって!」

 柊悟が小さくそう呟くと、トンネルの様に続いていた広葉樹の向こうにアスファルトが見えて来た。


「林道を出るぞ! しっかり掴まっててくれ!」

 柊悟は大きく叫び、ハンドルを左に切るとスピードを更にあげた。


 バイクからはバリトンの利いたエンジン音。


 エンジンの差。

 それは排気量の差であり、スピード、パワーの差だ。残念ながら400㏄のバイクでは1200㏄を越える車にスピードそのもので勝つことは出来ない。

 だが、この急カーブが続く下りの山道でなら話は別だ。たとえ排気量の差があろうとバイク最大の特性を活かせば、逃げ切る事も不可能ではなくなる。それが柊悟の勝算だった。


 柊悟はひとつ目のカーブに入る寸前、後輪のブレーキを少しだけ利かせた。同時にハンドルを左に切り、自身の身体を遠心力とは逆側に思いっきり傾けた――――――

 が、車体は遠心力に引かれ、イメージ通りに曲がってくれない。


 失敗。


 すぐに迎えた次の左カーブ。

 今度は先程よりさらに大きく重心を傾けた。だが、バイクはひとつ目のカーブよりさらに横に流された。


 ――――――何なんだよ。このアウラサイドカー


 柊悟は思わず舌打ちをする。


 サイドカーのコーナリングが独特なのは理解はしていた。なにせバイクの横には側車が付いているのだ。全身を使いコーナを曲がるバイクにおいて、は、謂わば足枷の様なモノだ。

 逆に側車がのサイドカーは、二輪の特性である細やかなコーナリングと四輪の特性であるグリップ力を同時に出せる化物の様な乗り物へと変貌する。

 要は側車に乗っている人間の協力があって初めてサイドカーは理想的なコーナリングが出来るのだ。


 ミラーから見える白のカローラとの距離は林道を出た直後より短くなってきていた。

 山の麓にある入り組んだ脇道に逃げ込むためには、もっと距離を稼ぐ必要がある。だが、このままでは距離を稼ぐどころか確実に追い付かれてしまうだろう。


 柊悟の背中に一筋の冷たい汗が流れた。


 視界には次のカーブ。

 何の策も浮かばぬまま、柊悟は三度みたびハンドルを切り、重心を大きく動かした。


「えっ!!!」


 身体を傾けた瞬間、柊悟は驚きのあまり、思わず声をあげた。


 バイクが横に流されていないのだ。


 ハンドルからはタイヤが路面をしっかりと咬んでいる感触が伝わって来ている。

 己の身体が深く沈むような感覚とタイヤが擦れた時に出るゴムが焼ける臭いも感じ取る事ができた。

 視界には傾いた大地と風の渦。


 ハングオン


 驚きを抑えつつ、ふと動かした視線の先。そこには側車に乗った月野が身を乗り出す様に身体を傾けている姿があった。


 体勢を戻しつつコーナーを一気に駆け抜ける。


「どう! こんな感じで良いの? 」

 月野はシフトウェート体重移動の事を言っているのだろう。


「ああ、OKだ。次、突っ込むぞ」

 先程よりスピードを残したまま、コーナーに入る。

 風が高周波のような唸りを上げ、横っ面を掠めていく。ガードレールの白とアスファルトの灰色がすさまじい速さで眼前を抜けていく。


 理想的なコーナリングだ。


 身体を起こすと直ぐに横にいる月野に視線を送る。

「今の感じだ。ただ左折の時には、あまり突っ込みすぎるな。身体が吹き飛ぶぞ。対向車にも気をつけてくれ」

「こんな田舎道に対向車なんて来るわけ無いじゃない!」

 言葉自体は強がりだが、忠告そのものは理解してくれたらしい。


「次、行くぞ!」

 四つ目のカーブ。

 タイヤが路面に張り付いくような感覚を全身で感じ取れた。


 良いコーナリングだ。


 —————いける!


