第40話 白の月夜

「こんな所で何拗ねてるのよ」

 岩楠家別邸の裏庭。月に照らされた竹藪を眺めていた柊悟に掛けられたその声は何故か姉を思わせた。


「別に拗ねちゃいない。少し涼んでいただけだよ」

 聞えてくる夏虫の声と同じくらいの声の大きさで柊悟は由布子にそう返す。真咲が飛び出して既に一時間は経っただろう。気持ちを静めるために一人になったのだが、それには大した効果が無く、寧ろ苛立ちを呼んでいるのが現実だった。


「今回の件、警察には連絡しないそうよ。フネさん家元、『貸しただけだから、そのうち返しに来る』って言ってたわ。あの方、口は悪いけどすごく度量が広いわよね」

 フォローするような言い回し。だが、どんなに言い繕おうと真咲は人の物を盗んだ。それは間違いのない事実だった。


「『貸した』とまで言ってくれてるんだ。あの婆さん」

 何とか返した言葉。


「真咲ちゃん、あの行動に出る前、少し様子がおかしかったわ。白昼夢でも見ているかのようにフワフワしていて、それで私が声を掛けたら今度は急に思いつめたような顔をして…… 」

 真咲と同室であった為、ずっと様子を見ていたという事なのだろう。由布子は小脇に抱えていた包を膝に乗せ柊悟の隣に腰を降ろした。


「白昼夢? 」

「ええ。それに私には真咲ちゃんを白い煙の様なモノが包んでいるように見えたわ」

 白い煙。

 文七の家に泊まった時に見た白い靄を指している事は直ぐに分かった。


「多分が白昼夢を見せたのね。そして、あの連中がココに来たのも…… 」

 自嘲的にそう呟いた由布子は膝の上に乗せていた包をそっと開いた。


 開いた包み。

 そこには見覚えのある月齢図 ―――


「その顔を見る限り、私が隠し持っている事は予想はしていたって所かしら? 」

「由布子さんの姓が『阿部』だからね。山中湖の図書館で『竹取物語』を読んで、もしかしてとは思ってたんだ」

 更に言えば岩楠フネ家元が聞かせてくれた『真話・赫夜姫伝』。それを聞きほぼ確信に至っていた。


「私もね、自分の家に伝わる『火鼠の皮衣これ』なんて、他愛のない作り話だと思っていたわ。でも、同じ紋様のある品を持っていた音治郎さんの所に私が住むようになり、更にはそこに同じ紋様を持つ品を持った子が現れた…… 偶然なんて言うには出来過ぎているでしょ? だから、あなたたちが東京に向かったと聞いた時に先ずは実家京都にコレを取りに行ったのよ」

 出合った時、由布子のバイクの運転に疲労感を感じた原因はこれなのだろう。神奈川京都間は新幹線でも往復4時間。バイクなら10時間以上は費やす。


「『火鼠の皮衣これ』には不思議な力が宿っていると私は聞かされて来たわ。そして、他の四つの宝物にも異なる不思議な力が宿っているともね」

『竹取物語』で五人の貴公子を破滅へと導いた五つの秘宝。『真話・赫夜姫伝』では、赫夜の巫女に富士山の噴火を静める力を与えた五つの祭器。


 風が一陣吹き抜け、煽るように竹林を鳴らす。


「オカルトとか伝承とかは私には良く分からない。だけど、真咲ちゃんの行動とこれらは無関係ではないわ」

 いつもより早口で低めの由布子の声。

 それには突き飛ばす様な圧があった。


「そんな事分かってる」

 煽り気味な言葉に柊悟の返答も強くなる。


「分かっているのなら、なぜあの時に真咲ちゃんの手を掴まなかったの? 何故追おうとしなかったの?」

「それは…… 」


 ―――『さわらないで! 」

 あの時に浴びされた拒絶の言葉を想い出す。


「あの言葉が真咲ちゃんの本心では無い事が分からないシュウじゃないでしょ?」

「でも、あいつは…… 」


 ―――『追いかけてこないで』

 悲しそうにそう告げて、白い車に乗り込んだ真咲の後姿。


「こういう時に理屈で気持ちを塗り潰してはいけないわ。シュウ、何かを諦める時の言い訳探しが上手い男になってはダメよ」


 ――― 言い訳探し


「一度、女の子に拒絶されたくらいで引いてどうするの! 好きなんでしょ? なら追いかけなさい。シュウ」

 そう諭すように告げた由布子は笑っていた。


 新たな風が一陣吹き抜け、それが竹林から月夜の空へと駆け抜けてゆく。柊悟は大きく息を吸い込んだ。


 分かっていた。家を捨てた母を責める理由は妹が可哀想だと思っていただけでなく、自分が寂しかった事も。サッカーを辞めたのは、部に居場所がない為ではなく、自分の実力を上のカテゴリーで試すのが怖いだけである事も。そして、真咲の手を掴めなかった事より、拒絶された事実にショックを受けている事も。


 すべてが己を見つめていないだけで言い訳だ。何が大事で、何をすべきかが分かっているのならなおさらだ。


「言い訳探し……か。由布子さんはキツイなぁ」

 柊悟はそう告げるとゆっくりと腰を上げ歩き出す。

「いってらっしゃい」

 その包む様な優しい少し声が恥ずかしくなり、柊悟は顔を下に向け鼻先を軽く掻いた。


「シュウ!」

 

 角を曲がろうとしたその時、背中に掛かった由布子の声。気のせいかもしれないがその声は悲鳴のようにも聞こえた。

「…… コレを持ってきなさい。役に立つかもしれないわ」

 そう由布子が投げて寄こしたのは『火鼠の皮衣』が入った例の木箱。大きさの割には重さがあり、思わず身体がヨレたが何とか掴むことが出来た。


「ありがとう」

「気にしなくていいわ。他の人たちには上手く言っておくから早く行きなさい」

 その言葉に柊悟はお礼と了解の旨を告げるため、頭だけで頷いて見せるとバイクの停まっている表庭へと駆け出した。


 ――― 闇、そして静寂


「…… 映画『恋しくて』だとワッツは、キースに秘めた想いを気づいてもらえてハッピーエンドだったんだけどなぁ」

 柊悟の去った裏庭で苦笑いと共に出た由布子の独り言。


「カッコつけすぎですよ。年下の男の子を本気で好きになったのがそんなに照れくさかったんですか?」

 不意に掛かるふて腐ったような声。


「ノゾキとは悪趣味ね。たまたま通りかかったなんて言い訳は通用しないわよ」

 由布子は後ろからの岩楠香澄の声に振り向く事なくそう答える。


「たまたまですよ。自分が好きな男の子の背中を目で追っていたら、たまたま裏庭にたどり着いただけです」

 小さく震える後ろからのその声に由布子は小さく『そう』とだけ短く答えた。



 **************************************


 月明かりの元、確認する限りウラルサイドカーに異常は見られない。


「どこへ行く気?」

 掛けられた声。

「…… 」

 返す言葉が見つからず、沈黙のままヘルメットを被る。


「月野さんの後を追いかけるつもりね?」

「ああ」

 母の問いかけにただ短く頷いて見せた。


「どこに行ったかは分かっているの? 」

「富士山の麓にある『浅間神社』の総本山だと思う」

 確証とまでは行かなかったが、『真話・赫夜姫伝』の中で出て来た唯一の具体的な地名が「浅間」。富士山近辺での『浅間』の名称が付き、尚且つ富士山と関わりの強い場所は浅間神社総本山だ。


「…… そう言う変にカンの鋭い所は碌朗お父さんに似て、物わかりが良いようで頑固な所は、私に似たのね」

 諦めたように大きくため息をついた母はバイクのキー投げて寄こした。


「二日。二日以内にココに戻りなさい。それとバイクは私のスーパーボルドールCB400を使う事。追いかけるにしても、急ぎ戻って来るにしても、碌朗お父さんのウラルサイドカーじゃあ、遅すぎるわ」

 あまりの意外な物言いに柊悟は言葉が出なかった。


月野さんあの子の事、護りたいんでしょ?」

 柊悟はただ静かに頷く。

「大学であなたたちを見た時、『柊悟がおちるのは時間の問題』とは思ったけど、まったくもう!」

 不平と言うよりボヤキ。母はどこか眩しい物でも見るように目を細めていた。


「俺、父さんに似て面食いだって、じいちゃんが言ってたよ」

「そう」

「本当の理由を言えば、じいちゃん勘当を解いてくれると思う」

「分かっているわ」

「四葉背がスゴク伸びたんだ。包丁も上手く扱えるようになった。一度、見てあげて欲しい。俺も話したい事が結構ある。多分、父さんも」

「ええ。必ず時間を取るわ」


 望みとは言葉にすれば意外に短くシンプルなものだ。


「行ってらっしゃい。柊悟」

「行ってきます。母さん」

 笑顔と共にそう告げた柊悟は、母の愛機CB400スーパーボルドールに跨り、浅間神社へと駆け出す。ミラー越しには母。そしてその後ろにはサムズアップするミヤケンとそれを真似る岩楠フネの姿。


 自然と漏れ出た静かな笑み。


 ゴーグル越しに見上げた夜空には上限の欠けた月が浮かんでおり、その白さが柊悟にはやけに眩しく見えた。






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