 続くコーナーをひとつ、またひとつと越えていく。

 月野はコツを摑んだようで、シフトウェートがコーナーを迎える度にスムーズになってきている。その運動神経とカンの良さに柊悟は思わず笑みをもらす。


 ミラーで確認する限り白のカローラは姿を認めることが出来ない。

 ある程度距離は空けたが、それでも僅かな差だろう。油断は出来ない。

 あとコーナーを4つほど越えれば麓が見えてくる。脇道に逃げ込む為には、もっと距離を稼いでおきたい。


「次も頼むぞ」

 頷く月野を確認しつつ、柊悟はコーナーに挑む。


 だか、今度は何故か車体が大きく横に流された。

 グリップが遠心力に負けているのだ。

 ふと見つめた月野は身体を硬直させていた。


「おいっ! どうした? 」

 声を掛けると同時に次のコーナーを曲がる。

 やはりバイクが横へと流された。


「怪我でもしたのか? 」

 前方に集中しつつ、月野に声を掛ける。

 残るコーナーは2つ。


「……鳥……飼君……ヘ、へビが…… 」

 月野の引きつった声。


 クランクぎみのコーナーに入る直前、柊悟が見たモノ。それは、腰のあたりから首筋、そして顔の横へと月野の身体を這うように登っていくアオダイショウの姿。おそらく、音治郎の家に停めておいた時に、直射日光から逃げようとしたヘビが入り込んだのだろう。


「何で、こんな時に!」

 思わず出た大きな声。


 コーナーを上手く捌く事が出来ず、バイクはまた、横へと流された。


 コーナリングを失敗した時の気の抜けた排気音が耳の横を抜けていく。その音に気が付いたのか、路上で休憩をとっていたバイク乗りたちの笑う姿も目に止まった。


「払い落せ! 」

「……無……理…… 」

「ただ大きいだけで毒もないから大丈夫だ! 」

「ゴメン、無理!」

 身体を強張らせたままの月野は涙声だ。


 柊悟は横目で月野との距離を見る。


 側車に乗る月野の身体にいる蛇をとるには、コーナリングの時以上に身体を大きくバイクから離さなくてはならない。それは瞬間的であれ、ハンドルとアクセルから手を離すことを意味している。

 今の状況下でそれは自殺行為に他ならない。


 最後の大きなカーブの手前、ミラーに白い車の影が映った。距離を縮められたのだ。


 このまま直進に入れば、間違いなく追い付かれる。

 策も無いまま、最後のコーナーへ。やはり、横へと大きく流されるバイク。今度は柊悟の焦りもあってか、側車が少し浮いた気さえした。


 コーナーを抜け直進に入ると、白い車の影は間近に迫り、尚も速度を上げ続け、柊悟たちに迫って来ていた。

 四輪特有のくぐもったエンジン音が背中に纏わりつき、それが鳥肌をよんだ。


 ――― 追いつかれる


 柊悟の背筋に冷たい汗が一筋流れた次の瞬間、後方から狼の咆哮にも似た独特のエンジン音が聞こえて来た。慌てて確認したミラーから見えたモノ。

 それは白いカローラの脇を一気に駆け抜ける黒銀のバイク。その高速のつぶてにも似たバイクは、瞬く間に柊悟の、いや正しくは側車の脇にピタリと並んだ。


 低い重心に長い車体ロー・ロングと呼ばれる独特の車体フォルムにどこか蒸気幻想スチーム・パンクを思い起させる銀色をした大きなエンジン。

 そして、何より、あっという間に車を追い越す凄まじい加速力。


 そんなバイクは柊悟の知る限り、この世に一台しかない。


『—————— VMAX! 』


 柊悟は並走するそのバイクに目線で確認し、心の中で声を上げる。


 VMAXに乗っていた、そのライダーは躊躇う事無く手を伸ばすと、月野の身体からアオダイショウを取り、それをそのまま後ろの白いカローラに投げつけた。


 刹那、切り裂くようなブレーキ音。


 ミラー越しに見える白いカローラは急停止をしていた。停まり方から見るに大きく横滑りはしているが、怪我などはしていないだろう。

 VMAXのライダーもソレを確認して安心したのか、小さく息をついていた。


 VMAXのライダーと視線が重なる。


 あごで自分について来るように促すVMAXのライダー。

 柊悟はそれに大きく頷くと、一度だけアクセルを大きく吹かした。








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